昨夜のDommuneでは「AEQUITAS & SUPER DOMMUNE Presents『WORKING CLASS REUNION』」と題し、新型コロナウイルス感染拡大が収まらない中で、雇用や労働条件、労働環境といった、特に非正規雇用労働者をめぐる状況が悪化の一途を辿っていることや、そんな状況での労働組合の存在意義、自己責任論が如何に健全な社会を壊すかなどについて語られていた。
AEQUITAS & SUPER DOMMUNE Presents『WORKING CLASS REUNION』 - DOMMUNE
その中でも語られていたが、非正規労働の問題、雇用・労働条件や労働環境の悪化はコロナ以前から慢性的に日本社会に存在しており、ウイルスの感染拡大によってさらに加速し顕著になった、というのが実情だ。その影響は、現在およそ4割が貸与奨学金という名の借金に学費を頼っている大学生にも及び、アルバイト等がなくなり生活が成り立たないという学生が増えているということにも触れられていた。
因みに、日本学生支援機構の貸与奨学金の利用率は、1990年代は10%前後で推移していたのに、2000年代後半に20%に、そして2010年代は40%近い数字になっている。つまり、大学の学費値上げと大学生の親世代の収入減が顕著だ、ということである。
共同通信によると、政府は10/23に開く新型コロナウイルス感染症対策分科会で、年末年始の休暇の延長を提言するそうだ。日本では例年1/4頃に仕事始めとする向きが強いが、帰省や旅行、初詣などによる人出増を分散するため、1/11の成人の日まで休みを延ばすよう企業などに働き掛けるらしい。
政府、年末年始の休暇延長提言へ 帰省、初詣の人出分散 | 共同通信
平成29年の時点で、非正規雇用で働く人の割合は37%、およそ4割にも達しており、非正規雇用労働者の50%をパート労働、20%がアルバイトを占める。つまり非正規雇用の大半は時間給で働く労働者だ(「非正規雇用」の現状と課題 - 厚生労働省)。政府は果たして、年末年始の休みが増えればその分非正規雇用労働者の収入が減る、ことを勘案しているだろうか。到底しているとは思えない。どちらかと言えば業績悪化にあえぐ企業側に配慮し、少しでも人件費を抑制しやすい状況を、コロナ対策を名目に作ろうとしている感すらある。
なぜそのように感じられるのかと言えば、もし政府が立場の弱い労働者の方を見て政策を考えているなら、年末年始休暇の延長を提言するならば、その分の収入減を補う施策を一緒にアピールしているだろうからだ。勿論記者がつまみ食いをして記事化した恐れが全くないとは言えないが、現在の政府と大手メディアの関係性に鑑みれば、そのような話があるならば政府は全面的にアピールし、その部分が省かれ記事化されたら即座に自らアピールを始めている筈だ。しかしそんな話は一切聞こえてこないので、企業の方ばかりに向いた策にしか見えないのである。
これと似た批判や指摘は既にSNSなどでも散見される。だからもしかしたらそれを勘案して、何らかの収入減対応策が打ち出されるかもしれないが、それは十中八九批判や指摘を受けた後付けだろう。
そもそもコロナ以前から、年末年始の休みやゴールデンウイークが曜日の並びによって長期化すると、非正規雇用で働く労働者から収入減を嘆く声が毎度のように上がっていた。にも関わらず、その問題に無策なまま年末年始の休み延長を政府が推進する、ということが一体どういうことかが分かるだろう。
現自民党政権は働き方改革/多様な働き方の実現などと称して、非正規雇用の問題から目を背けてきたと言っても過言ではない。しかし実際は多様な働き方が選べる状況など全く実現しておらず、不本意に非正規雇用で働かざるを得ない人が増えている、というのが小泉構造改革以降の日本の現実である。
非正規雇用で働かざるを得ない人が増えている、と言うと「努力が足りないから非正規で働かざるを得なくなる。自業自得だ」のようなことを言う人がいる。しかもその種の人は現自民党政権支持者に多い。しかしそのような話は、現自民党政権が掲げる、多様な働き方を選べる社会とは全く異なっている。つまり自民党がそのような者に支えられているということは、実質的には羊頭狗肉の看板が掲げられているに等しい。
強い人だけが生き残る社会、弱みを見せられない社会というのは、動物的であって人間的ではない。人間には他の動物にはない理性と尊厳があるはず。自己責任、弱肉強食というのは人間らしいと言えるか。弱者を切り捨てる行為はどんな宗教の教えに照らしても、近代以降の民主主義国家の実情から言っても、決して人間性に富むとも、人道的とも言い難い。