スキップしてメイン コンテンツに移動
 

法治国家にさよなら


 昨日、事実上の独裁宣言を日本の首相が行った。と書くと、多くの人は「お前は何を言っているんだ?」と思うだろう。それもある意味仕方がない。何故なら、それを多くのメディアが伝えていないからだ。人間には認知バイアスがある為、都合の悪いことを過小評価する傾向もある。
 「メディアが報じない○○」というのは、デマやフェイクニュースの一丁目一番地だとこれまで言いきってきたが、このところ、というか昨夏からしばしば批判しているように、最近のテレビ報道を見ていると全然そうとは言えない状況にある。流行している新型コロナウイルスに関連して大小様々なデマが飛び交っているが、デマが飛び交う背景には、政府が頻繁に捏造改竄隠蔽を行うことや、メディアの報道がバランス感覚に欠けている、ということもありそうだ。


 政府は1/31、63歳の誕生日前日の2/7に退官予定だった黒川 弘務検事長の定年を半年延長すると閣議決定した。黒川氏は政権に近い人物とされている。2/10の国会審議の中で、立憲・山尾議員が、定年延長の根拠とした国家公務員法の定年制の規定について、政府が39年前の国会で、検察官には「適用されない」と答弁していたことを指摘し、政府の対応と過去の答弁との食い違いを根拠に「違法だ」と批判したが、森 雅子法相は「規定は適用される」という趣旨の答弁を繰り返した(検察官は定年延長「適用されない」 39年前に政府答弁:朝日新聞デジタル)。という件には、2/11の投稿でも触れた。
 この件に関して、安倍首相は2/13の衆院本会議で、検事長の定年を半年延長した閣議決定は、法解釈を変更した結果だと答弁した。大事なことなのでもう一度強調しておく。安倍氏は

 法解釈を変更した

結果だと主張したのだ。


 「日本は法治国家である」ということに、殆どの日本人は疑いを持たないだろう。日本国憲法でも、98条で憲法の最高法規性、条約及び国際法規の遵守について、31条で法の適正な手続きの保障について規定されている。つまり、法の支配は日本の、というか近代民主主義国家としての原理原則だ。
 法律は言語を使って規定されており、立法時に想定されていなかった事態などが生じた場合など、複数の解釈が可能な場合も出てくる。しかし、立法時に想定されていた解釈というものが確実に存在し、それを誰かが勝手に捻じ曲げてしまうことは法の支配に反する。もしそんなことが横行すれば、法は法としての意味をなさなくなる。もし解釈の一方的な変更が許されれば、勝手に例外を設ける事も可能になる為、法に反しても「これは例外である」として言い逃れることが出来てしまう。立法府での検討もなしに、行政が勝手に法解釈を変更するなど言語道断だ。
 つまり、安倍氏が行った答弁は法の支配の否定だ。最も法を遵守しなければならない者の筆頭である国の最大権力者が、日本の法治を否定した瞬間であり、法の支配を否定したということは、事実上の

 独裁宣言

と言っても過言ではない。「そんな大袈裟な」と思う人もいるかもしれない。しかし、ヒトラーがいかにして独裁者になったかを考えれば、昨日の安倍氏の答弁は明らかにその入口だ。恐れがあるのが安倍氏個人による独裁でなかったとしても、このようなことを許せば、自民党が法よりも上位に存在することになる一党独裁体制に陥る恐れが確実に生じる。


 これまでも安倍氏は詭弁を用いて、しばしば法を無視した振舞いをしてきた。しかし昨日は明らかに「法解釈を変更した」と明言し、法を捻じ曲げて解釈したことを宣言した。これはこれまでよりも確実に深刻な事態だ。
 しかし残念なことに、これに触れたメディアは決して多くない。特にテレビでは殆ど扱われていない。今朝は7時に起きてテレビのスイッチを入れ、TBS・あさチャン!を見ていた。7時から30分間、新型コロナウイルス関連、CMを挟んで芸能人の薬物事犯での逮捕を報じていた。昨日は安倍氏が共産党を暴力革命組織と発言したり(安倍首相、共産は「現在も暴力革命」:時事ドットコム)、法解釈を変更し検察人事に介入したと公言するという、日本の法治を揺るがす深刻な事態が生じているのに、それよりも芸能人の薬物事犯報道が優先されている。自分はウンザリしてそこでテレビのスイッチを切った。
 テレビ朝日のバラエティー番組・ロンドンハーツの企画に「裏でこんなことやってました」というのがあるが、いろんな意味でテレビ報道にこそ必要な企画だ。

 この「法解釈の一方的な変更」について、在京テレビ各局のニュースサイトで検索してみた。

首相「恣意的人事との指摘は当たらない」検事長の勤務延長で | NHKニュース


見つかったのはこのNHKの記事だけである。NHKの伝え方はかなり政府寄りに見える。しかし他局ではそれ以前に全く記事が見当たらなかった。そもそも、黒川検事長の定年延長の件に一切触れていない局の方が多い。
主要な新聞社のサイトで検索しても、記事があるのは前述の毎日と朝日・東京新聞だけで、読売・日経・産経には記事が見当たらなかった。そのような深刻な事態を伝えるメディアがあるだけまだマシだが、主要なメディアの大半がこんなにも深刻な話を伝えていない。こんな状況ならば、事実上の独裁宣言を日本の首相が行ったと書いても、多くの人は「お前は何を言っているんだ?」と思うのも仕方がない。


 日本は、一応法は存在していたが、現在の基準で考えれば法治国家とは言い難かった戦前に逆戻りしつつある。またメディアも、政府や軍部に忖度して都合の悪いことは書かず、都合のいいように誇張、場合によっては嘘まで報じた戦中の状態に向かっていると言っても過言ではない。


 トップ画像は、Photo by Alyssa Kibiloski on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

優生保護法と動物愛護感

 先月末、宮城県在住の60代女性が、 旧優生保護法の元で強制不妊を受けさせられたことに関する訴訟 ( 時事通信の記事 )を起こして以来、この件に関連する報道が多く行われている。特に毎日新聞は連日1面に関連記事を掲載し、国がこれまで示してきた「 当時は適法だった 」という姿勢に強い疑問を投げかけている。優生保護法は1948年に制定された日本の法律だ。戦前の1940年に指定された国民優生法と同様、優生学的思想に基づいた部分も多く、1996年に、優生学的思想に基づいた条文を削除して、母体保護法に改定されるまでの間存在した。優生学とは「優秀な人間の創造」や「人間の苦しみや健康問題の軽減」などを目的とした思想の一種で、このような目的達成の手段として、障害者の結婚・出産の規制(所謂断種の一種)・遺伝子操作などまで検討するような側面があった。また、優生思想はナチスが人種政策の柱として利用し、障害者やユダヤ人などを劣等として扱い、絶滅政策・虐殺を犯したという経緯があり、人種問題や人権問題への影響が否定できないことから、第二次大戦後は衰退した。ただ、遺伝子研究の発展によって優生学的な発想での研究は一部で行われているようだし、出生前の診断技術の発展によって、先天的異常を理由とした中絶が行われる場合もあり、優生学的な思考が完全にタブー化したとは言い難い。

日本の代表的ヤクザ組織

  ヤクザ - Wikipedia では、ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているもの、と定義している。報道や行政機関では、ヤクザのことを概ね暴力団とか( 暴力団 - Wikipedia )、反社会勢力と呼ぶが( 反社会的勢力 - Wikipedia )、この場合の暴力とは決して物理的暴力とは限らない。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。