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著作権の目的は文化の発展と存続

  最近の10代は公衆電話の使い方を知らないらしい。携帯電話の普及が始まったのは買取制が導入された1994年からで、2000年には契約数が固定電話を超えたのだから、それ以降に生まれた世代が公衆電話にあまり触れたことがないのは当然だろう。公衆電話と同様に既に過去のものになりつつあるもの、の一つにVHSもある


 自分が物心ついた頃は、まだVHSなどのビデオデッキは普及してはおらず、裕福な家か親父が新しい物好きな家にしかなかった。映画は映画館で、若しくは何年か遅れのテレビ放送でしか見られなかったし、テレビ番組もオンタイムでテレビの前に居なければ見られなかった。ファミコンを持っている子の家に集まるように、一時期ビデオデッキのある子の家に集まってはジャッキーチェンの○○拳を毎日のように見ていたような記憶がある。
 1980年代後半のバブル期は、各家庭にビデオデッキの普及が進み、レンタルビデオ店も流行った。テレビ番組の録画視聴もポピュラーになった。ビデオデッキの種類にはβマックス方式もあったが、あっという間にVHS一色になった。VHSもβマックスも磁気テープ/アナログ記録方式だったので、古い映画をレンタルすると画質がとても悪いなんてことがよくあったし、友達づてに回ってくるダビングされたアダルトビデオは、何度も何度もダビングされたのか、若しくは何度も再生された所為か「これモザイクいらないんじゃん?」というくらい酷い画質だった。
 しかしビデオデッキも、音楽用カセットテープがMDやCDに置き換わっていったように、VHSもDVDやHDD録画に徐々に変わっていった。DVDは2000年に発売された、DVD再生機能を搭載したゲーム機・プレイステーション2と共に普及が進み、同じく2000年頃から徐々にDVDレコーダーが、そして2003年頃からはHDDを搭載したタイプが登場しはじめ、画質劣化もなく早送りや巻き戻しの手間もないそれらの新メディアへの置き換えが徐々に進んだ。2010年頃には、ほとんどのレンタルビデオ店がDVD(とBlu-Ray)で商売するようになった。そして今では実店舗/物理メディアのレンタル店、デッキタイプのDVD/HDDレコーダーも既に斜陽で、テレビ録画はHDDを繋げばテレビ本体だけで可能だし、映画などの映像コンテンツはデジタル配信で鑑賞するものになっている。

 TSUTAYA渋谷店で、未DVD化映像作品を含む約6000タイトルのビデオテープがレンタルできるようになった、という記事をねとらぼが掲載している。

「圧がやべぇ」「何があった渋谷ツタヤ」 SHIBUYA TSUTAYAに未DVD化作品含む“ビデオテープ”レンタルコーナー爆誕  - ねとらぼ

 デジタル配信が昨今の映像コンテンツ流通の主流だが、それらでは見られないコンテンツに実店舗が活路を見出した、ということなのだろうが、「今VHSのデッキが家にある人が一体どれくらいいるんだろう? 果たして商売になるの?」とも思った。記事に「しかもビデオデッキも貸りられます」とあるものの、それなりのサイズと重量のあるデッキを抱えて持ち帰り、そして使用後に返却する手間を、ごく普通の人達は敬遠するだろうなという気もする。

 TSUTAYAの実店舗などにしてみれば、物理メディアでしか鑑賞することができないコンテンツの存在は必要なのかもしれないが、多くの人がデジタル配信でコンテンツを鑑賞する状況で、デジタル配信されないコンテンツというのは、存在していないにも等しいと言っても過言ではないだろう。つい10年前までデジタル配信があまり進んでいなかった雑誌やマンガも、海賊版の隆盛と共に公式デジタル配信が一気に進んだ。それ以前に音楽コンテンツで同じ様な状況があったのに、なんで反面教師にせず対応が後手後手になったんだろう、という気もしたが、今やデジタル配信されない雑誌やマンガの方が珍しい状況だ。手元に置いておくことを重視するなら紙や光学ディスクなどの物理メディアにもメリットはあるが、気軽に鑑賞するならかさばらないし探す手間もないデジタル配信の方が圧倒的に有利だ。

