もし食事が白米だけだったら多くの人が物足りなさを感じる筈だ。「白米だけ」でなくみそ汁とお新香が付いていても、やはり多くの人が物足りなさを感じるだろう。殆どの人が1品だけでもおかずが欲しいを思う筈だ。
だが、その食事が5日ぶりの食事だったらどうだろうか。多分、充実したおかずの食事を毎食とり続ける中での白米だけの食事とは比べものにならない程の幸福感を、白米だけの食事から感じることになるだろう。みそ汁やお新香が付いていたら、その有難がたさはさらに倍増するはずだ。このように同じ白米だけの食事でも、状況によってその印象は大きく変化する。
小学校に入る前の自分は白いご飯が好きではなかった。ふりかけがないと食べられないとよく駄々をこねていた記憶が残っている。だが、いつどうやって白米を残さず食べられるようになったか、も鮮明に覚えている。
白米だけの食事に物足りなさを感じるのも、子どもがふりかけがないと食べられないと駄々をこねるのも、白米の味が淡泊で「美味しい」とは思えないから、ではないだろうか。ご飯は寧ろ淡泊なのがいいという考え方もある。おかずと口の中で合わせることで美味しさが増すという人もいる。だが、白米だけでもよく味わえば甘味やうま味を感じることは出来る。特に新米を上手に炊き上げればその風合いは強く感じられる。しかし、白米の有難がたさを感じるには、前段で書いたような状況で味わってるみるのが一番なのかもしれない。
だが、小学校に上がる前の子どもに数日間絶食させてご飯の有難がたさを理解させる、なんてことをすれば虐待にもなりかねない。勿論小学校入学前の自分も、そんな方法で白米を残さず食べられるようになったわけじゃない。自分が白米を残さず食べるようになったのは、祖母の話を聞いたからだ。
夏に祖母の家へ家族で行った際、いつものようにふりかけがなく、ご飯が食べられないと駄々をこねていた。するとそれを目の当たりにした祖母が説教を始めた。自分の祖父母世代は戦争を10-20代で経験した世代である。祖母は白米が食べられることの素晴らしさを、それはもう嫌と言う程丁寧に語った。語りつくした。そんな話を聞いても「で?だから?」と思う子どももいるだろう。しかし祖母の話が巧妙だったからか、幼い自分の心にも強く刺さった。勿論すぐに白米が好きになったわけじゃない。でも、自分の祖母が過去に白米すら食べられない状況にあったことを想像すると、残しちゃいけない、という気分になり、程なくして白米を美味しいと思えるようになった。
白米だけの食事は、毎日おかずの充実した食事をしていたら、寧ろ残念感すら漂うが、何日か絶食した後にやっとありつけた食事なら幸せこの上ない。また、過去に自分の家族が白米すら食べることができない状況にあったことや、世界中には、まだまだ食べるのに困っている人が少なくないことを想像でして向き合えば、やはり白米だけの食事に幸せを感じることが出来る。
このように、最初にマイナスの印象を与え、その後にプラスの印象を与えた方が、より良い好印象を抱かせることができる、ことをゲインロス効果と呼ぶそうだ。自分は所謂強面なのだが、以前接客業のバイトをしていた際に、喋らないと怖がられるが、普通に喋りかけると大概の客が、「あ、この人見た目は怖そうだけどそんなことないんだ」という風に思ってくれるので、普通に喋るだけで有難がたがられしかもなめられ難い、というメリットを感じていた。それもゲインロス効果の1例だろう。
これまで自粛を呼び掛けるだけで、その自粛によって生じる損害に対する補償の話を一切してこなかった都知事が、感染拡大防止の為に市民へ利用自粛を呼び掛けた、バーやクラブなどの業種に対する支援制度を創設する方針を固めた、という報道が昨日あった。
東京都、営業縮小のバー・クラブなどに支援金給付へ :日本経済新聞
これについて、渋谷区観光大使ナイトアンバサダー等も務め、日本のナイトクラブシーンの普及維持にも力を入れているラッパーのZeebraさんが、
どうやら声が届いた様ですね!小池さんありがとうございます!— Zeebra (@zeebrathedaddy) April 3, 2020
東京都、営業縮小のバー・クラブなどに支援金給付へ: 日本経済新聞 https://t.co/pVYBMvbxEn
とツイートしていた。
