11/3は祝日で、文化の日ということになっている。Wikipedia:文化の日 によると、11/3が文化の日になったのは1948年からで、1946年11/3に日本国憲法が公布されたことに由来する祝日らしい。Wikipediaでは「日本国憲法が平和と文化を重視している」ので文化の日とした、と説明されている。因みに、日本国憲法が施行された日・5/3は憲法記念日になっている。
但し11/3は戦前も、明治天皇の誕生日に由来する天長節/明治節という祝日だった。便宜上文化の日は明治天皇の誕生日とは無関係とされているが、日本国憲法の公布を天長節/明治節だった11/3に合わせたという話もある。また、近年一部で、文化の日を明治の日に改称しようという動きもあるようだが(「明治の日」集会で露見した民進党の“バラバラ感” 自民・古屋圭司氏が民進・鷲尾英一郎氏にチクリと放った一言とは…(1/2ページ) - 産経ニュース)、現憲法に因んだ祝日をわざわざ明治天皇由来に変えるのには、戦前回帰的なニュアンスを強く感じるので止めてもらいたい。
文化の日の「文化」とは一体何を指しているのだろうか。Wikipedia:文化 や Wikipedia:日本の文化 などを見てもわかるように、文化には、例えば平安文化・江戸の町人文化のように、その時々の人々の営みを形作る知恵・知識・習慣・道徳観・芸術などの総称、のようなニュアンスがありそうだ。似た表現に「文明」もあるが、Wikipedia:文明などを見ると、文明は文化よりももう少し大きな概念で、個人的には文化の集合体が文明なのだろうと考える。
しかし、この「文化」の解釈だと、国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条にある、文化の日の「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という理念を上手く平易化することが出来ない。これらの「文化」と似た用法は、生存権・社会福祉・社会保障・公衆衛生について規定した日本国憲法25条でも用いられている。条文に
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとあるが、この「文化的」はどのような意味だろうか。この文化的が「平安文化的」や「江戸の町人文化的」でないことは明白だ。文化の日の「文化」や、憲法25条の「文化的」を解釈するのに役立つ情報が、Wikipedia:文化 (曖昧さ回避) にある。ここで挙げられている幾つかの「文化」の中に、
日本において主に大正、昭和期に生まれた商品のうち、欧米の影響を受けた、あるいは受けたと認識されたことによって「洋風の」「先進的な」という意味合いを込めて商品によく冠された言葉。という項目があり、その例として文化住宅・文化鍋・文化干し・文化包丁 ⇒ 三徳包丁などが挙げられている。つまり、これらの場合の「文化」は概ね「現代文化」「現代的」のようなニュアンスと考えればよいだろう。
そのように解釈すれば、文化の日の理念「自由と平和を愛し、文化をすすめる」は、現代化をすすめる、と言い換えることができるし、25条の「健康で文化的な最低限度の生活」も、現代的な最低限度の生活、と言い換えられ、うまく平易化することが出来る。
余談だが、「健康で文化的な最低限度の生活」という25条の条文の重要な部分で検索すると、その条文をタイトルに用いたマンガと、それを原作にしたドラマに関する項目ばかりが表示され、日本国憲法25条に関する項目が数ページ後にならないと出てこない。マンガやドラマの項目が表示されるのはよいが、憲法25条の項目が表示されない状況は改めた方がよいのではないだろうか。
つまり、11/3「文化の日」は、日本国憲法の公布が行われたことに因んで、その理念の1つである現代的な社会や現代的な国家を推進しようという祝日と言えそうだ。果たして今の日本は、現代的な社会や現代的な国を追求している、と言えるだろうか。
首相が女性活躍を掲げてはや7年。相変わらず男女格差は当時と大きく変わらず、合理性があるとは言えない伝統を理由に、女性の社会進出を促すであろう選択的夫婦別姓制度や、男性の育休取得は一向に進まない。また、今年に入ってからは民主主義をなす大きな柱の1つである表現の自由を脅かすような事態が幾つも起きている。そして再三書いているように、新聞やテレビ等の報道機関は政府批判に及び腰で、報道の自由度が低いと国外から再三指摘されている。にもかかわらず、政府が大した根拠もなく「批判は当たらない」などと言っている。そんな国は現代的な社会・国家を推進・追求していると言えるだろうか。
どの報道機関にも政府批判に及び腰な傾向はあるが、NHKのそれは酷い。少なくとも自分はそう感じる。昨日もそう感じる記事が2つNHK NEWS WEB に掲載されていた。
まず1つ目は「10月の新車販売 前年同月比25%減 業界団体「台風被害の影響」 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」という記事だ。
日本自動車販売協会連合会(自販連)が、2019年10月に国内で販売された新車は31万4784台で去年の同じ月を24.9%下回って4か月ぶりに減少した、と発表し、その要因は
台風19号で浸水被害が出た地域で、販売店を訪れる客数が落ち込んだことにあるという見解を示している、という内容だ。
こんなのは誰もがおかしな話だと思うのではないだろうか。販売減少を台風被害の所為だと説明しているが、台風によって自動車の浸水被害が多数起きた。10月の台風19号だけでなく9月の15号でも大きな浸水被害が出ており、台風が自動車の販売台数に影響を与えたのなら、浸水被害を受けた分だけ自動車の需要は上がるのではないだろうか。10月から消費税が8%から10%へ増税されたことの影響について言及してはいるものの、
反動減が出ていないとは言えないが、この1か月だけでは判断できず、引き続き注視したいなんて言っている。ならば台風の影響だって1ヶ月だけでは判断できないだろう。バカも休み休み言って欲しい。自販連の示した見解がおかしいだけでなく、こんな話を無批判に伝え、その素っ頓狂さを一切指摘しないNHKも酷い。
もう1つも消費税増税絡みの報道で、「“イートイン脱税” 後絶たず 座席撤去など店が対応 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」という記事だ。
10%への消費税増税が10月より始まったが、「軽減税率」と称して食品の一部などの税率が8%に据え置かれる制度も同時に始まった。持ち帰りと店内飲食が異なる税率であることを利用し、持ち帰り用として購入したものを店内で飲食することで2%分の消費税を免れる行為を、一部で「イートイン脱税」と呼んでいる。それを防ぐ為に一部の店がベンチ等を撤去するなどの対応を始めた、という内容の記事なのだが、個人的にはまずこの「イートイン脱税」という表現が気に入らない。
そのような行為を脱税と、まるで犯罪かのように書き立てるのは果たして妥当か。そもそもこのような混乱は、「軽減税率」という制度の雑さによって引き起こされたものだ。にもかかわらず、制度への批判を一切せずに、まるで「雑な制度だろうが、制度は制度だ。従ってそれに反する行為は犯罪」かのようなニュアンスで、公共放送とされる報道機関が記事を書くのは如何なものか。そんな政府に忖度していると言わざるを得ない記事を書いて受信料を強制徴収していれば、到底納得などできない。一応受信料は、NHKは政府から独立した機関、という前提によって、税金ではないということになっているが、これではNHKは単なる政府のプロパガンダ放送局で、受信料もテレビ受信税だろう。
こんな状況に鑑みれば、文化の日の理念は死んでいるようにも思う。しかし別の視点で考えれば、文化の日だからこそ、その理念が完全に形骸化しないように、このような指摘をしなければならないとも言えるだろう。
トップ画像はの背景は、David ZyddによるPixabayからの画像 を使用した。