日本に限らず城の周りには、敵の侵入を防ぐために濠が巡らせてあることが多い。濠と言えば、多くの人はトップ画像のような水濠を想像するだろうが、水を張らない空濠の場合もある。現在は「ほり」全般を掘、又は濠と書くことが多いが、水濠を「濠」とし、水を張らない空濠の場合は「壕」の字を当てるべきだ、という人もいたりする。また、自然の地形である川や崖などを濠の一部としていることもある。
今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は戦国時代の武将で、織田 信長を本能寺の変で討った明智 光秀が主人公だ。第4回の放送では竹千代、つまり幼少期の徳川 家康が早々に登場した。
織田 信長と豊臣 秀吉、そして徳川 家康は戦国時代を舞台にした時代劇にはほぼ確実に登場する人物である。歴史に疎い者でも、天下統一目前で明智に討たれた織田 信長の後を継いで豊臣 秀吉が統一を成し遂げたが、豊臣 秀吉の死後徳川 家康が実権を握り、現在の東京・江戸に新たに幕府を設け、それから約250年間江戸時代が続くことは知っているだろう。
既に江戸に幕府を開いていた徳川 家康と秀忠親子が、豊臣 秀吉の三男・秀頼を討ち、豊臣家に終止符を打った大坂冬の陣/夏の陣も、明智 光秀が主人公の今年の大河ドラマでは恐らく触れられることはないだろうが、戦国時代を舞台にした時代劇では、戦国時代の終わりの象徴としてよく取り上げられる。次の画像は、黒田 長政が当時一流の絵師を集めて描かせた「大坂夏の陣図屏風」である(大坂の陣 - Wikipedia)。
徳川方は、大坂冬の陣で大砲を用いて大坂城を砲撃し講和に持ち込んだ。講和の条件として大坂城の本丸以外、つまり二の丸・三の丸と、外濠だけでなく内濠まで埋め立てることに成功した。難攻不落とされていた大坂城はまんまと丸裸にされてしまい、それが大きな理由となって、翌年の大坂夏の陣で豊臣方は敗北を喫することになり、戦国時代は幕を閉じた。
目的を達成する為に用意周到に周辺へ根回しをしたり、その目的の周囲にある、些細なことであってもネガティブな要素を取り除いていく様子を「外堀を埋める」と表現する。「外堀を埋める(ソトボリヲウメル)とは - コトバンク」でも、関連用語として大坂の陣が挙げられている(大坂の陣(おおさかのじん)とは - コトバンク)。
大坂の陣で豊臣方が敗北を喫した最も大きな理由は、明らかに濠の埋め立てを認めてしまったことだ。まだ若かった秀頼や、その周辺の者が「濠の存在こそが大坂城が難攻不落たる所以」ということを軽視したこと、冬の陣で目前の講和に注目し過ぎて長期的な視点を持てなかったことなどが主な敗因だろう。「濠の存在が余りにも当たり前になり過ぎていた為に、その重要性についての認識が低下していた」と分析する人もいるようだ。
例外はあるものの、人間はどんな状況にも慣れる。例えば、ブラック企業で働いている人は、自分の置かれている環境の異様さに気付けず、それが一般的なことだと認識してしまいがちであり、辞めて初めて、別の企業で働くことによってその異様さを認識する、なんて話はよくある。
この動画のように「写真の一部が徐々に変化していく間違い探し」というものがある。写真のある部分が急激に変化すれば、誰もがその変化に気付くことが出来るだろうが、変化のスピードがゆっくりだと変化を認識するのが難しいという、人間の特性を利用した間違い探しだ。
次の動画は、この間違い探しの変化前のコマと変化後のコマだけを2秒ずつ繰り返す内容で、このように編集すれば双方の違いは一目瞭然である。
外堀を埋めるスピードがゆっくりだと、外堀を埋められている側はその変化に気付き難いということだ。逆に言えば、外堀を埋める際は急激に埋めるのではなく、焦らずゆっくりと進めていくと上手くいきやすい、ということでもある。
現在政府は、総理大臣による「緊急事態宣言」を可能にする新型インフルエンザ等対策特別措置法の法改正を進めようとしている(政府「緊急事態宣言」可能にする法案 14日施行の方向 | NHKニュース / インターネットアーカイブ)。しかし、官房長官は「現時点では宣言する状況にはない」という認識を示している。