音楽やライブ活動を生業にしていたアーティストたちが連帯して声を上げていたことは自分も知っている(「#SaveOurSpace」に30万筆の署名集まる ライブハウスなど文化施設への補償求め、嘆願書提出へ | ハフポスト)。だから「声が届いた」と喜ぶ気持ちも分かる。小池氏が結果的に反応を示したことも一定の評価をしなくてはならない。しかし、この人が五輪延期が決まるまで殆ど何もせず、その後も自粛要請だけで、そのような声がなければ対応しなかった人であることは、絶対に忘れてはいけない。
ヤンキーがいい事をすると、常にいい事していた生徒よりも褒められる。のと同じである。しかも、まだ方針が示されただけであり、具体的な中身すら明らかにされていない。
昨日は中央政府からも、新型コロナウイルス感染拡大で収入が落ち込んだ世帯へ一世帯30万円を現金給付する方針がやっと示された。これについても、一部で英断だと称賛する声が上がっている。
東京新聞:<新型コロナ>現金給付、1世帯30万円 政府方針 減収申告、所得制限なし:経済(TOKYO Web)
しかし、一世帯当たり30万だと大家族程損をするし、収入が半分以下に減少していることを条件に減収分を補填するという手法では、給付を受けたい者が減収を証明しなくてはならないだろうが、フリーランスや自営業などのように収入に波があると減収を証明し難い。また、審査にも膨大な手間と時間がかかるという指摘もある。政府には収入が落ち込んでいる人達の緊急性が理解できていないとしか思えない。勿論これまでに比べれば、政府がやっと重い腰を挙げたと言えるかもしれない。しかし、この緊急時に、感染拡大から2ヶ月以上も過ぎてからやっと重い腰を上げているような政府が、ちょっと望ましい方針を示したからと言って英断だと称賛できるか?と言えば、そんな気には全くならない。何故ならこの1ヶ月だけでも、旅行代金の援助、収束後の高速無料化とか、お肉券・お魚券の配布とか、ウイルス対策効果は低いとされている布マスクを、しかも国民1人に1枚ではなく世帯当たり2枚配布することを検討するなど、政府はかなりの時間を無駄にしてきている。それ以前は殆ど何もしてこなかった。
つまり今の政府がこのような方針を示したことを、英断だと褒めるのは、
今まで5点しか取れなかった生徒が、20点取れるようになったことを過剰に褒め称える。のと同じだ。これから伸びしろのある未成年に対してならそれもアリかもしれない。しかし、結果が全てと言っても過言ではなく、しかもスピードが重要な緊急時において、そんなことをやっていたらどんどん状況は悪化する。
政府や都が現状を把握できないのに合わせて、市民までそれに付き合えば、その先に待っているのは惨憺たる状況にほかならない。
1から10まで声を届けなければ適切な判断が出来ない政治に対して、1から10まで指摘するのは、ハッキリ言って時間の無駄だ。平時なら有事よりは大目に見られるが、有事にそんなことをしている余裕はない。しかも国は、支援対象から所謂水商売や風俗業に携わる者を除外するとし、それを所管する厚労大臣があらためて「その方針に変わりはない」と公言する始末である。
新型コロナ「保護者助成制度 風俗業は対象外変えず」厚労相 | NHKニュース
あからさまな職業差別という憲法に反する行為を、感染症と労働を所管する行政機関が、労働者に向けた感染症対策の中でしている。しかもその機関の責任者である大臣は、指摘を受けてもその方針を変えない。これは大臣だけの責任では済まず、行政の長にも責任の及ぶ話だ。そうでなければ日本は差別容認国の烙印を押される。
その判断は、反社会勢力との繋がりを懸念しての判断だそうだが、風俗営業は各都道府県の公安委員会による許可制だ。許可された風俗営業で働く人が公金援助に相応しくない職であれば、許可した公安委員会も同様に公金で運営されるに相応しくない組織ということになりはしないか。それよりも何よりも、公金を使って開催した桜を見る会に、反社会的勢力の人間を招いていたのに、政府は自分達のことは棚に上げるつもりだろうか。もう支離滅裂という言葉では全く足りないくらいに支離滅裂だ。
赤ん坊は立ちあがり歩いただけでひどく称賛される。しかし大人を、立ち上がっただけで称賛するのは明らかに馬鹿げた話だ。こんな政府や首長が、1つまともな方針を示したくらいで一喜一憂するのは馬鹿げている。さっさと根本的な解決方法を実践すべきで、つまり愚者をその座から引きずり降ろさねばならない。一時的に対応が遅れても結果的には様々な無駄が省けるだろう。
トップ画像は、juemiによるPixabayからの画像 を使用した。