スキップしてメイン コンテンツに移動
 

政府や与党が興じているバーレスク(茶番)

 バーレスク/Burlesque と言うと、多くの人はセクシーな女性による歌や踊りなどのショーを思い浮かべるだろう。しかしそれはアメリカン・バーレスクに影響を受けた日本におけるバーレスクのイメージで、バーレスクという言葉の一側面に過ぎない。


 元来バーレスクとは、有名な作品のスタイルや精神を誇張するなどして、その作品のテーマを面白おかしく描いた文学・戯曲、音楽全般を指す言葉である(バーレスク - Wikipedia)。つまり、バーレスクという言葉は、風刺やパロディーと似た意味を持っている。
 そんなニュアンスであるバーレスクには、そこから派生して、シリアスなテーマを茶化す、又は大したことない事をわざと重々しく扱ったりする「茶番劇」という意味もある。今日の投稿のテーマは茶番劇だ。

 現在の日本の政治は茶番劇と化している、ということについては、もう既に何度も指摘してきた。首相や官邸/与党周辺がその茶番の主体であることは言うまでもないが、主に官邸記者クラブに所属するメディアとその記者らも、その茶番に加担している。国会における与党議員の質問も、質疑応答と言うよりも台本通りの茶番劇だし、野党議員からの質問も、厳密に通告された内容の質問でなければ、首相/大臣、官僚らが答弁を拒否する茶番だ。
 また首相や官房長官、そして各大臣の記者会見も、ほぼ台本通りに記者とのやり取りが進められる茶番で、稀に台本にはない質問がなされても、多くの場合質問には答えずに時間を浪費する答弁が行われている。首相らが質問に答えずはぐらかすので、野党議員や一部の記者らが同じ要旨の質問を繰り返すと、あたかも既に回答したかのように「先程も申し上げましたように」とか「既にお答えしているように」と言って、壊れたテープレコーダーのように、質問に全く答えていない中身のない答弁を繰り返す、という意味でも、茶番が繰り広げられている。

 昨日こんな報道を各メディアが行っている。

首相、28日に記者会見へ調整

安倍晋三首相は、28日に記者会見を開く方向で調整に入った。新型コロナウイルス対応を説明する方針で、自身の体調にも言及する見通しだ。複数の政権幹部が25日、明らかにした。

首相が記者会見を8/28に開く、という報道ならまだ分かる。記者会見を行う方向で調整に入る?一体何を調整しているというのだろうか。しかも政権幹部がそう記者らに示した、ということだし、つまりこれは、記者会見を開くから先に質問したい内容をよこせと、記者に暗に要求したということではないのか。で、質問の内容によっては会見は止めるよ?ということではないのか。
 国会や会見が茶番劇と化している、という認識がない人にとっては、このような推測は邪推のように見えるだろう。少なくとも自分ならそう感じる。しかし、もうかなり長い間、前述のような状況が続いているし、間違いなく常態化してしまっている。そんな状況なら、このように考えることも決して邪推とは言えないのではないか。「そんなのは邪推だ」と言うなら、なぜ国会で質問通告にないという理由で答弁を拒否しようとするのか。会見で記者の質問に正面から答えないのか、答えないのに「先程もお答えしましたように」などと、あたかも答えたかのようなフリをするのか、について是非合理的な説明をして欲しい。

 同じく昨日、産経新聞は、小泉 進次郎がこんなことを言っていると報じている。

小泉環境相、首相の体調不安説に「憶測に基づく噂は醜い」  - 産経ニュース

安倍が検査の為に病院を訪れたことに関連して、一部で辞任説が浮上していることなどを踏まえ、小泉が、

憶測に基づく議論や噂、根掘り葉掘り、尾ひれがついていろいろなことが出る状況は醜い。そういった議論に参加するつもりはない

という内容だ。そもそも最初に安倍の体調不良に言及したのは自民党の甘利である。そして、批判されることを避ける為か、国会招集要求にも応じず会見も開かず、矢面に立ってこなかったのは安倍自身だ。そのような憶測が飛び交う土壌を、首相自身や官邸、与党が醸成しているのに、「憶測や噂をするのは醜い」と小泉は言うのである
 また甘利など安倍周辺には、安倍は責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている、などと評価する者が少なくない。議員から国会招集を要求されてても、憲法の規定を無視し応じない者が、どうして責任感が強いと言えようか。休むことを罪だと思っていると言えようか。そんな評価をする甘利など安倍周辺の方がよっぽど醜いし、そのような都合の悪いことは無視して、「憶測や噂をするのは醜い」とす主張する小泉の方がよっぽど醜い。

 甘利のような支離滅裂な擁護が飛び交うことも、現在の日本の政治が茶番劇と化していると言える理由の一つだし、小泉のように、都合の悪い事は無視して、都合の良い事だけを見るような男が大臣になっているということも、その要素の一つだろう。

 小泉は昨夏、温暖化サミットに関連した会議の中で、

気候変動のような大規模な問題に取り組む際は、それは楽しくなければならず、クールでなければなりません。 さらに”セクシー”でなければなりません

 と述べ、国内外から失笑を買った。政治的な問題に取り組む時にはセクシーでなくてはならない、というのだから、だから今の政府や与党がバーレスク(茶番)に興じている、ということなのかもしれない。

 トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。