果たして新型コロナウイルス対策に法改正は必要なのだろうか。安倍氏は、2/29の記者会見で「これから1-2週間が瀬戸際」と述べたが、政府対策本部に設置された専門家会議がその見解を示したのは2/24のことだ。つまり、2/24から2週間ということなら、3/14は明らかにその期間の後だ(新型コロナ、瀬戸際いつまで? 政府の「1~2週間」曖昧:時事ドットコム)。特に野党からは現行の特措法で充分に対応が可能であり、法改正は必要ないという声も聞こえる。今すべきは必要性の薄い「緊急事態宣言」を可能にする法改正ではなく、その瀬戸際を乗り切る為の実効性のある施策だ。
「【詳報】首相「法改正やらせて」 新型コロナで野党に:朝日新聞デジタル」にはこうある。
背景には、自民改憲草案の緊急事態条項をめぐる議論の過程で、政府に権限を集中させて私権制限を可能にすべきだという意見が根強かったことがあります。今回の感染拡大でも話題になりました。
一方で首相が特措法改正を提唱するのは、法的根拠のないまま「見切り発車」した小中高校の一斉休校要請などについて、後から法の「お墨付き」を得る狙いもあるのでしょう。2月1日にさかのぼって適用するという法案内容からも、見え隠れします。
もし首相が特措法を改正して緊急事態宣言を発するのであれば、改憲を語る前に、日本国憲法で保障されている財産権、集会など表現の自由、そして基本的人権などの権利が過度に制限されることが本当にないのか、国民に丁寧に説明する必要があります。
また、緊急事態宣言を発する必要がないのに法整備を急ぐ真意が法的お墨付きを得るためだったり、「やっている感」を出したりすることにあるのなら、未来の有権者となる小中高生を含め国民を置き去りにしていると言わざるを得ません。かなり長く引用したが、どれも重要で欠かせない話なのでそのまま引用することにした。
1/30に自民党・伊吹氏が二階派会合で、新型コロナウイルスの感染拡大についてこんなことを言っている。
緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない(東京新聞:新型肺炎「緊急事態の一つ、改憲の実験台に」 伊吹元衆院議長:政治(TOKYO Web))
自民党と政府は一体何をしようとしているのか。自分には新型コロナウイルス対策を隠れ蓑にして、実際は対策よりも自分達が望む憲法改正、というか改悪を推し進めようとしているようにしか思えない。言い換えれば、新型コロナウイルス対策にかこつけて外堀を埋めようとしているのだ。
現在政府と与党によって3/14に、総理大臣による「緊急事態宣言」を可能にする新型インフルエンザ等対策特別措置法の法改正がなされても、菅氏の言うように即座に緊急事態が宣言されることはないだろうし、もしかしたら安倍政権下では緊急事態が宣言されることはないかもしれない。しかし、法というのはその政権が交代した後も改正されない限り存在し続ける。抜け穴のある法、悪用の危険性を孕む法を成立させてしまえば、後に他の権力者によって悪用されてしまう恐れは間違いなく残る。つまり、現政権が直ちに緊急事態宣言をしない状況であっても、悪用される恐れのある法は成立させるべきでない。
写真の一部が徐々に変化していく間違い探しのようなもので、実際は変化前と変化後のように大きな違いがあるのに、「今は使わないから」という話で慣れさせよう、話を押し通そうという思惑に溢れていることは、伊吹氏の「実験」という見解からも強く感じる。
そして何より、全国的な休校要請という、社会に多大な影響を及ぼす方針を決める過程を記録を残さない政権が、緊急事態宣言という市民の権利を制限できる制度を欲していることには、強い懸念を感じるのが自然ではないのか、というか寧ろ感じないという人の気が知れない(一斉休校要請決めた会議も「議事録なし」 蓮舫氏「あまりに不誠実」9日参院予算委で追及へ - 毎日新聞)。
日頃から記録を改竄したり隠蔽したり捏造したりする政権が、緊急事態を宣言した際に、果たして正確な記録を残すだろうか。記録がなければ、後に行われた施策が適当だったかどうかを検証することすらできない。
幸いなことに、現政権は「外堀を埋める」のがとても下手だ。しかし、日本の有権者の約半分は、そのとても下手な外堀を埋め方にさえ気付かないような人達なのだ。ドイツ国民のように、ナチやヒトラーを民主的な選挙で選んだことを「こんなはずじゃなかった」と開戦後、若しくは敗戦後に言っても後の祭りだ。そんなことにならないように、小さな変化にも気が付けるように常にアンテナの感度は高めておく必要がある。
トップ画像は、Photo by Kamil S on Unsplas を加工して使用した。