スキップしてメイン コンテンツに移動
 

「事故があったからダメ」ではなく「事故が起きたら取り返しのつかないことになるからダメ」

 宮城県知事、同県の石巻市長、女川町長が会見を行い、東北電力・女川原発2号機の再稼働への同意を表明した。東日本大震災で被災した原発の再稼働に地元が同意するのはこれが初めてで、早ければ2023年にも女川原発2号機が再稼働することにもなりそうだ。福島原発事故後、これまでに再稼働した原発は全て西日本に立地している。


女川の再稼働、宮城知事が同意表明 被災原発で初めて:朝日新聞デジタル


 2020年2月、女川原発2号機は原子力規制委員会の審査に合格。梶山経産大臣が村井 宮城知事に再稼働への地元同意を要請していた。立地自治体の女川町議会と石巻市議会、宮城県議会が再稼働に賛成する陳情や請願を採択したものの、11/9に開かれた宮城県35市町村長による会議では再稼働に反対する意見も出た。だが最終的には、県知事と立地市町長の判断に委ねることが決定し、それを受けて宮城県知事、同県の石巻市長、女川町長が会見を行い、再稼働への同意を表明した格好だ。

 その会見の中で村井 宮城県知事がこんな発言をした。

村井知事、再稼働を支持「事故がダメなら乗り物も否定」:朝日新聞デジタル

私は再稼働は必要だと考えている。原発がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる。技術革新をして人類は発展してきた。

あまりにも幼稚な発想で言葉もない。最早こんな考えは反知性と呼んでもおかしくはないだろう。誰が一体「事故があったからダメ」なんて言っているのだろうか。そう言っている人が全くいないとは言わない。しかし大半の原発反対派は「事故が起きたら取り返しのつかないことになるからダメ」と言っている。話の歪曲が甚だしいと言わざるを得ない。

 そもそも人間は不完全な存在なので、どんなに注意を払っても「絶対に事故は起きない」とはならない。事故が起きる恐れを限りなくゼロに近づけることは出来てもゼロには出来ないのが人間だ。だが、原発再稼働への同意を正当化する根拠として「事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる」という話を持ち出すのは明らかに非論理的である。
 確かに自動車事故は頻繁に起きるのに、事故があるから自動車は禁止しろとはならない。しかし、なぜ自動車はよくて原発はダメなの?という小学生レベルの疑問に答えるのは簡単だ。自動車事故でも人は死ぬ。だが自動車事故で半径数キロに及ぶ地域が放射能に汚染されることもないし、何十年も人が住めなくなることもない。しかも最近は、自動車が排出する二酸化炭素等の温室効果ガスが問題視され、自動車自体は否定されないが、内燃機関エンジン搭載車は環境汚染を理由に否定されつつあり、既に廃止へ向かっている。つまり、原発事故が環境にもたらす懸念によって否定されるのと同様に、自動車という乗り物もそのエネルギー源によっては否定され始めている。太陽光発電は否定されないが原子力発電が否定される状況など、原子力発電という発電手法が否定されるのは何もおかしなことではない。
 飛行機は事故を起こすと何百人もの人が死んだり、乗っていない人まで巻き添えを食う場合もあるのに否定されない。なのになぜ原発はダメなの?という質問にだって合理的に答えることが出来る。飛行機は事故を起こすと多大な被害が出るので、自動車のように気軽に操縦資格を得ることもできなければ、自動車のように気軽に飛ばすことも出来ない。そのおかげで飛行機に乗って事故にあい、死亡する確率は0.009%だそうで、8200年間毎日飛行機に乗って、死ぬかどうかという確率だそうだ(僕らは確率の世界に生きて、確率の世界で死ぬ (1/2) - ITmedia エンタープライズ)。
 つまり、事故等によって起きる影響の大きさの違いが、稼働・運用のハードルの違いになっていて、リスクが甚大過ぎる原発は、そもそも利用を止めようという話になってもなんら不自然ではない。原発・原子力が何故エネルギー源として重視されずに、今世界的に否定されつつあるのかと言えば、これまでどうやっても事故が起きた際のリスクを低減出来なかったからだろう。つまり、村井知事は著しくバランス感覚に欠けている。

 第二次世界大戦後間もない時期は、米ソを中心に原子力推進が活発だった。1950年代には、船舶や航空機など様々な交通機関への原子力導入が研究され、その中には原子力自動車もあった(原子力自動車 - Wikipedia)。今日のトップ画像に用いたのは、フォードが1957年にデザインした原子力自動車のコンセプトカー・ニュークレオンである。

 フォード以外にも幾つかのメーカーが原子力自動車を研究し、コンセプトモデルを制作したようだが、1950年代に研究された原子力自動車はなぜ実用化せず、研究も衰退したのだろうか。村井知事が言うように原子力に未来があると判断されていたなら、実用化には至らずとも今も研究は続けられているはずだ。
 しかし、全く研究されていないとは言えなくても、現在明らかに原子力自動車研究は衰退している。何故なら、安全面/経済面での問題性が解決できないと判断されたからだろう。ひとたび事故を起こせば環境への深刻な影響が起こるし、無事に運用され使用期限を迎えても、廃車にするのもかなりのコストがかかる。というか今も、核廃棄物を完全に処理する技術は確立していないのだから実用化できなくて当然だし、研究リソースが他の技術へ向くのも当然だろう。

 村井知事はなぜそんな代物を今再び稼働させたいのか。原子力を使いたいなら、まずは事故が起きても深刻な影響が起きない技術、廃棄物のほぼ完全な処理技術の確立が先なのではないか。順番が明らかにおかしい。人どころかその地域が、というか大げさに言えば地球が死ぬかもしれないのだから、原子力は「失敗するかもしれないけど、まずやってみよう」でいい代物ではない。
 そんなこと以前に、事故が起きた際の避難経路確保すらままならないのになぜ再稼働を急ぐのか、全く理解に苦しむ。このように複数の点から、宮城県知事らの言い分は幼稚としか言いようがない。 


このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。