以前にも書いたかもしれないが、「普通」という言葉を出来る限り使いたくない。普通という表現が好きじゃない。寧ろ嫌いである。勿論普通という概念を全否定するつもりはない。だが、この定義の曖昧な普通という表現を、自分に都合よく使う人、特に自分が10代の頃に、先生や親を含めそんな大人が多数いたので、普通という表現自体に嫌悪感を抱き始めた。
前述のように普通というのは非常に曖昧な概念だ。例えば、日本では夫婦は同じ姓を名乗るのが一般的であり、そういう意味で言えば夫婦同姓が普通である。だが、すぐ隣の韓国や中国などでは、従来から夫婦別姓が一般的であり、つまり夫婦別姓が普通である。このように条件が変われば普通も変わる。
それは日本国内だけを見ても言えることで、例えばそばやうどんの「たぬき」は地域によってその仕様がかなり異なる。つまり地域によって普通は変わる(たぬき (麺類) - Wikipedia)。また同じ地域の出身者でも、人によって普通の定義は変わる。ある人は「目玉焼きには普通ケチャップだ」と言うが、別の人は「いや醤油だ」「ソースだ」と言うだろう。各家庭にそれぞれの普通があるし、家庭内でも個人によって目玉焼きに普通かける調味料は変わる。
普通とはそれ程曖昧なものであり、一人一人それぞれの普通は微妙に、場合によっては大きく異なり、全く正反対な普通だって同時に存在する可能性もある。
なので、「普通は○○」と言ってくる人には、
あなたの言う普通は、あなたにとっての普通であって、私には私なりの普通がある
と言ってやりたくなる。元ウルトラマンだった俳優の男性が数日前に
— つるの剛士 (@takeshi_tsuruno) May 30, 2020
とツイートした。引用されたツイートは既に投稿者が削除したようだが、次のような内容だった。
声高に平和を訴える人ほど攻撃的
声高に差別反対を訴える人ほど差別的
声高に誹謗中傷を責める人ほど言葉が汚い
普通の声で言おうよ、正しいことなら
これに対して次のような指摘がなされた。
— Mighty Jack (@Mightyjack1) May 31, 2020
> RT— Norichika Horie (@NorichikaHorie) June 1, 2020
これが「トーン・ポリシング」の実例か、と勉強になった。相手の意見の内容ではなく、その調子=トーン(言い方)を問題視(取り締まり、ポリシング、警察)して、抗議の声を弱めようとすること。直訳すると「言い方警察」。 pic.twitter.com/C4a1K38dyd
今日は政治ではなく今世界中で勃発してる差別問題日本バージョン#ゆきほ漫画 pic.twitter.com/kQjHiLn7wu— ゆきほ (@yukiho_dx) June 1, 2020
声をあげた人が「誹謗中傷だ」と言われるパターン。 pic.twitter.com/6jN0E6FwrX— ミドリムシ #BlackLivesMatter (@midorimushiharu) June 1, 2020
少数派「やめて下さい」— 青緑 (@aomldol) June 2, 2020
多数派「」
少数派「やめて下さい」
多数派「」
少数派「やめて下さい」
多数派「」
少数派「やめろって言ってんだろ!(怒)」
多数派「普通の声でお願いします」「これだから少数派は」「もっといい方法があったんじゃない?」「大声出しても何も変わらないよ(笑)」
少数者「やめて下さい」— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) June 2, 2020
多数者「(無視)」
少数者「やめて下さい」
多数者「(無視)」
少数者「やめて下さい」
多数者「(無視)」
少数者「やめろって言ってんだろ!(怒)」
多数者「普通の声で」 https://t.co/IItf4QGPh1
週刊誌・女性自身は次の記事を掲載し、
トーンポリシングとは社会問題などに関する主張に対して内容ではなく、その話し方や態度を批判することを指す。「口調や所作が正しくない」という理由で、主張内容の妥当性を損なう。そうすることで目を背けさせたり、主張を封じ込めることにも繋がるため問題視されている。と指摘している。
つるの剛士「普通の声で」投稿が波紋…トーンポリシングとは | 女性自身
