スキップしてメイン コンテンツに移動
 

集約と分散のメリットとデメリット


 1980年代の中頃までビデオデッキのある家庭は裕福だった。若しくは父親等が新しい物好きな家にしかなかった。自分の家にビデオデッキが導入されたのは、確か1987年か88年くらいだ。ファミコンの方が間違いなく先、ビデオデッキが備わったのはそれよりも確実に後だった。

 しかしその直後の日本が、バブル期という空前の好景気になったこともあって、瞬く間にビデオデッキは普及した。今日のトップ画像にしたのは、パナソニックが1990年頃に発売した、VHSビデオデッキとブラウン管テレビを一体化した商品、所謂テレビデオである。 
 テレビデオ - Wikipedia によると、それ以前にも似た製品がなかったわけではないようだが、 この種の製品がポピュラーになったのは1990年以降であることは間違いない。今ではテレビにHDDをつなげばテレビだけで録画が出来て当然なのだが、2000年代まで液晶テレビとDVD/HDDレコーダーが別だったように、ビデオデッキの普及期もテレビはテレビ、ビデオデッキはビデオデッキというのがポピュラーで、その一体化はある種画期的であった。
 それ以降は他メーカーからも同種の製品が多数発売され、配線が苦手な人や、部屋の狭い一人暮らしの人などに好まれていたように記憶している。だがテレビデオには結構大きなデメリットがあった。1990年代後半、友人宅の半分程度がテレビデオだったが、ビデオデッキ部分が壊れて修理に出した際に、一体型なのでテレビまで同時に部屋からなくなってしまうケースがしばしばあった。テレビとビデオデッキが別々ならば、ビデオデッキだけ修理に出してもテレビは見られるが、テレビデオではそうはいかない。当時から家電製品好きだった自分は相談を受けた際に、テレビデオは買うべからず、別々に買えと指南していた。

 何かと何かを一体化することには勿論メリットもある。だが、前段の例のようにデメリットが生じる場合も当然ある。自分がメリットを感じられなかった一体化に、2000年頃に小さな流行になったMP3ファイル再生機能付きデジカメがある。

ASCII.jp:富士写真フイルム、MP3ファイルも再生できるデジタルカメラ『FinePix 40i』を発表――432万画素スーパーCCDハニカムと単焦点レンズ搭載


 今では音楽再生機能もデジタルカメラも、スマートフォンの1つの機能として統合されているのが当然だ。だが、当時は記録メディア(まだSDカードは普及しておらずスマートメディアが主流だった)の容量は小さく、且つ価格も高額で、メディアを複数枚潤沢に所有するのは現実的でなく、撮ってはPCにこまめにバックアップするのが一般的な運用だった。
 フィルムカメラ程ではないにせよ、一度の外出で撮影できる写真の枚数に限りがあったのに、MP3ファイルをメディアに入れると撮影できる枚数は更に少なくなってしまった。また電池の持ちも決して良いとは言えず、音楽再生で電池を消費すると肝心な時に撮影が出来なくなるリスクもあった。
 確かにMP3プレイヤーとデジタルカメラを一つまとめることで荷物を減らせるというメリットはある。だが前段で指摘したデメリットに鑑みれば、それは本末転倒になりかねず、MP3プレイヤーとデジタルカメラはそれぞれ単機能な個体を別に持っておくメリットの方が大きい状況だった。


