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画一的の象徴・制服は、主体性の低さの原因にもなっているのではないか

 性差別的なドレスコードへの抗議や、ジェンダー平等と性的マイノリティの権利尊重などを訴える為に、男子生徒がスカートを履いて登校している、とハフポストが報じている。但しこれは日本ではなくカナダでの話だ。制服がない学校でも、女子生徒の肌の露出等に関して男子生徒のそれよりも過剰に指導がなされる事への抗議として、同じ様な抗議行動あったとしばしば報じられるが、それも欧米での話で、日本でのそのような話は記憶にない。

男子生徒がスカートで登校。何が起こった?制服への抗議運動が、カナダの高校生の間で広がる | ハフポスト

 男女別の制服、男女さのあるドレスコード以前にそもそも、画一的に制服着用を義務付けることが教育の場に相応しくない、と個人的に考えている。しばしば、制服は裕福でない家庭や生徒の劣等感を生まない為の仕組みだ、という話を耳にする。確かに戦後期にはそのような役割もあったかもしれない。しかし、そもそも制服は戦前から存在しており、戦前に小学校以上の上級学校に通えたのは、そもそも裕福な家庭の子どもが多かっただろうから、制服が採用されたのは裕福でない家庭や生徒への配慮が主な理由、とは言い難いのではないだろうか。また、制服が裕福ではない家庭や生徒への配慮であるならば、もっと安価な衣料があるにも関わらず、なぜ比較的高価な服装を制服に採用するのか。そんな点でもその説明は辻褄が合わない。

 自分も学生の頃から制服なんて必要ないと思っており、親や先生になぜ制服が必要なのか、と問うても大抵「制服を着るのが学生らしいから」のような答えしか返ってこなかった。○○らしさとはあくまでも自分で決めるものであり、誰かに押し付けられるようなものではない
 確かに警察官は制服を着ていることで警察らしく見える。しかし警察官が制服を着るのは、警察官であることを周囲に知らしめたほうが業務上都合がよいからで、周囲に警察官であることが知られない方が都合のよい部署の警察官は制服を着ない。警察官が制服を着るのは、制服を着た方が警察らしいから、ではあるが、果たして学生は学生らしく見せる為に制服を着る必要があるだろうか。学生が学生らしく見えた方が都合がよいのは、学生たちではなく親や先生の方だ。だから親や先生など大人は学生に制服を着せたいし、彼らが考える学生らしい格好をさせたいのだろう。警察官が制服を着るのは警察官自身が都合がよいからだが、学生の場合は都合がよいのは概ね学生自身でなく、管理する立場の親や先生だ。

 そんな風に考えると、学校の制服と似ているのは軍服である。兵隊も敵に敵と認識され難くする為には、制服でなく自由な服装をした方が良さそうなものだが、それには味方の兵隊かどうかが分かり難く、組織としての管理が難しくなるという弊害もある。つまり、軍が兵士に軍服を着せるのは管理がしやすいから、という側面がある。
 昨今は男女共にブレザーの方が主流になっているが、日本の所謂制服と言えば詰襟とセーラー服だった。詰襟の男子学生服は明治期の海軍士官型の制服をモデルとしたものだし、セーラー服も19世紀から世界中で軍服として用いられている。つまりどちらも軍服が元になっており、なぜ戦争中でもないのに軍服が学生らしいのか、70年前の戦争の感覚を未だに引きずっているのではないか、という強い疑問もずっと自分は持っていた。
 因みに制服を英語では Uniform と言う。日本からGoogleで Uniformで画像検索 すると学生服が多くヒットするが、画像素材サイトで Uniformで検索すると、まず表示されるのは軍服である。

2000以上の無料Uniform&制服画像 - Pixabay

Uniform Pictures | Download Free Images on Unsplash

 ブレザーも世界中で多く軍服に採用されているが、詰襟やセーラー服に比べれば軍服のイメージは薄く、詰襟やセーラー服からブレザーへの移行の背景にはそんな理由もあったかもしれないが、ファッション性と改造制服への対処としてブレザーを採用する学校が増えたという理由の方が本筋だろう。日本の学校で制服が採用されている理由は、どんな格好が学生らしいかすら本質ではなく、どんな格好が大人が管理しやすいか、どんな格好を大人が子どもにさせたいか、学生らしさと称し大人が管理とエゴの為に生徒に制服を押し付けている、のが学生服の本質ではないだろうか。

 制服に学生の頃から強い疑問を持っていた自分は、冒頭で紹介したカナダの学生ような抗議行動をすることはなかった。今思えば、制服に疑問を持っていたならば、制服をボイコットするなどの抗議を実行すべきだったように思う。隣の駅に地域で一番の公立進学校があり、そこには制服への抗議として制服を着てこない生徒がいたようだが、それに他の生徒が同調・賛同してボイコット運動化するなんてことはなかった。多分多くの生徒が制服に疑問を感じつつも「自分達が抗議しても何も変わらない」と諦めていたり、もしくは「学生が制服を着るのは当たり前」と認識していたのだろう。
 自分は制服を廃止した方がいいとは思っていない。着たい生徒は着る、着たくない生徒は着なくてもよい、とした方が妥当だと思っている。だから、制服着用を義務付けるのは教育に相応しくない、と言っている。制服は学生らしさだから学生は着るべきだ、のような考えが支配的では、日本に本当の意味での多様性の尊重なんて生まれないだろう。多様性を尊重するなら、着たい生徒は着る、着たくない生徒は着なくてもよいとし、画一的な学生らしさよりも、それぞれが考える自分らしさを優先しなくてはならないからだ。

 日本の有権者は他国にも比べて政治への関心が低いと言われている。そうなってしまうのは間違いなく学生への有権者教育の失敗だし、その背景には画一的な生徒を量産してしまう学校教育がある。制服はそのまさに象徴的な存在で、みんなで揃って同じ事をすることをよしとする風潮、従順であることを美徳とする傾向の強さが変わらないと、社会の歪みはなくならないだろうし、自分達が国の主体であるという気質も高まらないのではないか。

 

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