ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド ノーベルの遺言によって、1901年に始まったノーベル賞。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和と経済学の各分野で功績を残した人物などに贈られる(Wikipedia:ノーベル賞)。このところ受賞者発表の時期になると日本では毎年のように、村上 春樹さんが文学賞を受賞するかどうか、ということが取り沙汰されるのだが、今年の文学賞受賞者発表後に共同通信が配信した速報に対する批判が高まった。その理由は、「ノーベル文学賞は外国人に」という見出しで、
スウェーデン・アカデミーが10日発表した2018年、19年のノーベル文学賞受賞者は、いずれも日本人ではなかった。と、誰が受賞したのかについて言及せず、 日本人、というか村上さんの受賞が今年も叶わなかった、ということだけを伝えたからだ。「【速報】村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞ならず | ハフポスト」など、他のメディアにも似たような傾向はみられる。因みに2019年の文学賞はオーストリア出身の現代作家・ペーター ハントケさんが受賞した。また、賞選考関係者のレイプ疑惑や、発表前に外部に情報が漏洩した疑いが発覚したのを理由に、発表が見送られた2018年度の分として、ポーランドの小説家・オルガ トカルチュクさんの受賞も発表された。
ザ イエローモンキーのヒット曲「JAM」の歌詞に、
外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」という歌詞がある。 流石にニュースキャスターが嬉しそうにそう発言している場面を見た記憶はないが、飛行機の墜落事故だけでなく、テロ、銃乱射等の事件が起きた場合、ほぼ必ず日本人の被害者がいたかどうかへの言及がある。トップ画像で使ったのは、今年・2019年5月にロシアで起きた旅客機の着陸失敗による炎上事故についての、日本テレビ報道のスクリーンショットだ(緊急着陸の旅客機炎上、41人死亡 ロシア|日テレNEWS24)。
この手の報道を、前段で触れた共同通信の報道同様に捉えて批判するのは短絡的だろう。日本国内向けの報道だし、「日本人の被害者がいなかった」ということが分かれば、事故に巻き込まれるかもしれない状況にある者の家族や友人らは、一先ず安心することができる。ただその一方で、「JAM」の作詞者が果たしてどんな想いを込めたのかは分からないが、「日本人の被害者はいなかったから、私たちにはあまり関係のないニュースだよ」と言いたいの?という、やや穿った見方かもしれないとは思うものの、そんな感情も湧いてくる。
野茂 英雄さんがMLBでプレーし始めた1990年代以降、野球に限らず海外のプロチームなどで活躍する日本人が増えた。しかし、それについての報道にも、これらと似たような違和感を覚えることがしばしばある。日本人選手の動向に注目した報道がなされるのは、日本国内向けの報道なのでそれ程おかしいことではない。しかし、日本人が打った、抑えた、点を取った等だけに注目し、所属チームの勝敗すら伝えないのはどうか。日本人選手が参加した大会で、日本人選手が何位だったかだけ報じるのはどうか。せめてどこの国の誰が大会・レースを制したか、ぐらいは伝えて然るべきではないのか。
そんな報道を見せられていると、前段の後者の受け止め方、「日本人に被害者がいなかったから私たちは関係ないよ」と言いたいの?という印象も、穿ったものの見方と言いきれないようにも思う。
ノーベル賞と言えば、2018年にノーベル平和賞を受賞した、コンゴ民主共和国の産婦人科医・デニ ムクウェゲさんが来日し、性暴力被害の問題について各地で講演することや、10/3に外国特派員協会で記者会見を行ったことなどを、ハフポストが「「レイプは人類の恥であり、女性だけの危機ではない」 デニ・ムクウェゲ医師は訴える。」という記事で報じていた。
恥ずかしながら自分はこの件を知らなかった。このことを日本のメディアは果たして報じたのか?という疑問が湧き、民放在京キー局のニュースサイトを調べてみたところ、記事があったのはNHKとテレビ朝日だけだった。
ムクウェゲ医師 「性暴力を戦争の武器とすることは人類の恥」 | NHKニュース
ノーベル平和賞受賞のムクウェゲ医師が都内で会見 テレ朝ニュース
テレビ朝日の記事はアベマニュースの映像を使用しているので、地上波でこの件を扱ったかどうかは分からない。
共同通信の「ノーベル文学賞は外国人に」という記事や、前年のノーベル平和賞受賞者が来日し、性暴力被害の問題についての訴えても、取り上げないメディアが決して少なくないことなどに鑑みれば、
日本のメディアにとってノーベル賞は芸能ニュースと大差ない程度の認識
なのだろう、と感じてしまう。昨今、特にテレビ報道は、韓国の政治家の不正疑惑は大々的に取り上げるのに、自国の政府・与党の政治家の不正については殆ど取り上げない、取り上げてもその扱いは小さい。7/30の投稿のタイトルは「テレビの緩やかな自殺」とした。その時点では緩やかだと思っていたが、8月以降、日韓政府対立を背景に、日本人の対立感情を煽るような報道一色になった為「急激に死に向かっている」という認識に変わり、9月に首相が台風被害そっちのけで組閣を行ったことに同調してそちらばかり報道し、台風直撃から約1日災害報道を軽視していたのを目の当たりしたことで、テレビ報道は「既に死んでいる」という認識に至っている。
主要なメディアが、社単位でなくメディア単位で死んでいるというのは、かなり憂慮すべき状況だし、通信社や新聞にも似たような傾向がないわけではなく、このまま放っておけば、テレビだけでなく日本の報道が全滅してしまいかねないのではないか。