8/15は終戦の日・終戦記念日とされている。太平洋戦争末期の1945年8/15、正午から終戦の詔書を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送(玉音放送)された日だ。これによって国民と軍にポツダム宣言の受諾と降伏することが決定したと伝えられた(終戦の日 - Wikipedia)。しかしあくまでもこれは日本の終戦の日であって、諸外国では、降伏文書調印が行われた9/2が第二次世界大戦・対日戦が終わった日とされていることのほうが多い。
終戦の日という呼称を好ましく思わない。寧ろ不適切な歪曲表現だとすら感じる。前述ののWikipediaには、出典が記されていないので真偽は分からないが、
連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。
という記述がある。過去の過ちを正しく認識する為には、少なくとも敗戦記念日、個人的には降伏の日という呼称の方が適当だと感じる。戦争が勝手に終わったのではなく、理のない戦争を始め、何百万という人命を犠牲にし、強制的に動員した兵士や市民を無謀な作戦で餓死、自決させ、最終的にどうしようもなくなって破綻し降伏せざるを得なかった、というかつて自国が犯した過ちを、日本人はもっと直視しなければならない。
8/15前後には毎年、テレビ等メディアで戦争についてのドキュメンタリー番組・記事等が多く展開される。だが日本の加害性について触れるものは極端に少ない。例えば、ハフポストは
終戦から75年。戦争は「過去」ではない。人工知能でカラー化された写真は訴える(画像集) | ハフポスト
という記事を掲載しているが、日本の加害性が感じられる写真は1枚もない。強いて言えば、女学生に見送られて飛び立つ特攻機の写真があるが、それは日本の加害性というよりも、無謀な作戦に駆り出された若い航空兵という、国/軍の国民への加害性というニュアンスの方が強い。
そもそも、多くの日本人にとって75年前の戦争と言えば、1941年12月の真珠湾攻撃によって始まった対米戦争/太平洋戦争という認識だろうが、それ以前の1937年7月から、日本が中国へしかけた侵略戦争、日中戦争は始まっていたし、それ以前も中国大陸では散発的な戦闘は行われていた(日中戦争 - Wikipedia)。中国大陸や東南アジア地域での日本の侵略者としての側面には一切触れずに、戦争の悲惨さだけを強調すれば、正しいとは言い難い戦争感を視聴者/読者に与える恐れがあるのではないだろうか 。
ロイターが8/15に関するこんな記事を掲載している。
Japan's Abe, on WW2 anniversary, vows not to repeat war, sends offering to shrine - Reuters
見出しは「日本の安倍首相は戦争を繰り返さないと誓いつつ、(靖国)神社へ玉串料を納める」だ。日本と中韓の靖国神社に対する認識の違いが記事の主なテーマであり、戦争を繰り返さないと言いつつ、A級戦犯が祀られている靖国神社に玉串料を納めることには矛盾がある、と言いたげな見出しである。今年は4年ぶりに4人の閣僚が靖国神社を参拝したことにも触れられている(小泉氏ら4閣僚が靖国参拝 終戦の日、4年ぶり閣僚参拝 [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル)。参拝した閣僚とは、小泉 進次郎環境相と萩生田 光一文部科学相、衛藤 晟一沖縄北方相、高市 早苗総務相だ。
因みに小泉氏は、7/25に商船三井の貨物船がモーリシャス沖で座礁し、8/6に重油が漏れ出し、世界中で大騒ぎになっている中で、日本の環境大臣であるにもかかわらず沈黙していた。久しぶりにメディアに取り上げられたかと思えば、8/15に靖国参拝したという話で、SNSなどでは「靖国よりもモーリシャスに行けよ」などの批判が盛り上がった。それを受けてか、たまたまそのタイミングになってしまったのかは分からないが、靖国参拝後に急に会見を開いて「当事者である日本企業はもとより、環境省としても他人事でなく、傍観してはならないと考えている」と言いだした(重大な危機、専門家と職員派遣へ=モーリシャス沖座礁事故で小泉環境相 - ロイター)。座礁から約20日、重油流出から既に10日の間、積極的な対応も会見もせずに傍観していたくせにどの口が言うのか。
