スキップしてメイン コンテンツに移動
 

スガーリンポスターにまつわるあれこれ

 日本学術会議が会員に推薦した学者105名の内、政権批判などを行ってきた6名の任命を、推薦者を形式的に任命してきた前例を一方的に覆して拒否し、それに対する批判が高まると後だしジャンケンの如く、そもそも政府が勧告に必要な要請を行っていないのに「法律に基づく政府への勧告が2010年8月から行われていない」などとして、行政改革と称して日本学術会議の運営の在り方や組織全体の見直しを言いだした現首相の菅は、一部でスガーリンと呼ばれ始めた。


 菅 義偉のことをスガーリンと呼んでいた人は、2020年9月以前にも少数ながらいたことは、ツイッターで検索するとその例がいくつか見つかるが、その呼び名は間違いなくマイナーだった。スガーリンという呼称が散見されるようになったのは総裁選に立候補してからだし、目立ち始めたのは学術会議の件が注目され始めてからである。つまり10/1以降は確実にその呼称がSNSを中心に広がっていた。

 果たして自民党や菅がそれを本当に意識したのかどうかは定かでないが、自民党が10/13に発表した新ポスターは、すぐにスターリンを意識したデザインだと話題になった。

自民党、菅体制初のポスター発表|TBS NEWS

新ポスターを発表 キャッチコピーは「国民のために働く。」 | お知らせ | ニュース | 自由民主党

 それを更にスターリンに寄せ、ポスターの菅を絵画風に加工してスターリンの象徴である口ひげ、所謂 mustache / マスタッシュを加えたのが今日のトップ画像である。因みにスターリンの元画像と菅のポスターの元画像がこれだ。

 このポスターに関しては「国民のために働く。」というスローガンもいろいろといじられており、かく言う自分もポスターが発表された後すぐにスローガンをイジったコラージュ画像を作った一人である。

 2020年初頭に話題になった「100日後に死ぬワニ(Wikipedia)」をもじった「100日で崩壊する政権」というマンガを描いたことでも知られる漫画家のぼうご なつこさんは、その後も #令和の歴史教科書 というタイトルで政権批判マンガを不定期にツイッターへ投稿しているが、当然のようにこのポスターに関するマンガも投稿している。

 ぼうごさんはマンガの中で「国民のために働く」というスローガンについて、

…いや、それ…当たり前ですから!! むしろ国民の為に働かない総理ってなに??

と指摘している。確かにその通りだ。その次のコマには「(国民のために働くという、当たり前すぎるスローガンを掲げたことで、)図らずも歴代の自民党の総理は国民のために働いていなかったと告白したスガ総理だった」とあるが、流石に歴代の自民政権の総理は少し飛躍し過ぎだろう。
 しかし、そんな当たり前のスローガンを敢えて掲げるということは、少なくとも直前の政権ではそれが出来ていなかった懸念があり、だからそんな当然のことにあらためて言及しなくてはならない、と解釈するのは決して不自然とは言えない。つまり歴代の自民政権は言い過ぎでも、前安倍政権にはそのような懸念があった、なければ敢えてそんな当然のことを言う必要はないということだ。だが、菅は前安倍政権の顔役・官房長官であり、総裁選を戦うにあたって「基本的に前政権を踏襲する」と明言している。つまり菅は「国民のために働く」というスローガンを掲げたことで、またもや矛盾を生んだことになる。

 小学校の頃、学年や学期の冒頭に各個人がそれぞれの目標を考える、なんて時間があった。例えば「足が速くなる」「忘れ物をしない」「算数で優を取る」「全部の都道府県を覚える」なんてのを、それぞれが考えて決めていたように記憶している。だが、既に出来ていることを目標にすれば、先生から「○○さんはもうそれはできているから他のことにしてください」と言われた。
 企業でも期間を決めてその月の売り上げ目標を定め、そこから何をするのかを組み立てる。基本的に目標はそれまでの実績よりもやや高く設定するものである。でなければ企業としての成長も従業員の昇給も実現しないからだ。勿論景気等を加味して実績よりも目標が低く設定されるケースもあるが、それはやむを得ない場合に限定される。

 そんな風に考えれば、「国民のために働く」というスローガンを掲げる政権のレベルが如何に低いのかが分かるだろう。基本的に考えれば、これまで国民のために働いてこなかったから、そんな当たり前のスローガンを掲げなくてはならないということだし、もし既に出来ているのに「国民のために働く」なんて当たり前のスローガンを掲げているのだとしたら、その先に進む気がない政権であるということになるだろう。

 

  しかもスターリン風のデザインのポスターに「国民のために働く」なんて当たり前のスローガンを付けているのを見ると、民主主義でも共和制でもないのに国名に民主主義人民共和国なんてついている、すぐ隣のあの国が頭に浮かぶ。更には、中曽根康弘元首相の合同葬に合わせ、政府が全国の国立大など教育現場に弔旗の掲揚や黙とうで弔意の表明を求めている、という話もあり、まさに建前と実態が異なっている全体主義的な政権だな、という感しかない。

「思想統制」「国民目線とずれ」 中曽根元首相の合同葬巡り教育現場から批判 - 毎日新聞

 

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。