1年後の今日、この場所で希望の炎が輝いていて欲しい
と、競泳・池江 璃花子選手が、1年後にオリンピックの開会式が行われる予定の国立競技場でメッセージを発信した、とNHKなどが報じている(五輪まで1年 競泳 池江選手がメッセージ「希望の炎輝いて」 | NHKニュース)。この表現は同記事の内容に準じた書き方で、池江選手が主体的にこのようなパフォーマンスを行ったかのようだが、実際はそうではないだろう。
勿論、池江選手が嫌々駆り出されたとは思っていない。だが、果たして池江選手が主体的に、延期された東京オリンピックの開会式の丁度1年前の7/23に、会場である国立競技場でのこのような催しを企画して、メッセージを発信したのだろうか。間違いなくそうじゃない。
あかたも池江選手が主体的にそのようなことを行ったかのように書いているこのNHKの記事は、他の部分でもオリンピック開催プロパガンダに満ちている。そのようなプロパガンダを企てたのは恐らくNHKではなく、JOCや組織委、政府などなのだろうが、NHKのこの記事はそのような行為に間違いなく肩入れしたものであり、表現が適当かは分からないが「共犯」と言っても過言ではないだろう。
一方でハフポストは、そんなNHKの記事とは対照的な、もっと現実的な内容の記事を昨日掲載した。【3分で分かる】という見出しは煽り過ぎという感があるが、前述のNHKの記事のように情緒的な話に偏らずに、オリンピック開催についての幾つかの要素を紹介している。
東京オリンピックよ、どこへ向かう。延期決定からの変遷と今後の展望は?【3分で分かる】 | ハフポスト
オリンピック開催に積極的な人達、そして記事は、情緒的なものばかりが目立つ。組織委員会の森会長は、デイリースポーツの取材の中で、「来春が今春のような状況だった場合、延期ではなく中止になると考えているか」という問いに対して、
IOCと話したこともありません。まったく考えていない。来年にやれるべきです。来年になればすべてが解決するという、神に祈るような気持ちでやっていますと述べている。そもそも延期が決まる前だって、延期は全く考えていない、という話が直前まで示されていた。この状況で、中止を視野に入れずにいる、というのはあまりにも無責任というか、現実逃避が激しすぎる。
組織委・森会長、五輪中止は考えず「神にも祈るような気持ち」…開催まであと1年/スポーツ/デイリースポーツ online
首相の安倍も、これ以上の延期や中止を避け、確実に開催できるよう環境整備を進める考えだと産経新聞が報じている。
首相、五輪来年開催に不退転の決意 解散戦略に影響も - 産経ニュース
記事には、
新型コロナウイルスで世界全体が混乱した後の五輪開催は、安倍政権の「レガシー(遺産)」ともなるともある。これが記者の主張なのか、取材に基づいて安倍や周辺の考えを代弁しているのかは定かでないが、つまり安倍政権の政治的な実績作りの為にオリンピックを開催する、したい、と言っているようにしか見えない。また産経の記事の見出しには「不退転の決意」ともある。但しこれも、記事中に安倍が自らそのような表現を使った、そのようなニュアンスの発言をした、という部分はなく、記者の主張なのか、取材に基づいて安倍や周辺の考えを代弁しているのかは定かでない。
不退転の決意とは、意志を固め、決して志を曲げたり屈したりしないと誓う心意気、のようなニュアンスであり、つまりここでは、オリンピック開催への強い意志を示したとか、中止はあり得ないと宣言した、のようなニュアンスだ。検察庁法改正案や天下の愚策GoToキャンペーンなど、杜撰な計画で方針を変更せざるを得なかったのに、また無策ゴリ押しで押し通すつもりです、という決意表明だろうか? そもそも安倍は、都合が悪くなれば「新しい判断」と言い換えて公約を平然と破るような男だし、拉致問題/北方領土問題では決意表明ばかりで実際には何もしなていない。まさに茶番劇とはこのことだ。
このように、
- 1年後この場所で希望の炎が輝いていて欲しい
- 来年になれば全て解決すると神に祈る
- 世界全体が混乱した後の五輪開催はレガシー
- 五輪来年開催に不退転の決意
前述のハフポストの記事の中に、
例え日本での感染が収まっても、世界規模での収束のめどが立たなければ、開催は現実的とは言えない。組織委員会の遠藤会長代行は、開催の最終判断は「来年3月以降で間に合う」と説明する。という一説がある。組織委は委員長の森が言うように中止の可能性を視野に入れず、開催ありきでしか物事を考えられていない、ということがよく分かる。
確かに、感染症拡大が今後どうなるかは誰にも分からない。そしてその影響による開催可否判断は、来年3月頃でも間に合うのかもしれない。しかし、今後どうなるか分からないということは、来年の今頃もまだ似たような状況にある恐れも充分に考えられる。コミックマーケットなどは、既に今年12月の開催も見送るという判断を下している。それは準備に莫大なコストとリソースを必要とするからで、もし今冬も状況が改善しなければそのコストとリソースを無駄にしてしまう、という判断によるものだろう。
オリンピック組織委員会にはなぜそのような視点が欠如しているのか。3月以降に来夏開催の可否を判断すれば、当然それまでにかかる/かけるコストとリソースが無駄になる。その影響は大会に向けて準備する選手や各競技団体、そしてその他の関係者へも当然波及する。ハフポスト記事では、選手や団体が既に苦しい事情あることにも触れられているが、組織委員会はそんなことは全く眼中にないのだろう。
で、組織委員長が、来年になれば全て解決すると、漫然と神に祈っているという状況なのだ。
その組織委員長は、 前述のデイリーの記事の中で、
(東京都知事)選挙を見ていて、みんなコロナとか経済とかいろいろと言っていたけど、五輪も柱にしてやった候補者は小池(百合子)さんだけですよ。すぐやめてそのお金でコロナ対策をしたらいいと言っていた候補者がいたが、やめたら今まで出した何百億というお金が無駄になるんです。なおかつ違約金をいっぱい取られます。と言っている。金が無駄になることを心配しているのに、万が一来夏も状況が改善せずに中止を余儀なくされる恐れを視野に入れないのは全くおかしい。金が無駄になる心配をするなら、万が一中止になる恐れも視野に入れて考え、中止するならさっさと中止を決めないとどんどん無駄が増える、ということも考慮するのが筋だからだ。
もう金出しちゃったんだから止められない、というのは、ギャンブルにハマる人の心理とよく似ている。これまでに負けた分を取り返す為という理由で、ギャンブル沼にハマって大損する、社会生活にまで支障をきたすという人は結構多い。しかも森は何か具体的な根拠があるわけでもないのに、「来年になれば全て解決すると神に祈っている」という状況だ。これは最早ギャンブルにハマっている人の心理と言っても過言ではない。
組織委や政府が具体的な根拠よりも、情緒的な話に傾倒してオリンピック開催ありきで話を進める、という状況に、神風特攻隊のような異様さ、インパール作戦のような無謀さ、ナチスのベルリンオリンピックのような政治的プロパガンダ利用を感じずにはいられない。
選手の中にはオリンピック出場が夢という人も多いのだろうが、こんないい加減な話がまかり通るオリンピックに一体どんな魅力があるのだろうか。最早オリンピックという宗教、オリンピック依存症のようにしか思えない。