「引かれる小泉今日子と守られるユーミン、女性芸能人の政界進出はヌードより恥ずかしい |BEST TiMES(ベストタイムズ)」なる記事が、昨日掲載されそしてあっという間に削除された(リンク先はアーカイブ)。
この記事を書いた宝泉 薫なるライターは、アサヒ芸能が「小泉今日子『共産党から出馬』準備」という記事を掲載したことを前提に、
女性芸能人の政界進出にはヌードに似た恥ずかしさがある
としている。確かに元芸能人の政治家の中には、単に政党の広告塔に利用されているだけで、全く政治家としての資質を持ち合わせていない恥ずかしい者もいるが、それは芸能人だから恥ずかしいのではなく、政治家として充分な資質もないのに一端を気取っているから恥ずかしいのであって、芸能人の政界進出は全般的に恥ずかしい、という話だけでもアホ臭い。
しかも女性芸能人と、ライターは女性に限定しており、明らかな女性蔑視が見える。しかも前述の記述の後には「ではなぜ、彼女がこうなったかというと、男の存在が大きい。不倫相手でもある俳優・豊原功補である。こちらも政権批判に熱心な、いわゆる「アベガー」で、小泉はこの恋のためにデビュー以来所属してきた大手事務所・バーニングをやめて独立してしまった」と続くのである。この記事を掲載したサイトや、その運営母体であるKKベストセラーズは、よくもこんなに浅はかで幼稚な記事を掲載できたものだ。
ツイッターを見れば分かるが、この記事へは掲載直後から批判が上がっていた。どんな判断が働いたのかは分からないが、半日も立たない内に記事は削除されたようだった。しかし、一度世に出した記事は削除してもなかったことにはならない。
記事への批判の多くは、女性芸能人の政界進出は恥ずかしい、という部分へ注目している。しかし個人的に注目したいのは、
ヌードになることは恥なのか
という点だ。誰かが個人的に「(自分が)ヌードになるのは恥ずかしい」と考えるのは何も不思議ではないし、決しておかしいことではない。しかし、ヌードになることは絶対的に恥ずかしいこと、という認識は全く容認できない。間違いなく偏見、そして差別心に満ちている。ヌードになることは恥ずかしいだなんて、日本で言えば、昭和どころか大正以前の感覚だ。
この宝泉 薫を名乗るライターは、ブログの性別欄には男性とある。
そしてこのブログでは、散々女性の体型の美しさについて言及している。当該記事を掲載したWebサイトの、このライターの記事一覧を見ても、しばしば女性の体型に言及している。またブログ記事のいくつかを読めば、この人物が異性愛者であることが強く推測できる。彼はこれまでに女性のヌードによって性欲を満たしたことはないのだろうか。もしそのような行為をしているのに、「女性がヌードになるのは恥ずかしい」と言っているのなら、もうそれは女性蔑視以外の何ものでもない。
またこの「女性がヌードになるのは恥ずかしい」という話が前提にある記事を掲載したWebサイトも大概だ。同サイトを運営するKKベストセラーズは新書やムック本を主に発行している出版社だが、成人向けの出版物、所謂エロ本も多く扱っている。
この種の女性のヌードに溢れた本を多数出版しながら、一方では「女性がヌードになるのは恥ずかしい」という話が前提にある記事をよくも掲載できたものだ。これでは性風俗産業は女性蔑視の上に成り立っているという批判を受けてしまう。出版に限らず性風俗産業に関わる業界他社は、このような記事には明確に立場を表明した方が良いのではないだろうか。
更に酷いことに、Yahoo! ニュースもこの記事を掲載していた。元記事が削除され、Yahoo!ニュースからも削除されたが、「引かれる小泉今日子と守られるユーミン、女性芸能人の政界進出はヌードより恥ずかしい(BEST TIMES) - Yahoo!ニュース」というタイトルでGoogle検索すると、その残骸がまだある。
恐らくYahoo!は、機械的に掲載されただけ、と説明するだろうが、偏見に満ちた記事が機械的に掲載されるシステムには間違いなく問題がある。記事を掲載することで利益を上げているのに、システムの仕様なので自分達にはその記事を掲載した責任はない、とするなら無責任極まりない。
当該記者のあまりにも幼稚で稚拙な認識、そしてそれをそのまま掲載してしまうメディアの問題。日本で男尊女卑を始めとした差別や偏見がなくならないのは、間違いなく個人の認識の問題で片付く話ではなく、構造的な問題性がそこにあることが、この件からもよく分かる。