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性的・エロに関する価値観は人それぞれだから…


 少し前に、日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターにネット上で注目が集まっていた「宇崎ちゃん」献血ポスターはなぜ問題か…「女性差別」から考える(牟田 和恵) | 現代ビジネス | 講談社)。誰だったかは失念したが、ある女性が「このポスターに起用されたのがルパン三世の峰不二子だったらどう感じるか」という疑問を呈していた。「なる程、そう考えると当該ポスターだけを否定するのはどうか…?」という気もしたが、当該ポスターに用いられたキャラクターは、一応大学2年生という設定のようだが、中学生と言っても通じるような童顔にアンバランスな程大きなバストが組み合わされており、しかも過度に胸を強調するアングルで描かれたカットが使用されている。性的・エロに関する価値観は人それぞれだろうが、個人的には献血啓蒙のポスターには向かないイラストだと考える。


 友達の実家へ泊めてもらい、その家族らと一緒にお酒を飲んでいると、誰が見ていたわけでもなく点いていたテレビから、テレビ朝日タモリ倶楽部」のオープニングが流れた。おなじみのTバックのお尻が代わるがわる登場するアレだ。友達の祖母が半分怒りながら「早く変えなさい!」と叫び、その後少しの間気まずくなった。タモリ倶楽部は決してエロ重視の番組ではないものの、戦争を経験した世代の女性にしてみれば、勿論何とも思わない女性もいるだろうが、アレはやはり目を覆いたくなるような映像なのだろう。その感覚は分からないでもない。
 タモリ倶楽部のオープニングがテレビ放送に適さない映像だとは思わないが、それでも、日が高い内に放送するには適さないと思うし、日が暮れてからでもゴールデンタイムに放送するのはどうか?と思う。

 AbemaTVは昨夜、高橋 留美子さんの代表作「うる星やつら」の再放送をした。懐かしく思い見てみると、第1話からいきなりラムの胸が露わになるシーンがあった。うる星やつらの初回放送時の放送時間は毎週水曜19:30からだった。1990年代初頭まではゴールデンタイムの番組でも、アニメ・実写を問わずしばしば女性の胸が露わになるシーンなどがあったが、両親世代は別として、祖父母世代はそんなシーンが流れるとテレビを消したりチャンネルを変えたりしていた記憶がある。自分は、テレビから女性の胸や尻を排除する現在の方針には賛同はしない。必要性のある表現なら映ってもいいと思う。性的表現を過度にタブー化することには副作用もあると考える。しかし一方で見たくない人がいることも理解はする。


 もっと!孕ませ!炎のおっぱい超エロ♡アプリ学園!」という成人向けゲームの屋外広告が秋葉原に設置されているという話に注目が集まっている。成人向けゲームなので、公式サイトトップに掲載されているメインイメージ画像には、乳首丸出しの大きなおっぱいをした女の子が並んでいる。屋外広告で使用された画像もほぼその画像と同じだが、流石に乳首はビキニトップなどで隠されている。



ただそれでも、全ての女の子が、服を着ているのに、不自然に大きな胸だけを露出しているという、かなり性的なイメージが強調されたイラストには違いないし、「おっぱいハーレムをゲット!」というコピーや、当然「もっと!孕ませ!炎のおっぱい超エロ♡アプリ学園!」というゲームタイトルも掲出されいるので、屋外広告には適さないとしか思えない。


 個人的に、所謂萌え系のエロ表現は、小児性愛的なニュアンスを感じてしまうので好きじゃない。しかしだからと言って、流石に女児をレイプすることを肯定するような作品はどうかと思うが、それでも創作まで児童ポルノ認定してタブー化するのはどうかとも思うし、作品そのものや愛好することが不適切などと言うつもりはない。しかし不特定多数の目に触れる場所に、そのような作品やキャラクターを用いた広告等を無頓着に掲出するのは、妥当とは全く思えない。


 フェンダリスト2019というカスタムカーのイベントが、11/3に山梨県立産業展示交流館アイメッセ山梨で行われた。このイベントの主催者のツイッターアカウントがこんなツイートをしている。


カスタムカーは暴走族と混同されやすく、世間一般からは何もせずとも煙たがられたり敬遠されたりしがちだ。以前も横浜・本牧にある老舗のカスタムカーパーツショップ・ムーンアイズが、店の近くの公園駐車場にて不定期で日曜の朝に行っていたミーティングが、近隣住民からの反対に遭って出来なくなった、などのケースがある。個人的な見解だが、参加者が騒いだりゴミを散らかしていたという印象は全くなかったが、それでも反対に遭ったようだ。だから開催場所の確保に苦労しており、イベントの主催者は特に空ぶかし・騒音や、ゴミやタバコの吸い殻ポイ捨てなどのマナーの悪さには神経を尖らせている。そうしないとイベントを受け入れて貰えなくなるからだ。

 つまり何が言いたいのか。萌え系アニメやゲーム・キャラクター、そしてアニメやゲームに限らずエロ表現自体が悪いと言いたいのではなく、萌え系アニメやゲーム・キャラクター等の愛好家や、アニメやゲームに限らずエロ愛好家らも、世界一般的な視点でどのように見えるかを考え、一定の配慮を持って活動や愛好をしていかなければ、必要以上の反発に直面しかねず、節度を持って活動している人達にまで悪影響を及ぼしかねないという認識を持つべきだ、と言いたい。
 自分・自分達の感覚だけが常に正しいという傲りは自らのクビを絞めかねない。「誰かが不快だと思ったらアウト」ということではないが、不特定多数の者の目につく場所では、不快に感じる人の存在に対する一定の配慮も必要である。


 「うる星やつら」を見ていると、2019秋クールの新作アニメ「慎重勇者~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~」の告知CMが頻繁に流れていた。このアニメにもやはり、童顔で巨乳で胸を過度に強調した衣装の女性が何人か登場する。中にはかなり布の面積の少ない殆ど裸状態の女性キャラも登場する。このアニメが放送されている時間帯は深夜帯だし、作品自体がテレビ放送に向かないとまで言うつもりはない。しかしその告知CMには、


この不自然な程に胸が大きく揺れるカットが使用されている。これはTVアニメ「慎重勇者」ティザーPV の一部分なのだが、そのおよそ1/5の尺の告知CMにそのカットを用いるということは、お色気要素はファン獲得に必要ということなのだろう。この告知CMは深夜帯以外でも当然流されているし、アニメチャンネル以外でも流れている。この手のカットをアニメファン以外の目にも触れる告知CMに用いれば、萌え系アニメやゲームへの風あたりを強める恐れもあるのではないか。

 このように、童顔巨乳で胸を過度に強調したり露出した衣装のキャラクターが胸やお尻をボヨンボヨンと不自然に揺らしたり、下着ではないという設定を用いてパンチラにしか見えない表現を多用するアニメやゲームは結構多く、深夜帯が多いのものの民放局等でも多く放送されている。
 「そのような表現は全く不適切で放送するべきではない」とは言わないが、そのような表現に多く触れるあまりに、一般的で全く普通な表現というような認識になってしまうのは、決して妥当ではないと考える。前述したタモリ倶楽部のオープニングが、ゴールデンタイムの番組で用いる表現としては相応しくないのと同じで、日本赤十字がポスターに使ったイラストも、成人向けゲームの広告も、そして童顔巨乳で過度に胸を強調したキャラクターが不自然に胸を揺らす表現も、不特定多数の人の目に触れる場に堂々と出すのに適した表現とは言えないのではないだろうか。


 トップ画像は、Igor LinkによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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