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ディストピア・日本

 ユートピア/utopia・理想郷に相対する、ディストピア/dystopiaという概念がある。日本語に訳す場合は暗黒郷などとされる(ディストピア - Wikipedia)。トップ画像は、ディストピアと聞いて自分がまず思い出す、バックトゥザフューチャー2で未来から戻った主人公のマーティが目の当たりにする、元の現在(1985年)とは違う、同映画の悪役ビフ タネンが支配する荒廃した街の象徴、ビフのカジノパレスだ。


 バックトゥザフューチャーシリーズはタイムトラベルを題材にした映画で、過去の行いによって未来が変わるというやや特殊な設定があるが、近未来を描いた映画やマンガなどでは、戦争や疫病、自然破壊の結果によるディストピアがよく描かれる。また、もし○○が○○だったらというIf設定で、実際とはパラレルなディストピアと化した現代を描く手法もよく見られる。
 フィリップ K ディックが1962年に発表した小説・高い城の男は、第二次世界大戦でナチスや日本など枢軸国が勝利した後の世界を描いた、後者の代表例だ。同作品は2015年にドラマ化もされた(高い城の男 - Wikipedia)。最近アップルから締め出された人気ゲーム・フォートナイトを展開するエピックが、アップルが1984という小説をオマージュしたCMを過去に流したことを逆手にとったキャンペーンをSNSなどで行ったが(フォートナイトがパロディ動画で皮肉ったアップルの伝説のCM「1984」とは? | ハフポスト)、

それらで取り沙汰されたジョージ オーウェルが1949年に発表した小説・1984は、発表当時から見た近未来である、1984年のディストピアと化した世界を描いた、前者の代表例である(1984年 (小説) - Wikipedia)。

 ディストピアとして描かれるのはどんな作品でも「荒廃した世界」である。戦争や疫病、災害によって文明が崩壊し、物理的に荒廃した世界がディストピアとして描かれることもあるが、法の支配が及ばず人の感情や非理性が支配する、物理的には荒廃してはいないが精神的に荒廃した世界を、ディストピアとして描かれることも多い。バックトゥザフューチャーのように誰かが独裁者のようになって支配する世界、独裁”者”ではなくとも中国共産党のような法を超えた独裁権力が支配する世界、また文明が崩壊して荒廃した世界が描かれる場合も大抵、法や理性ではなく感情や暴力が支配する世界という側面も描かれる。人が死ぬとゾンビ化してしまうウイルス?が蔓延し、文明が崩壊した近未来を描いた人気のドラマシリーズ・ウォーキングデッドも、当初の脅威はゾンビだったが早々にゾンビ設定は舞台装置と化し、そんな世界の中での人間同士の争いが描かれるようになった(ウォーキング・デッド - Wikipedia)。

というツイートが昨日目についた。はだしのゲンは、中沢 啓治さんによる自身の被爆体験を元にした自伝的漫画だ(はだしのゲン - Wikipedia)。同作品は間違いなく原爆の不条理をテーマにした漫画ではあるが、主人公のゲンのような戦争孤児に対する世間の冷たさ、また朝鮮半島出身者への差別なども描かれている。このツイートが言おうとしているのは、はだしのゲンが含むそのような部分や、また原爆の投下も人の所業、ということこそが本質ということであり、それについては、映画「ひろしま」を取り上げた2019年8/17の投稿でも触れた。

 ゲンのような戦災孤児にとって、法や倫理の及ばない扱いを受けた戦後はまさに、単なる荒廃した世界という意味以上のディストピアだっただろう。今民主主義が失われようとしている香港に住む人達にとっても、中国共産党の傀儡が支配する現状はディストピアだろう。また、日本に住んでいても、戦後もずっと理不尽な偏見と差別に晒され続けている在日コリアンにとっては、現在の日本はディストピアかもしれない。在日コリアンに限らず日本人であっても、伊藤 詩織さんのように酷い中傷を受けたり、煽り運転をした者と勘違いされて誹謗される人達などにとっても、今の日本は差別や偏見が公然とまかり通るディストピアかもしれない。

 自分は現状ひどい差別や偏見、誹謗中傷に晒されているわけではないが、それでも今の日本はディストピアに向かってまっしぐらだと感じている。その理由は安倍自民党政権が、公文書の改竄や度重なる大臣の公選法違反、目玉政策を巡る汚職など、これまでなら内閣が即吹っ飛ぶようなことを何度も繰り返しているのに、7年以上もその座に居続けているからだ。しかもコロナ危機への対応は、最早酷いという言葉だけでは足りない程杜撰・支離滅裂であり、今の日本はディストピアに向かってまっしぐらと言うよりも、既にディストピアが成立している、と言うべきかもしれない。

新型コロナ:接触アプリ通知来ても「検査受けられず」8割 本社調査  :日本経済新聞

 6/24の投稿「死神に名刺貰ったってどうしようもない」で、厚労省が6/19に公開した新型コロナウイルス接触確認アプリを使用して感染者との接触が通知されても、検査も診療もしてもらえなさそうだ、ということについて、黒澤 明監督の映画「夢」の中の物語の1つ・赤富士になぞらえて書いた。
 赤富士で描かれていたのは、富士山の噴火によって原発事故が誘発された状況だ。同映画は黒澤監督の見た夢をもとにした作品で、赤富士の中では放射能は目に見えず危険だとして、着色技術が開発され実用化されている、という設定である。しかし結局放射能が目に見えたところでそれから逃れることは難しく、呆然とする主人公が描かれている。厚労省のアプリで濃厚接触した可能性があると通知を受けても、受診や検査に繋がらないのなら、それは赤富士の放射能着色技術と同じだと指摘したが、前述の日経新聞の記事によれば、同アプリを使用し感染者と接触した可能性があると通知が届き、検査を受けようと保健所に連絡した人のうち、検査がうけられたのはたった17%だったそうである。

 富士山噴火と原発事故で大惨事が起きるというディストピアで明らかになる、行政の無意味な行為を描いたのが黒澤監督の夢・赤富士だったが、コロナ危機下の厚労省/政府の対応で、この映画で黒澤監督が示した危惧・懸念が現実になった。やはり今の日本は、ディストピアに向かってまっしぐらと言うよりも、既にディストピアが成立している、と言った方が正確だろう。

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