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日本の男女不平等はシャア専用ザク状態

 ガンダムを知らない人でも、大抵の日本人はガンダムを見ればガンダムだと分かるし、ザクを見れば、ザクという名称は知らなくてもガンダムに出てくるロボットだということくらいは分かるだろう。ガンダムとザクは、恐らくドラえもんに次いで日本で2番目/3番目に有名なロボットだ。


 ザクを見ていると、何とも日本的な存在だと感じる。ガンダムは未来の戦争を描いたアニメで、ザクは汎用型の量産兵器だから没個性なのは当然と言えば当然だが、ガンダムはトリコロールカラーで塗られ戦場でも極度に目立つ存在なのに、量産型ザクは見た目の変わらない機体が山程登場するからだ。厳密に言うと、ガンダム側の連邦軍の量産型モビルスーツ・ジムの方がより日本人的な要素が多い気もするが、ガンダムで最もポピュラーな量産機と言えば何と言ってもザクで、やはりザクの方が象徴的である。

 日本人の全てが没個性なのかと言えば、決してそうとも言えない。原宿に行けば奇抜なファッションを好む人を多く見かけるし、その他の街にもその種の人のは少なからず存在している。だが全体的な傾向から言えば、やはり日本人は他地域の人達に比べ他者からの評価・他人の目を気にする傾向が強く、目立つことを望まないと言ってもいいだろう。

 他者の評価や他人の目を気にする日本人のこの気質は決して悪いことではない。他者の評価を気にする・他人の目を気にして行動するということは、言い換えれば他人の気持ちを推しはかって行動するとも言える。個人的には、日本は他地域に比べて思いやりに溢れているとは思わないが、他者の評価や他人の目を気にする気質が上手く機能すれば、それが思いやりに繋がる場合も多いだろう。また動機として適当か否かは別として、そのような気質が町並みや身なり等全般的な清潔さに、少なからず繋がっているとも言えるかもしれない。
 しかし他者の評価や他人の目を気にする日本人の気質には当然悪い面もある。他者の評価や他人の目を気にするあまりに、目立つことを極度に嫌い、目立つ存在を過剰に嫌悪するようなケースも少なくない。またコロナ危機下における所謂自粛警察のように、「自分は我慢しいてるのにお前はなぜ我慢しないのか」のような履き違えた平等感を求め、攻撃性を発揮するケースも多く、それも他者の評価や他人の目を気にする日本人の気質に由来しているかもしれない。


 詳しく調べたわけではないので、もしかしたら、他者の評価や他人の目を気にする気質が日本人は他より強い、という通説は正しい認識ではないかもしれない。だが、もしそれが正しい認識ではなかったとしても、それは「他より強い」という部分に関してで、少なからずそのような気質はあるだろう。また、近代以降の日本には、欧米に対して劣っているというコンプレックスがあることも間違いない。特に戦後はアメリカに対するあこがれが強く、なにかと「欧米では」と言う、所謂出羽守も少なくない。
 何事も欧米のすること・認識が正しい、とは言えないが、現在の日本は未だに20世紀以前の感覚を引きずっている部分も多い。例えば、日本では明らかに未だに男性上位・年功序列が根強く残っている。それは、昨日新たに発足した内閣を見ても明らかだ。

新内閣の女性割合はたった10%、そして平均年齢は60.4歳、自民党の総裁と4幹部に至っては、

  • 菅義偉総裁(1948年生まれ 71歳)
  • 二階俊博幹事長(1939年生まれ 81歳)
  • 佐藤勉総務会長(1952年生まれ 68歳)
  • 下村博文政調会長(1954年生まれ 66歳)
  • 山口泰明選対委員長(1948年生まれ 71歳)

と、全員男性高齢者である。また自民党に限らず、他の野党と合併した新・立憲民主党の代表と役員も、自民同様に男性だけだ(立憲民主党 役員人事固まる 幹事長に福山氏 政調会長に泉氏 | 選挙 | NHKニュース)。
 日本人は他人の目をとても気にする気質であるのに、他国に比べて明らかに旧態依然のこの状況を、なぜ恥ずかしいとは思わないのだろうか。とても不思議でならない。このようなことにこそ、他者の評価や他人の目を気にする気質を発揮した方がよいのではないだろうか。日本の男女不平等は、欧米のみならず新興国にも劣る状況であり確実に世界的に目立っているのに、そこに目立つことを嫌う気質が発揮されないのは、最早異様だ。

 ガンダムでは、量産型ザクの中に目立つ赤いザク、シャア専用ザクが登場するが、日本の男女不平等はまさに量産型ザクの中にいるシャアザクのような状況である。


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