複数の指摘がされているトーンポリシングとは、tone policing と書く(トーン・ポリシング - Wikipedia / Tone policing - Wikipedia)。前述の堀江 宗正さんがツイートで、直訳すると「言い方警察」と説明しているのがとても簡潔だ。つまり論点をすり替える手法の一つである。
つるのさんが引用したツイートは、 今野 英明さんという音楽家によるものだが、彼は当該ツイートの削除理由を次のように説明し、
思いもよらずバズってしまった昨日のツイートなんですが、どうも当方の意図とは異なる解釈/誤解を招いてしまうようなので、削除いたします。様々なご意見をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。今野拝— 今野英明 (@RtKongchang) June 1, 2020
その後更に、
トーンポリシング批判が妥当かどうかは、誰が、どうやって判断するんだろう?その正当性は何によって担保されるんだろう?結局水掛け論にしかならない気がするけど…詳しい人、教えて下され(本当に分からないので)。#トーンポリシング— 今野英明 (@RtKongchang) June 2, 2020
フォロワーの皆さまに質問。ある場所で、際限のない暴力の連鎖が止まらない時に「暴力はやめよう。冷静に話し合おう」と呼びかけることは「トーンポリシング」に当たりますか?ご意見お待ちしております。— 今野英明 (@RtKongchang) June 2, 2020
とツイートしており、つまり自分の主張は決して間違っていなかった、と言いたげだ。勿論、期せずして主張が拡散したことで、多数の中傷のような口撃にも晒されてしまい、やむを得ず当該ツイートを削除したという可能性も考えられなくはない。だが、なぜ間違っていないと思っているのに当該ツイートを削除したのか?という矛盾も強く感じる。というか寧ろそちらの方を強く感じる。
自分は、つるの 剛士さんが普段どんな主張をしているのかは相応に知っているので、彼がどのような思いで当該ツイートをしたか、は容易に想像が出来るが、この今野さんという人がどのような人なのかは良く知らない。一応ツイッターのタイムラインは少し遡って見たので、つるのさんと同種の思考をしていそうだな、とは思うものの、ツイッターを見ただけでは、あまりにも攻撃的な物言いをする一部の人達に向けて「普通の声で」と主張した可能性も否定するまでには至らない。
だが、逆に言えば、なぜいかようにも解釈できる主張の仕方をしたのか、もっと明確に主張していれば、彼が言う「言いたかったこと」が明確に伝わったのではないか、つまり、曖昧な「普通」という言葉を用いたからこんなことになったのではないか?という風にも、というかそう強く感じる。もし彼が罵詈雑言に晒されているなら、その点には同情する。だが、ツイッターの文字制限が厳しいのにかまけ、曖昧な「普通」という表現を用いなければ、そのようなことにはならなかったのではないか。そもそも、彼の「普通の声」という表現よりも前の部分の主張は、被害者をバッシング、過剰に権利を主張する者と決めつけて非難する態度としか思えない。つまりそもそも彼の主張も「普通の声」ではないのではないか? 彼にとってはそれが普通なのかもしれないが。
彼は「普通の声で」、つまり「言葉には気を付けろ」「言葉選びを間違えば問題が起きる」のようなことを言っているが、そもそも自分の言葉選びが不十分だったという矛盾した状況に陥っている。歌を作る者、つまり言葉を生業にしている者として、それは結構致命的なのではないか。
最後にCNNのこの記事を紹介しておく。
CNN.co.jp : フェイスブック従業員が仮想スト、トランプ大統領の投稿放置に抗議
フェイスブックのデザインマネジャー、ジェイソン・スターマン氏は先月30日、ツイッターへの投稿で、明らかに暴力をあおるトランプ大統領の投稿に対して何もしないザッカーバーグ氏の決定は支持できないと表明。「FB社内で私は1人ではない。人種差別に中立の立場はない」と訴えた。人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
トップ画像は、ファイル:Osaka Loop Line Syubetsu Maku.jpg - Wikipedia を使用した。