近代化を推進し、西洋式を積極的に取り入れようと、明治政府は男性には髷を結わなくてもよいとする散髪脱刀令を出す一方で、当時女性が髪を短くすることは禁止されていて、届け出ないと罰せられたそうだ。散髪脱刀令の趣旨を「女子も散髪すべきである」と誤解した女性が男性同様の短髪にすることを防ぐ為に、東京府は1872年(明治5年)に「女子断髪禁止令」を出している。
これらの資料では東京の事例しか触れられていない。近代以前から東京は江戸として日本の中心であり、しかも当時は開国直後であり、東京が先進的な土地柄だったことが想像でき、女性の断髪禁止は東京のみならず全国的なものだったことが推測される。だがそれはあくまでも推測に過ぎない。他の地域での具体的な事例がなければ、果たしてそのような風潮が全国的なものだったのか、それとも東京が例外的だったのかは分からない。
東京府が女子断髪禁止令を出す前年の1871年(明治4年)に、千葉県の地方紙・千葉新聞輯録が、
近頃府下に女の断髪せる多し、櫛笄の虚飾と油元結等の冗(むだ)を去り、簡に就くと云べし、序でに袂を切り袖を細くし袴を穿て丈を短くし、巾広の帯を廃して細帯に改めなば、無益の費(ついえ)を去ること莫大なるべし。という、「最近東京では、髪を短くして整髪料を節約する女性が増えた」という内容を含む記事を掲載したそうだ(明治ゆるふわストヲリイ◆明治ガールの散髪編 shou|note)。千葉の新聞が、東京は今こんな感じ、と書いている。つまり当時千葉ではまだ髪を短く切る女性が多くはなかった、若しくは女性が髪を短く切ることは嫌悪の対象とされていた、と考えるのが自然だ。
明治の女性、髪を切るのに「断髪届」 千葉の民家で発見:朝日新聞デジタル
これは朝日新聞が掲載した記事で、「長男の妻が長患いが治るよう願をかけて7月に髪を切った」という、1876年(明治9年)の断髪届の控えが千葉県内の旧家で見つかった、という内容だ。つまり、千葉でも女性が髪を短く切ることが禁じられ、やむを得ない場合は届け出が必要だったということを示す資料だ。
当時日本では、「長い黒髪こそ女性らしい姿」という価値観が支配的で、だから女性が髪を短くすることが禁じられていた、というのがやはり実情のようだ。これを聞くと、何とも全時代的な…と多くの人が感じることだろう。現在女性がショートヘアにするのは当然個人の自由だ。もし「女性の髪は黒い長髪に限る。それ以外の髪形は届け出制且つ許可制にする、した方がいい」なんてことを、政治家やコメンテーターのような人の中の誰かが言いだしたら、間違いなく国内外から「個人の権利・自由の侵害である」とかなりの批判に晒されることになる。
しかし、今の日本は決して明治の日本と比べて先進的とは言えない。
それは何故か。未だに女性にハイヒールやスカートの着用を強制したり、女性にのみ眼鏡の着用を禁止する、という企業が存在しているからだ。
2019年、グラビアアイドル/ライターなどとして活動する石川 優実さんが、日本の職場で女性がハイヒールおよびパンプスの着用を義務づけられているケースが少なくないことに抗議する社会運動・#KuToo を始めた(KuToo - Wikipedia)。また、眼鏡をかけると冷たい印象になる、という理由で女性の眼鏡着用を禁止している企業が、大手にも複数ある、という話も話題になった。
KuTooの石川優実さんが記者会見で訴えたこと 「『女性差別ではない』という意見も多いけど、簡単に否定しないで」 | ハフポスト
女性社員は「メガネ禁止」、冷たい印象だから? 日本で物議 - BBCニュース
更に、2019年の6月、2020年現在も続く安倍自民党政権で当時厚生労働大臣だった根本 匠氏が、
社会通念に照らして、業務上必要かつ相当な範囲であれば、そうした服装規定は受け入れられるとと発言して批判された(職場のハイヒール「必要」な場合も 根本厚労相、強制規定を容認 - BBCニュース)。また、石川さんや賛同者の主張は「ハイヒールを廃止しろ」ではないのに、#Kutoo を始めた石川さんはそれを理由に、SNS上などで多数の誹謗中傷に晒されている。
黒髪長髪を女性に強要していた明治時代と今の日本は少しも違わない。
例えば女性性をウリにしたショービジネスなどの衣装として、若しくはそれ以外でも、何かしらの式典などの際のみにハイヒールの着用を原則として義務付ける、などのようなケースならば、強制が認められる、という話は分からなくはないし、黒髪ストレートをウリにしたアイドルグループに黒髪長髪が求められ、髪を勝手に短くするのが禁止される、というケースも否定されるものではない、と自分は考えているし、#Kutoo の抗議活動も概ねそういうものは否定していない。
何に抗議が起きているのか、と言えば、そのような女性性が求められる合理性があるとは考え難い、ごく一般的な職場でも、ハイヒールやスカートの着用、眼鏡禁止などが女性に求められていることへの抗議が行われている、というのが実情だ。根本氏の発言は、そのような抗議活動の趣旨を無視した内容だったから批判に晒された。注目すべき点を見誤れば、厳しく言えば都合のよいことだけを強調した発言が、批判されるのは当然だろう。
特に眼鏡禁止については、冷たく見える、という理由での禁止が大半だそうで、ならば女性だけでなく男性に対しても眼鏡着用を禁止にすべきなのに、指摘されているケースでは何故か女性に限定して眼鏡の着用を禁止している。それは明らかに性差別だろう。明確に差別とまでは言えないケースであっても、女性らしさに限らず○○らしさを不必要に求めることは、個人の権利と自由の侵害につながる行為である。
こんな風に、明治時代、つまり150年前と大差ない日本は果たして本当に先進国と言えるだろうか。トランプ米大統領が5月に示した、韓国、インド、オーストラリア、ロシア、ブラジルの5カ国を加えてG12とする、G7・先進7カ国首脳会議の拡大構想について、日本が韓国の参加に反対する意向を示していたそうだ。
日本、米国に「G7の枠組み、現状維持を」 トランプ氏拡大構想で - 毎日新聞
この毎日新聞の記事には「韓国の参加に反対」という文字がない。しかし、
日本政府がG7の枠組みの拡大に慎重なのは、アジア唯一の参加国である日本の地位低下を招きかねないとの危機感が背景にある。とある。つまりアジアから日本以外に韓国が先進国首脳会議に参加すると、日本の優位性が下がる、という関係者の話を紹介している。毎日新聞の記事は果たしてフェアだろうか。因みに共同通信はしっかりと「日本、拡大G7の韓国参加に反対 対中、北朝鮮外交に懸念」という見出しで報じている。
この投稿の趣旨である女性の権利軽視以外にも、そんな利己的な理由で韓国のG7参加に反対しているということからも、現在の日本は先進国とは言えないと判断できる。 また、政府に都合の悪い文言を伏せる毎日新聞の記事も、間違いなく先進国の報道機関の記事とは言えない。つまり、社会もメディアも政府も先進国とは言えない状況なのが今の日本だ。寧ろ日本をG7から外し、韓国を変わりに参加させるのが妥当ではないだろうか。
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