スキップしてメイン コンテンツに移動
 

日本を再び焼け野原にしようとする政府


 6/23は沖縄慰霊の日である。毎年6/23に沖縄を軽んじている本土を感じずにいられない。8/6と8/9は原爆が広島長崎にそれぞれ投下された日だ。日本が終戦の日としている8/15が近いこともあるだろうが、広島長崎への原爆投下は毎年大々的にメディアで取り上げられ、特別番組も多く放送される。だが6/23周辺に在京キー局は沖縄戦に殆ど触れない。ニュースで「沖縄全戦没者追悼式が今年も行われた」と伝える程度だ。

 原爆投下は世界初だったし、大量殺りく兵器が使用されたという象徴性もある。しかし沖縄戦も占領地/植民地以外で唯一の地上戦だ。市民の犠牲者も、 沖縄戦では9万人程度が犠牲になっている。これは広島への原爆犠牲者よりは少ないが、長崎よりは多い。なのになぜ沖縄戦や慰霊の日に対する在京メディア、特にテレビでの扱い方が過小で、本土でその認知が進まないのか。そこに沖縄を、無意識的にか意識的にかは分からないが、見下す姿勢や差別心を感じずにはいられない。
 「沖縄の人は沖縄戦に、本土の人は原爆投下に、それぞれの地域でそれぞれの犠牲について大きく取り上げるのは、そんなにおかしくないのでは?」と考える人もいるかもしれない。だがその論が妥当なのであれば、在京テレビ局は広島と長崎への原爆投下よりも、1945年3/10の東京大空襲の方を大々的に取り上げるはずだ。東京大空襲の犠牲者は10万人以上とされている。しかし実際には、在京局が大きく扱うのは広島と長崎への原爆投下の方だ。


 何にせよ、1930年代から1940年代にかけて日本が傾倒した戦争は、日本の各地を焼き尽くした。沖縄では日本の占領地/植民地以外で唯一地上戦が行われ、県民4人に1人が犠牲になったと言われている。

県民4人に1人犠牲の沖縄戦 本土守るため「捨て石」に - 沖縄 [私たちの沖縄考]:朝日新聞デジタル


 それ以外でも、都市部を中心に空襲にさらされ日本中が焼け野原になった。実際はこの日本中というのは少し大袈裟でもあるのだが、都市部の多くで住民が焼け出され、一面廃墟と化したという意味である。
 前述の朝日新聞の沖縄戦の記事には「本土守るため」とある。だが、当時の日本政府が本当に本土を守りたかったなら、そもそも戦争などするべきではなかった。沖縄や本土を焼き尽くしたのは米軍と彼らの使用した兵器だが、その戦争を始めたのは日本政府である。戦争を始めておいて「本土を守る」なんてどうかしている。日本を焼き尽くしたのは一体誰か。

 
  6/24、日本政府は地上配備型迎撃ミサイルシステム・イージスアショアの配備計画を撤回する方針を確認したそうだ。秋田県への配備計画では杜撰な調査が発覚するなど、配備ありきで話が進められてきた懸念がかなり強かった。

イージス候補地「いい加減にしろ」 相次ぐ失態に不信感:朝日新聞デジタル


 更に、政府が配備計画を撤回する方針であると報じられたのと同じ6/24に、週刊文春が「「防衛省報告書」入手 イージス・アショアのレーダーは使い物にならない | 文春オンライン」という記事も掲載している。現政権は米ロッキード社などが開発した戦闘機・F-35を購入するという方針だが、この機体も各国の間で評価が割れているし、日本でも自衛隊機のF-35Aが2019年に海上で墜落する事故を起こしている。
 カナダは一時期F-35の導入を凍結する方向に傾いたが、現在はややその方針を軟化させているそうだ。この流れの原因は、F-35ありきで与党によるアピールが繰り広げられたことにあるそうだ。日本のF-35やイージスアショア導入計画も、同様に米側のゴリ押しの結果という気がしてならない。

 イージスアショアに関しては更に酷い話も聞こえる。イージスアショア計画撤回に伴い政府与党内で浮上しているのが、ミサイルで敵の発射基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有で、政府高官は「守るより攻める方がコストは安い」と話し、自民党も近く検討チームを立ち上げると報じられている。

陸上イージス撤回で…“敵基地攻撃能力”も議論か


 日本は70年前の戦争の教訓を果たして活かせているだろうか。自分には到底そうは思えない。日本の権益を守り、東南アジア諸国を欧米の植民地支配から解放するという大義名分を掲げて始めた戦争は一体どんな結末を迎えたか。その結果、紛争解決手段としての武力を放棄する明確に定めた条文を持つ憲法を定めたのではないのか。敵基地攻撃能力?専守防衛はどうした?「守るより攻める方がコストは安い」なんて話が政府から聞こえてくるなんて本当にどうかしている。

 しかも、そんな政府の首相や与党は憲法を改正しよう!と馬鹿の一つ覚えのように繰り返している。現憲法を遵守できない者が何を言っているのだろうか。70年前の戦争で日本を焼け野原にしたのは米軍だったが、その戦争を始めたのは日本政府だ。今の政府と首相、そして与党は、彼らが戦争を始めなかったとしても、将来的に誰かが戦争を始められる土壌を作ろうとしている。つまり日本を再び焼け野原にする準備をしているとも言える。彼らが「この国を守り抜く」なんて言っているのは、一体どういうことかをよく考えないといけない


 それ以前に、憲法を軽んじることで法治を形骸化させる、ということは既にやっている。日本の法治を壊しているという意味では、物理的ではないものの、既に日本を再び焼け野原に戻そうとしていると言っても過言ではない。


 トップ画像は、Another view of the Genbaku Dome- the only structure in Hi… | Flickr を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。