ロイターの記事のトップ画像は式典で挨拶をする安倍なのだが、同記事を紹介するツイートにはこんな写真が用いられた。
8/15の靖国神社には、旧日本軍の軍人や兵士に扮した右翼団体などが集結する。自分がこれを知ったのは10数年前のことだった。当時付き合っていた女性が九段下で働いていて、たまたま8/15に靖国神社の前を通りかかった際に、その異様な光景を初めて目の当たりにした。メディアでは殆ど取り上げられないのでそんなことが行われていることを知らなかった。
その時の印象は「なんだこのコスプレ集団は…」程度だった。感覚的にはミリタリーオタクを見ているような気分だったが、8/15という日と靖国神社という場所から、それだけではない何かも感じてはいた。その後ネットなどで調べ、あの人達がどのような考えでそんなことをしているのかを知って、「ミリオタのコスプレ」なんて認識は全く正しくないことが分かった。
彼らがどのような集団であるか、次のツイートが端的に示している。
【閲覧注意】
— さくら🌸 (@Sacklaver) August 15, 2020
靖国周辺。相変わらず、大日本帝国のキモいコスプレから、至るところに旭日旗だらけ、特定の国名を差別用語で書き、○○人はお断りのヘイトスピーチ。差別と大日本帝国崇拝しかない。カルト。靖国神社、本当になくなってほしい。 pic.twitter.com/MMzbgxpX3l
強制的に動員され、旧日本軍の無謀な作戦で餓死/自決に至った人達を、英霊などと美化しているだけでも不適切極まりない。だがそれ以上に言語道断なのは、4枚目のこの画像だ。
彼らの全てがこの種の人達だとは断定できないが、彼らの差別を厭わない姿勢と、ビジネス右翼的な側面が如実に滲んでいる。この写真が、靖国神社の敷地内なのか、それとも敷地外の周辺なのかは分からないが、敷地内であれば靖国神社はこの種の人の活動を厭わない施設と言えるし、もし敷地外であってもこの種の人を受け入れていることには違いない。そんな施設を閣僚が参拝すれば、戦前日本に侵略された国の人達が不快に感じることも、反発するのも当然だろう。
靖国神社の成り立ちや建前などがどうであれ、そんな神社へ閣僚が参拝していることが、首相が玉串料を納めるということがどういうことか、少し考えたら誰にでも分かりそうなものだが、日本のメディアには、ロイターのようにそのような指摘をするものが殆どいない。ロイターだけでなくBBCも
日本で75年目の「終戦の日」 靖国神社に閣僚が4年ぶり参拝 - BBCニュース
第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース
という記事を掲載している。
今年の戦没者追悼式でも安倍は、
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。
と言っている(令和2年8月15日 令和2年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)。
「戦没者の皆様の尊い犠牲」とは、且つての日本政府と国家元首だった天皇は、無意味な戦争で何百万人も無駄に死なせるまで、戦争や侵略の愚かさに気付きませんでした、という意味で「尊い」という以外の解釈は全く不適切であり、それ以外の解釈が出来ないようにもっと明確にそう言うべきだが、安倍は、8/15に旧日本軍のコスプレをして集まる差別を厭わずに旧日本軍を賛美する種の人達が、概ね彼の積極的支持者であることに鑑み、その人達が好む戦争感や、旧日本軍、旧政府、旧天皇を否定しない解釈が出来るように、この種の表現を使うのだろう。
今年も関東大震災の際に虐殺された朝鮮人を悼む集会に追悼文を出さないと宣言している都知事や、このような首相を有権者が選び続ける限り、日本の国際社会での地位は低下するべくして低下する。
トップ画像は、ファイル:靖国神社でのコスプレイヤー.jpg - Wikipedia を加工して使用した。