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著作権保護は、文化の発展を推進する為の「手段」であって「目的」ではない


 JASRACが、結婚式や披露宴などで、同社が管理する音楽や映像を複製する場合、つまりJASRACの管理楽曲/映像を演出等に用いた式の模様を撮影し、配布したり閲覧可能にしたりする行為を「複製」と見なして「包括使用料」を導入する為の実証実験を行う、と発表したことが話題になっている(JASRACが結婚式の「包括使用料」を発表して、ネット騒然。その実態は?)。
 一部で、「結婚式にJASRAC管理楽曲を用いると使用料を取られるようになる」という勘違いもあるようだが、式の演出にJASRAC管理楽曲等を用いる行為については、2002年から既に使用料が求められており、現在はホテルや結婚式場の多くがJASRACと契約し使用料を支払っている。


 著作権者の利益を守ることは、文化を守る・発展させる為には必要なことではあるが、JASRAC、というかJASRACに限らず国外も含めて音楽業界は「がめつい」という印象がある。少し前の経験に基づく話なので、もしかしたら今は少し状況が違うのかもしれないが、例えばYoutubeへ動画を投稿した際に、映像の中に版権モノのキャラクターの看板や、肖像権のある芸能人を起用した看板が盛大に映り込んでいたとしても、収益化の対象外にはならないのに、何かのイベントの様子を撮影した際に、イベントのBGMとしてJASRAC等の管理楽曲が使用され、それが映像で楽曲を特定できるような状態だった場合、収益化の対象外にされることがしばしばあった。

 ビジュアルが映り込むのは権利侵害とはならず、音楽が映り込む?場合は権利侵害となる、という状況は果たして妥当なのか。もしかしたら、ビジュアルが映り込んだ場合も、権利侵害を主張できる余地があるが、権利者が権利を行使していないだけで、音楽の権利者らの対応には問題がない、ということなのかもしれないが、個人的には、そのような権利行使がもし法的に妥当なのだとしたら、それは法の不備ではないか?と感じる。
 何故なら、本来著作権保護とは、文化の保護と発展の推進が第一の目的であり、 著作権者の利益確保は、文化の保護と発展の推進を実現する為の手段であって、それ自体は目的ではない。映り込んだキャラクターや芸能人の写真・BGMにまで権利を主張することは、果たして文化の保護や発展の推進につながるだろうか。自分には、殆どそのような機能は果たさない、果たさないどころか逆に衰退させかねないのではないか?と感じる。つまり、本来目的を達する為の手段である著作権者の利益確保自体が目的化し、文化の保護と発展の推進という本来の目的から逸脱しているように思う。

 映画館で映画をまるっと撮影してネットに無断で投稿する行為や、マンガを読んでいる様子を撮影し、実質的に読むのと同じ体験ができる動画をネットへ無断で投稿する行為、BGMが映り込んだという体裁で他人の楽曲を無断で投稿する行為などに対しては、断固とした対応を行うべきである。しかし、現在のJASRACの方針には全く賛同できない。結婚式での楽曲使用について、既にホテルや結婚式場が使用料を支払っているのに、その様子を撮影した映像等に更に使用料を求めるというのは、ガソリン税に消費税が掛けられている二重課税と似た話に思える。


 JASRACは一体何を目的とした組織なのだろうか。個人的には、文化の保護や発展の推進よりも、一部の著作権者の利益にばかり偏った運営がされていると感じる。というか寧ろ、JASRAC自体の存続を主な目的とした運営がなされているという懸念も感じる。


 トップ画像は、Alexas_FotosによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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