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必要以上に人目を気にする人が多い ことの弊害



 日本人には必要以上に人目を気にする人が多い、という話に関連する記事を昨日2つ見つけた。日本人には必要以上に人目を気にする人が多い、という認識が正しいか否かについては、この投稿では詳しく言及しない。しかし、自分の少ない海外での経験と非日本人とのコミュニケーション経験などから、そう強く感じている。勿論あくまで傾向の話であり、人目を気にしない日本人もいるし、人目を気にする外国人もいないわけではない。しかし、そのように感じている人は決して少なくはないのではないだろうか。


 まず1つ目は「これからの恋愛に“モテ”はいらない。Forever21の青いレギンスが、私を解放してくれた | ハフポスト」という記事だ。プラスサイズモデルを自負する女性・藤井 美穂さんによる記事で、#恋愛のこれから という企画の記事の1つでもある。この記事にこんな表現がある。

 モテのために、なりたい自分を無視していた

日本では、雑誌やテレビで「モテ」を取り上げた企画が多く見られます。まるで女性も男性もモテなければ人間じゃないかのように感じさせられる。でも日本にいたときは、そんなわけないと思いながら、心のどこかで気にしていて、このモテのカテゴリに入れない自分に落胆していました。
しかし、アメリカに来てからモテがすごく日本的な文化なのだと気づきました。
これを読んで、藤井さんがこの後に続ける「アメリカ英語にはモテにあたる単語はありません」という話が妥当かには疑問を感じつつも、「モテはすごく日本的な文化」という話にはとても共感できた。
 特に何かを心掛けなくてもモテる人というのは確実に存在する。そんなタイプの人には当て嵌まらない話かもしれないが、「モテ」、つまり多くの人に好かれることを目指せば、間違いなく他人の目にどう映るかを気にする必要が生じる。言い換えれば、人目を気にする必要があるということだし、キツい言い方をすれば、「モテ」には他人に媚びる側面があるとも言えるだろう。藤井さんが更にその後に続ける「そりゃ人気のある人、ない人はもちろんいますが、日本のように「モテるタイプ」がガッチリと決まっていないんです」という話は自分も感じていて、勿論、日本以外でだって「あんな男(女)連れて恥ずかしくないの?」みたいに、パートナーをアクセサリーか何かのように扱う人はいるが、それでも、欧米に限らずアジア諸国でも、日本よりは「私(俺)が好きなんだから、他にどう思われようと関係ない」と考える人の割合が多いように思う。その結果「モテる人」のタイプが画一的でない側面があるとも思う。

 但し付け加えておくと、モテを全く気にせず他人の目も殆ど気にしない、という感覚が行き過ぎれば、他人への配慮が足りない人にもなってしまいかねない。つまり、他人からどう見えるかを全く気にしないとそれはそれで弊害が生じる。人間が現在の社会で誰ともコミュニケーションせずに生きるのはほぼ無理なので、バランス感覚がやはり大切だ。


 2つ目は「今年は連休の「当たり年」?「天皇誕生日」はいつ?2020年の祝日、まとめてみました! BuzzFeed Japan」という記事だ。2020年のカレンダー上の連休について書かれた見出し通りの記事だ。自分はこの記事を読んで、
コンビニのオーナーや飲食業など、祝日や連休だって休めない人は多いし、連休の当たり年とか言ってる場合じゃなくて、祝日・連休に限らず、誰もが当たり前のように、有休などを使って連休を作り余暇を楽しめるようになること、その為の充分な賃金を多くの人が貰えるようになることを実現しないと…。
ツイートした。
 休日に関しても、やはり日本人は人の目を気にしがちだ。最近の若い人達はいい意味で空気を読まなくなっており、上司や同僚の出勤など気にせずに休む人や、上司や同僚がまだ仕事をしているからと気兼ねすることなく、気にせず退社する人も相応に増えてはいる。しかし30代以上では、周りを気にして休めない・帰れないという人もまだまだ少なくない。

 最近はあまり見かけなくなったが、1980年代までは、祝日に日の丸を掲揚する家が結構あった。紹介するのは10年以上前に撮影された写真であり、最近気にかけて見ていないので今どうなのかはよく分からないが、自分が子どもの頃もそうだったし、2007年まで東急バスは確実に祝日に国旗をつけて運行していた。それと同様の例は他にも多かった。


 この祝日に国旗を掲げることの発祥は定かでないが、ツイッターでも #祝日には国旗を掲げましょう なんてハッシュタグがあったりする。日本の国旗 - Wikipedia は、イデオロギーを啓蒙しようとする者による真偽の定かでない話も含まれているように見えるので、参考にする場合は注意が必要だが、そこにも書かれているように、所謂日の丸が国旗として使われ始めたのは明らかに近代以降なので、この風習も確実に近代以降のものだ。
 本来日の丸と皇室は無関係なようだが、旧日本政府が国威発揚に天皇制や日の丸等を利用していたのは明白で、自分はこの祝日に国旗を掲げる行為に、

 祝日=天皇、又は国から頂戴した休日

というニュアンスを感じてしまうし、その認識が全くの見当違いということもないだろう。また、日本人の多くは、祝日=天皇や国に許可をもらうことによって休める日、という認識と共に、日頃の休みも、雇用主から許可してもらうもの、のような認識も持っているように思う。有給を申請する際に理由を聞かれて答えるのが当然だと思っている人が多いのもその所為だろう。つまり休みは権利ではなく、誰かによって与えられ有難く頂戴するもの、みたいな認識が、日本人にはまだまだあるように思う。
 許可もなく勝手に休む奴とか、自分の権利ばかり主張する空気の読めない奴と思われたくない、のような感覚も、日本人の多くが週末や祝日以外に休む、つまり有給を消化することに消極的な理由ではないのではないか。


 こんな風に考えると、「モテ」に関する話の中で、人目を気にすることについてもバランス感覚がやはり大切、と書いたが、日本人にはバランスを欠いて人目を気にする側面があり、その弊害がいろんなことに滲んでいるのではないか?と感じる。


 トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 と、mohamed HassanによるPixabayからの画像 を組み合わせて加工した。

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