プロパガンディは1986年に結成したカナダのパンクバンドである。自分がこのバンドを知ったのは、1990年代、グリーンデイやNOFXなど新世代のパンクを(70-80年代の、ピストルズやクラッシュ等・主に英国発パンクに対する、80年代後半から90年代の、主に北米発のパンクという意味での”新世代”)、日本ではメロディックコア、略してメロコアと呼んでいた時期だ。
そもそもパンクはイデオロギーと密接な存在だったが、1990年代のパンクバンドは、あまりイデオロギー性を帯びていないバンドも少なくなかった。但し、プロパガンディやアンタイフラッグなど、政治性を帯びたメッセージを曲に込めるバンドも当然あった。また、厳密にはパンクの範疇には入らないかもしれないが、1990年代パンクを好む層に人気のあったレイジアゲインストザマシーンも、間違いなく政治性を隠さない、というか寧ろ強く押し出すタイプのハード系なバンドの一つだった。
今日のトップ画像は、プロパガンディが1993年にリリースしたアルバム「How to Clean Everything」のジャケットである(How to Clean Everything - Wikipedia)。今日の投稿で書きたいことである、プロパガンダがモロにバンド名になっていることと、直訳すると「全てを清潔にする方法」となるアルバムのタイトルが、新型ウイルスが蔓延する現在の状況にも合致しているように感じられたので、これをトップ画像に選んだ。
プロパガンディの日本語版Wikipediaページは設けられていないが、次のViceの記事が、このバンドのことを理解するにはちょうど良さそうだ。
ポリティカル・パンク・シーンの牽引者から参加者となったPROPAGANDHI - VICE
「プロパガンダ」を、Wikipediaの当該ページでは、その冒頭で
プロパガンダ(羅: propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為と説明している。同ページの概念という項目の最初に「あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ、同義であるとも考えられている」とあるように、プロパガンダが指すのは、本来ニュートラルな意味合いでの広報活動/政治活動なのだが、現在、特に日本では、主にネガティブな文脈で用いられることが多く、現在の日本では
プロパガンダ=権力、若しくはそれに肩入れする者による意図的な世論誘導
のような意味で用いられることが殆どだ。ナチが行った宣伝活動や、戦前の日本で行われた情報統制などのようなイメージを、プロパガンダという表現から連想する人が殆どなのではないだろうか。マスクに飛行機 日航地上係員「笑顔になって」 手作りで保育園児に贈る - 新着 - 毎日動画
これは毎日新聞が、「マスクに飛行機 日航地上係員「笑顔になって」 手作りで保育園児に贈る - 毎日新聞」という見出しの、5/4の記事用に公開したムービーである。
新型コロナウイルスの感染防止のため、成田空港(千葉県成田市)で働く日本航空の地上旅客係員が子供用の飛行機の絵柄のマスク1800枚を手作りし、空港周辺の成田市など9市町の保育園やこども園に贈った。という内容だ。
日本の首相・安倍 晋三が4/7の会見で
欠航が相次ぐエアラインの皆さんは、医療現場に必要なガウンの縫製を手伝いたいと申し出てくださいましたと述べ、新型コロナウイルス対応担当の西村経産大臣も、4/8にテレビ番組にて
CA(客室乗務員)さんたちも手伝うという申し出があったと述べたが、欠航が相次いでいることで手が空いているのはCAだけではないのに、何故CAに限定した見解が示されたのか。裁縫=女の仕事、のような旧態依然な価値観によるものではないのか、などの批判に晒された。この時は、全日空のCAと各所で報じられ、ITメディア・ねとらぼが全日空へ取材したとする記事を掲載している。
批判殺到の「CAに防護服の縫製を依頼」は本当なのか? 編集部取材にANAは「困惑している」 - ねとらぼ