 Gigazineが昨日こんな記事を掲載していた。

なぜ新型コロナの追跡はアプリではなくハードウェアで行うべきなのか? - GIGAZINE


昨日の投稿では、厚労省が6/19に公開したスマートフォン用新型コロナウイルス接触確認アプリ・通称:COCOA が不備だらけという話について書いた。このGigazineの記事には、
日本でも2020年6月19日に日本政府公式アプリがリリースされましたが、シンガポールではアプリではなく、追跡のためのウェアラブルデバイス「TraceTogetherトークン」を配布する計画を明らかにしました。
とある。そして見出しの通り、スマートフォン用アプリでなく単機能ハードウェアを導入すべきいくつかの理由について書かれている。その理由は以下の4点だ。
  1. ユーザーデータとの分離
  2. データが完全にユーザーの管理下に置かれる
  3. ユーザーは一時的なオプトアウトが可能
  4. データの無作為化
1つ目はスマートフォン内の個人情報の流出の恐れをゼロ近い状況にする為にハードごと別にするべきという話、2つ目はモバイル通信機能と分離することで、接触に関するデータを本人の支配下に置くことができるという話、3つ目はスマートフォン用アプリではバックグラウンドで動く恐れを否定できないが、単機能ハードなら電源を物理的に切ることができるという話、4つ目は商業目的でデータが不正に利用されることを防ぐためという話である。

 スマートフォン用アプリで済ませれば、新たな物理的ハードウェアを用意する必要はなく、コスト面でのメリットがある。だが、記事で指摘されているように、個人情報の塊であるスマートフォンと紐付けることにはかなり沢山のデメリットがあるだけでなく、例えば日本のCOCOAも当初android版はなく、iOS版もiPhone6以降にしか対応していなかったし、更に言えば、高齢者などスマートフォンを持っていない人もまだまだ少なくないなど、それ以外のデメリットが他にもある。


 昨今のスマートフォンはPC並みに汎用性が高く、モバイルバッテリーなどによって電池の持続性の問題も少なくなっており、機能や情報を集約させることのデメリットは確かに減っている。だが、集約することにはデメリットも間違いなくある。
 例えば、自分の財産を全て一つの口座に集めておくのは、管理の面では便利だが、ハッキングや不正アクセスに晒された場合に一瞬にして全財産を失うリスクを伴う。だから賢い人は自分の財産を一か所に集めずに幾つかに分散させて保有している。これはデータだけの話でなく、物理的にも言えることだ。自分が保有するデータのバックアップをいくつかのHDDに分けて保有していたとしても、それが全て同じ家にあると、その家が火事になれば全てが消失する恐れがある。このように物理的な集約にもデメリットがある。
 スマートフォンやデータだって同様に、機能や情報を集約することには管理面でのメリットが確実にあるが、不正アクセスを受けると一度に全てのデータが流出する恐れも孕んでいる。集約と分散はバランスよく行われる/行うべきだ。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

日本の代表的ヤクザ組織

  ヤクザ - Wikipedia では、ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているもの、と定義している。報道や行政機関では、ヤクザのことを概ね暴力団とか( 暴力団 - Wikipedia )、反社会勢力と呼ぶが( 反社会的勢力 - Wikipedia )、この場合の暴力とは決して物理的暴力とは限らない。

優生保護法と動物愛護感

 先月末、宮城県在住の60代女性が、 旧優生保護法の元で強制不妊を受けさせられたことに関する訴訟 ( 時事通信の記事 )を起こして以来、この件に関連する報道が多く行われている。特に毎日新聞は連日1面に関連記事を掲載し、国がこれまで示してきた「 当時は適法だった 」という姿勢に強い疑問を投げかけている。優生保護法は1948年に制定された日本の法律だ。戦前の1940年に指定された国民優生法と同様、優生学的思想に基づいた部分も多く、1996年に、優生学的思想に基づいた条文を削除して、母体保護法に改定されるまでの間存在した。優生学とは「優秀な人間の創造」や「人間の苦しみや健康問題の軽減」などを目的とした思想の一種で、このような目的達成の手段として、障害者の結婚・出産の規制(所謂断種の一種)・遺伝子操作などまで検討するような側面があった。また、優生思想はナチスが人種政策の柱として利用し、障害者やユダヤ人などを劣等として扱い、絶滅政策・虐殺を犯したという経緯があり、人種問題や人権問題への影響が否定できないことから、第二次大戦後は衰退した。ただ、遺伝子研究の発展によって優生学的な発想での研究は一部で行われているようだし、出生前の診断技術の発展によって、先天的異常を理由とした中絶が行われる場合もあり、優生学的な思考が完全にタブー化したとは言い難い。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。