日光東照宮にある神厩舎の装飾の1つとして有名な三猿(見ざる/見猿・聞かざる/聞か猿・言わざる/言わ猿)。三猿については、中国の思想家・孔子の教えをまとめた書物・論語の中にある、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節に由来するという説もあれば、インドのラーマーヤナ説話をその起源とする説などもあるようだ(三猿 - Wikipedia)。起源は何であれ、「余計なことは見ない、聞かない、言わない」そういうことを慎めば人生を幸福に送ることができる、とする教えを象徴していることに違いはないようだ。
40歳のことを俗に不惑という。これも論語の「四十而不惑」(四十にして惑わず)に由来する表現で、40歳になると人生に迷いがなくなる、若しくは40歳にもなったなら、何ものにも惑わされるな、のような話だ。三猿の「余計なことは見ない、聞かない、言わない」も、何かに惑わされることのないようにという話で、惑わされなければ人生を幸福に送ることができる、という教えだ。
日光東照宮は徳川 家康を祭った社だ。同じく徳川 家康に所縁がある秩父神社の本殿にも三猿の装飾がある。日光東照宮と秩父神社のどちらの三猿も左 甚五郎の作とされているのだが、日光東照宮の三猿が「余計なことは見ない、聞かない、言わない」の象徴なのに対して、秩父神社の三猿は「何事もよく見て・よく聞いて・よく話す」を表現しているそうだ。秩父神社の三猿はお元気三猿と呼ばれている。
秩父神社の本殿は徳川 家康が寄進したものだそうだ。日光東照宮を現在の姿に仕上げたのは三代目の徳川 家光であり、家康を尊敬していた家光が建てた日光東照宮に、家康が秩父神社に寄進した三猿と正反対のニュアンスを持つ三猿があるのには興味を惹かれる。
どちらの逸話にも一理あると思うのだが、自分は間違いなく家康派で、「余計なことは見ない、聞かない、言わない」よりも「何事もよく見て・よく聞いて・よく話す」ことの方が大切だと思う。
この週末TBS/JNNが世論調査を行ったそうだ(JNN世論調査、英語民間試験の延期「支持」5割超 TBS NEWS / TBS「世論調査」調査日 2019年11月9日,10日)。
この世論調査での内閣支持率は、支持54.3%/不支持42.4%で、10月の調査時と殆ど差がなく、相変わらず支持が不支持を上回っている。直前に首相が国会で2度も、しかも1度目で謝罪をしたにもかかわらず、たった2日後に同様の稚拙なヤジを繰り返し、首相主催の桜を見る会に地元の後援会員を多数招いていると指摘され、招待者名簿の公開を要求しても、政府がそれを拒んでいるという話も出た(論戦ハイライト/桜を見る会 公的行事を私物化/モラル崩壊 首相に起因/参院予算委 田村氏の追及で浮き彫り しんぶん赤旗)のに、そんな結果が出た。
支持理由は「特に理由はない」が33%でトップだ。「自民党を中心とした内閣だから」28.0%、「安倍内閣に期待できる」18.4%と続く。
こんな「ただなんとなく」「自民党ファンだから」みたいな具体性のない支持理由で支持されている/支持しているなんてのは、マトモじゃないというのが率直な感想だが、11/9の投稿でも書いたように、首相が指摘を受けて謝罪し、その舌の根の乾かぬ内に再び稚拙なヤジを国会で繰り返したことを報じたテレビ局は殆どなかったし、共産党の田村議員が桜を見る会について追求したことについても、今日になって新聞等が報じ始めたが、テレビではまだ殆ど取り上げられていない。
こんな風にメディアが言わ猿の如く口を閉じ、有権者の目や耳が見猿・聞か猿が如く封じられたら、状況に反した調査結果が出るのも何も不思議ではない。
英語の民間試験についての調査に関しては、設問設定自体が政府に忖度しているように感じられる。
1つ目は「文部科学省は大学入試での英語の民間試験の活用について、来年度の導入を延期すると発表しました。あなたは今回の決定を支持しますか?支持しませんか?」という問いだが、あたかも文科省が英断を下したかのような設問になっているが、文科省/現政権は、今回延期が決定される理由となったのと同様の批判が、以前から示されていたにもかかわらず、試験まで半年に迫ったこのタイミングまでゴリ押ししようとしていたのだから、設問は「今回の決定を支持するか」ではなく、この時期になるまで批判を無視していたことへの是非を問うべきではないのか。
また「この問題をめぐっては、萩生田文部科学大臣が受験生を念頭に「身の丈に合わせて頑張って」と発言し、のちに撤回・謝罪しました。あなたは、一連の問題の責任を取って萩生田氏が大臣を辞任すべきだと思いますか? 辞任する必要はないと思いますか?」も、謝ってるのに辞任する必要ある?ない?的な聞き方には違和感がある。「憲法にも定められている教育の機会均等を軽んじる発言をした者に、文科大臣の充分な資質はあるか」と問うべきではないのか。
これで果たして適正な設問設定と言えるか。状況に即した調査結果が得られるだろうか。
決してTBSに限った話ではないが、妥当な報道がなされず、政治や行政の実態が適切に伝えられなければ、適切な設問が設定されなければ、世論調査の結果が「ただなんとなく」「○○党のファンだから」のような、まるで人気投票のようなものになるのも当然だろう。昨日の投稿にも書いたように、もう既に他国からは「裸の王様(安倍 晋三)に船長(首相)を7年もやらせているなんて、あの船(日本)の乗客(有権者)は何も考えていないんだな」と思われてしまっているだろう。
まともな民主主義国家では、有権者とメディアがスクラムを組んで公権力を監視するものだが、いまの日本では、有権者が、公権力が適切に運用されているかだけでなく、メディアが公権力に忖度せず適切な報道を行っているかにまで目を光らせなければならなくなってしまっている。
だから今必要な教訓は、日光東照宮の三猿「余計なことは見ない、聞かない、言わない」ではなく、秩父神社のお元気三猿の教え「何事もよく見て・よく聞いて・よく話す」だと強く感じる。
トップ画像は、ファイル:20100727 Nikko Tosho-gu Three wise monkeys 5965.jpg - Wikipedia を加工して使用した。