この時に起きた批判が、果たして実態を適切に捉えた上での批判だったかどうかは、現時点では断定し難いが、現政権と与党が重視する、男は外で働き、女は家で家事と子育てをするのような伝統的家族観や、日本の政治家や経営者などには、相変わらず旧態依然の男尊女卑的価値観を平気で示すような者が少なくないことを考えると、欠航が相次いでいることで手が空いているのはCAだけではないのに、明らかに女性が多いCAについてだけ言及したのだから、そのような批判が起きても仕方がないように思う。
で、そんなことがあったにも関わらず、JALの地上旅客係員が自社のハンドタオルをマスクに作り直す、ということが5/4に記事になった。
JALが地上旅客係員にマスク作りをさせたのか、地上旅客係員達が自発的にやり始めたのかは分からない。だから、この記事をどう受け止めるかは、どちらの可能性が高いと考えるか、若しくは別の可能性を考える、などによって受け止め方はそれぞれ違うだろう。だが自分は、前者の恐れの方が高いと考える。
なぜそう見えてしまうのかというと、
- マスクを作っている地上旅客係員が制服を着ている
勿論、その種の宣伝活動やアピールは決して絶対的に不適切な行為ではない。慈善的な活動をアピールして知ってもらうのは決して悪いことではなく、寧ろある意味では必要なことだ。だが、4月冒頭の件があったのだから、女性スタッフだけが制服でマスク作りをしている絵をアピールに使えば、「JALは裁縫=女性の仕事と思っています」と受け取られてしまう恐れがあること、露骨な宣伝と捉えられる恐れがあることは、割合容易に推測出来たのではないだろうか。
しかも、首相が講じた天下の愚策、鼻を隠せば口が出る小さな布マスクを各世帯に2枚配布する、という件もあったのだから、ハンドタオルをマスク化しても、それは「ないよりはマシ」程度の気休めにしかならない、ということは既に明白であり、このようなアピールは、情緒的な意味合いが強い、と認識される恐れだって否めない。
布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
JALや毎日新聞が「そう思われてもいい」と考えた上でやっている、という可能性もあるが、自分にはそんな純情な話とは認識できないのでこのような投稿を書いている。自分はこのJALの女性スタッフが制服姿でマスクを手作りという件から、日中戦争が始まるおよそ1か月前・1937年6月の、「レヴューガールも軍事教練」という見出しが付けられた、大阪松竹少女歌劇団の団員女性たちが、ステージ衣装のような格好で地面に伏せて銃を構える写真が添えられた記事を思い出した。
昭和12年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の教練風景。「日刊時事写真」同年6月13日付。盧溝橋事件直前のこの時期に「レヴューガール」が軍事教練をする必然性はあまりないのだが、華やかな職業婦人のこうした「やってる感」の演出は社会の雰囲気を形成するのに役立つので、プロパガンダでは多用された。 pic.twitter.com/YUf4E6Fl5F— 早川タダノリ (@hayakawa2600) April 17, 2020
当時似たような記事は他にもあったようだ。
エロスと、ぐんこく - 佐藤いぬこのブログ
あとは、この写真の背景に写ってる建物から、大阪のどこなのかが特定できれば確実なんだけど、ちょっとそこまでは難しそう。 pic.twitter.com/bB53WZaWfW— 風のハルキゲニア (@hkazano) February 9, 2014
1930年代の日本では急速に軍国主義・全体主義化が進んでいたことを考えると、このようなこと・記事はほぼ間違いなく政治的な宣伝、広報活動の一環だろう。歌劇団員たちがなぜこんな服装で訓練をしているのか、を考えれば、これが政治的プロパガンダであろうことは一目瞭然だ。
JALの女性スタッフが制服姿でマスクを手作りという件が、果たして政治的なプロパガンダの一環で行われたことかは定かでないが、この1937年の件に鑑みると、そうとしか思えなくなってしまう。
もし「政治的なプロパガンダの一環ではない」と、JALや当該スタッフ、そして記事を書いた毎日新聞の記者が述べたとしても、それは「そんな意図はない」と言っただけのことでしかなく、意図したか否かは関係なく、結局は、若しくは結果的には、情緒的で政治的なプロパガンダに加担した、ということに違いはないのではないだろうか。