 現在は、音楽/映像/静止画媒体共にデジタル化されないコンテンツの方が珍しいが、過去の資産は未だにデジタル化されていないものが結構ある。マンガでは、マンガ図書館Zなるサイトが、出版社が新たに紙で刷らなくなった絶版マンガを、作者の了承を得て集め、閲覧の際に得られる広告料を還元するという方式で、誰でも楽しむことができるようにしている。だが権利が複雑に絡み合う映像コンテンツには、そのようなサービスが見当たらない。Youtubeで非公式にアップされているものもあるが、あくまでも非公式であり権利者に利益が還元されていないし、いつ消えてしまってもおかしくない。また動画投稿サイトにすらない作品も多く、やはり権利処理が多くの映像コンテンツの存続を脅かしている状況がある。しかも今後は現在家庭などに埋もれている物理メディアも劣化が進み廃棄されていくだろうから、本当に「消える」ものも決して少ないだろう。

 著作権/著作権法とは一体何の為にあるのか。日本の著作権法第1条には、著作権法が何の為にあるのか、その目的が書かれている。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする

「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする 」とあるように、著作権/著作権法とは、文化の発展と寄与がその主な目的であり、その目的を果たす為に著作者の権利を認め、また保護し、適当な対価を得られるようにすることで創作活動等を促進しようということだろう。しかし、その著作権/著作権法が、少なくない著作物の存続を脅かす存在にもなりかけている、という現状がまさにある。デジタル化されずVHSでしか鑑賞できない映像コンテンツなんてのは、まさにその象徴的な存在だ。権利処理の方法がもっと簡便なら、もっと気軽にコンテンツを扱うことができれば、そのようなコンテンツをデジタル化し、もっと多くの人の目に触れる状態にすることが出来るだろう。
 確かに権利者の利益を確保することも文化の発展と存続の為には間違いなく重要である。しかし、利益を上げることが著作権/著作権法の目的になってしまうと、文化の発展と存続が蔑ろにされる恐れがある、というか既にそのような状況が広がりつつあるのは、権利処理がハードルとなりデジタル化されないコンテンツが多数あることが物語っている。

 9/18にスタジオジブリが8作品合計400枚の場面写真を「常識の範囲で自由にお使いください」と公開した。

今月から、スタジオジブリ作品の場面写真の提供を開始します - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

 スタジオジブリはなぜこんな試みを始めたのか。この件に関する記事「スタジオジブリ作品、場面写真の提供開始の裏に「消える」危機感」には、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木 敏夫さんが、8月にラジオ番組の中で「ジブリと著作権」をテーマに語ったことを紹介している。鈴木さんは番組の中で

著作物は、誰かが読んで、見て、聞いてくれないと意味がない。常に世の中の人に楽しんでもらい、話題に上がる、それが一番重要。作った人のものだけど、作った人だけのものじゃない

と述べたそうだ。 

 記事よると、スタジオジブリの1988年の作品「火垂るの墓」は、 1967年に初版が発行された野坂 昭如さんの、戦争体験を題材にした小説が原作だが、「火垂るの墓」はジブリが映画化を企画した頃には絶版の危機にあったらしい。当時はインターネットなどまだなく、絶版になると書店で注文しても入手できなくなる状況だった。書籍の現物が古本以外に流通しなくなってしまうため、絶版になった本はやがてこの世から消えていくことになる。ジブリの映画化によって野坂さんの原作も再び注目されることになり、作品は長く生きつづけることになった。
 鈴木さんはこうも言っている。

たった20年でそういうことが起きた。いまから準備をはじめたいんですよ。ジブリのいろんなキャラクター、その他の著作物に対して、みんなが使いやすい環境を作る。でないと消えていっちゃう、その恐ろしさです

今もまだ人気の衰えないジブリの作品たちだが、それがこれからも未来永劫続くとは限らない。もしかしたら今後20年くらいの間に、何かをきっかけに急激に人気が衰える恐れもある。今人気がある人達だってこんな危機感を持っている。

 ゴッホは死後に作品が評価されたことで有名だが、もし著作権が現在のような状況だったら、誰がその権利を継承するのかなどの争いが起きて、その影響でゴッホの絵は今ほど評価されなかった、なんてことにもなっていたかもしれない。鈴木さんの言うように、現行法を無視して好き勝手やっていいということでは断じてないが、

そう目くじらたてなくてもいい領域があるんじゃないの?

ということを今一度、今の著作権/著作権法が「文化の発展と存続」という目的を果たすのに適した形になっているのか、を検証し、現状に合わない部分、文化の発展と存続に反している部分は変えていく必要があるのではないだろうか。

 

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