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字幕と吹き替えに見られる、同義語による置き換え


 字幕版と吹き替え版を見比べるのは面白い。どちらも、元の言語が翻訳されている、という点では同じだが、元の俳優と吹き替えた声優の声の差による、微妙なキャラクター性の違いを見たり、逆に殆どイメージが変わらないことを確認するのも興味深い。だが自分が主に注目するのは、字幕と吹き替えの言語表現の差だ。

 聞きかじり・うろ覚えなことを少し書くと、世界的には、外国映画は吹き替えの方が人気なのだそうだ。洋画の勢いが確実に邦画を上回っていた1990年代までは、日本は字幕が好まれる稀有な市場だったそうだ。しかし2005年頃、邦画の公開本数/収入が洋画を上回り、同じタイミングで日本でも吹き替えを好む人の割合が増え始めたそうだ。恐らく邦画を好む人の一部には、世界の多数派同様に「字幕を読むのは面倒」と感じている人達がいるのだろう。
 確かに自分が若い頃は、吹き替えは子ども向け、みたいな認識が間違いなくあった。俳優の本来の声が分かる字幕版の方が、その映画やドラマが持つオリジナルの雰囲気をより味わえる、という風潮があり、極端に言えば、字幕が王道で吹き替えは邪道、のような感覚だった。作品名や時期は失念したが、映画の字幕を遅れずに読めるようになったことを、一歩大人に近づいたと感じた記憶が薄っすらと残っている。
 しかし昨今、流石に映画は今でも字幕版の人気も根強いが、海外ドラマは吹き替え版の方が先に公開/放送されることも決して少なくない。映画は流石に今でも鑑賞に集中する、という人が多いのだろうが、ドラマに関してはスマートフォンやタブレット等で視聴する機会も増え、例えば料理をしながら、エアロバイクを漕ぎながらなど、画面に集中せずに音だけ聞いてもあらすじを追うことが出来る為、言い換えれば、何かをしながらの視聴に向いている為、吹き替え版が好まれている側面もあるだろう。

 自分は所謂オタク気質であり、兎に角出来る限り隅から隅までチェックしたい性質なので、期待している作品については何かをしながら見る気にはなれない。特に初見は鑑賞に集中したい。そして字幕版と吹き替えの微妙な雰囲気の差も味わいたいので、鑑賞できる環境にあれば、概ねまず字幕版を見てから吹き替え版を見返す。流石に映画は1日1回ずつ2日かけて両方を見るが、1時間枠のドラマや、見終えた後に満足感の高かった映画は間髪入れずに続けて見ることもある。
 複数の作品の字幕版と吹き替え版を見比べれば割合簡単に気が付くことだが、字幕と吹き替えで用いられる表現には差があり、どんな作品でも、確実に吹き替え版の方が日本語の情報量が多い。吹き替え版では触れていない要素に字幕版で触れているケースもあるが稀である。これを勘案すれば、1990年代まで主流だった「俳優の本来の声が分かる字幕版の方が、その映画やドラマが持つオリジナルの雰囲気をより味わえる」という認識は、必ずしも妥当とは言えないということだ。何故なら、吹き替えでは本来の台詞の90%の内容を表現できるとすれば、字幕では75%程度の内容に絞って表現されている、つまり吹き替え版の方が本来の台詞のニュアンスをより正確に知ることが出来るからだ(パーセントの数字はあくまでもニュアンス)。


 何故字幕版は吹き替え版よりも情報量に劣るのかと言えば、それは音で言語を認識するよりも、文字で言語を認識する方が時間がかかるからだ。日本を代表する映画字幕翻訳家・戸田 奈津子さんの講義に関する記事「戸田奈津子氏が語る「映画の魅力を表現する字幕翻訳」 アカデミーヒルズ」の中にこうある。
例えば「Margaret was born in San Francisco in nineteen-eighty. マーガレットはサンフランシスコで1980年に生まれた」という、なんてことのない英語です。こんな短い文章は3秒でしゃべれます。そうすると、3×3で、9か10文字で訳さねばなりません。
多くの人が無理なく読める日本語の字幕は1秒に3-4文字だそうで、3秒の台詞であれば、基本的に9-12文字の字幕に翻訳しなければならないそうだ。戸田さんの基準では3秒では9-10文字が目安らしい。つまり、
とにかく直訳していたのでは絶対に制限文字数に入りません。
ということだ。勿論できるだけ少ない文字数に情報量を詰め込み、しかも違和感なく成立させるのが翻訳者の腕の見せどころだろうが、場合によっては省かざるを得ない情報も出てくるだろう。だからどうしても字幕版は吹き替え版よりも情報量で劣ることになる。因みに、アルファベットの場合は12文字/1秒が目安なのだそうだ。
 俳優の本来の声とセリフの原義に近い内容の両方を、元の言語以外で知りたければ、字幕版と吹き替え版の両方を見ることは必須だろう。オタク気質の自分のように字幕版も吹き替え版も集中して鑑賞する必要があるかと言えば、決してそんなことはない。最初に字幕版を見た後、吹き替え版をながら視聴するだけでも、意識して見れば違いを感じることはできる。


 なぜこんなことを今日書いたのか、というと、昨日国会で安倍首相が
幅広く募っているという認識で、募集しているという認識ではなかった
という、なんとも珍妙な答弁をしたからだ(【報ステ】『桜を見る会』招待基準めぐり… テレ朝news)。


募る(ツノル)とは - コトバンク にも「広い範囲に呼びかけて集める。募集する」とあるし、最近制度が向上しているという評価もあるGoogle翻訳で「募集ではなく、募っている」を英語に翻訳すると「Not recruiting, recruiting」となる。


小学校高学年でも理解できることだが、

 募集する と 募る は同じ意味である

吹き替え版が「募集する」という表現だった場合、どちらでも意味は同じなので、字幕版では文字数を削る為に「募る」に置き換えられる可能性がある、ということだ。

 国会議員の本分はその名の通り国会での議論だ。日本の国会では当然のように日本語による議論が行われる為、日本語に明るくなければその役割を果たすことはできない。今の日本は、日本語に明るくない、言い換えれば議論を充分に果たす資質に乏しい男が首相を務めているという、とても残念な状況だ。


 トップ画像は、Photo by Immo Wegmann on Unsplash を使用した。

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