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評価基準の歪んだ社会

 この画像は、数日前にツイッター上で話題になっていたものに着色を加え、16:9の比率に合わせてアレンジしたものである。調べてみたところ、昨日今日話題になったものではなく、およそ10年前くらいに注目されたもののようだ。初出が何なのかを調べてみたのだが、あまりにも多く引用されており(Google検索)、大元にはたどり着けなかったが、自分が調べた限りではこのサイトへの投稿が一番古いようで、少なくとも2010年3/31以前に描かれたもののようだ。


 何種類かの動物を前にした人間が発している台詞「For a fair selection, Everybody has to take the same exam :please climb that tree.」であり、和訳すると、

公平な選抜、みんなが同じテストを受けます。木へ登ってみて下さい。

である。この画像には、アインシュタインの言葉とされる「For a fair selection
Everybody has to take the same exam :please climb that tree.
/ 人はみな天才なのに、魚を木登りで評価したら、魚は自分がバカだと思い込んで一生を過ごすことになる」という台詞も添えられていることが多いのだが(Google検索)、

アインシュタインが言ってもいないのに広まってるアインシュタインの名言9つ | ギズモード・ジャパン

によると、これはアインシュタインの言葉ではないそうだ。日本でも以前「井川伝説」という、メジャーリーグでも活躍した元プロ野球選手・井川 慶さんに関する逸話集が流行ったが、かなりいい加減なもの、作り話も多かったのと似たようなものだろう。
 記事には「20世紀には動物に無理難題やらせる喩え話がなんか流行った」ともあり、つまりトップ画像に用いた画像は、そのたとえ話を元に2010年頃描かれた、若しくは2000年以前に描かれたものがその頃Webへ投稿された、ということだろう。

 アインシュタインがそんなことを言っていなかったとしても、 象や魚やペンギンや猿に木登りをさせることが果たして公平の能力を計るテストかと言えば、決してそうとは思えない。木登り選手を選ぶテストならそれは公平だろうが、誰が総合的に最も優秀かを計るテストとして木登りしか行わないなら、それは決して公平とは言えない
 人間の世界でもこんな評価の仕方がまかり通っているのではないだろうか。例えば、東大生は勉強ができる/得意だ、は概ね正しいだろうが、東大生は優秀だ、とは必ずしも言えない。しかし世間一般にはそんなイメージが間違いなくあり、東大生/東大卒というだけで有難がたがる傾向にある。東大生は勉強が得意というのは、猿は木登りが、魚は泳ぐのが、キリンは高い場所のモノを食べるのが得意、というのと同じで、東大生は万能/総合的に優秀とは限らないのに。
 また、資本主義原理主義に陥った人はしばしば貧困は自業自得と言いだすが、そもそも生まれは誰もコントロールできず、裕福な家庭に生まれた人とそうでない人にまず差がある。そして、お金を稼ぐことに長けた人とそうでない人というのも間違いなくいる。資本主義が過剰になると金を稼げる=優秀、稼げない=劣等と見なすようになりがちだ。だが、金を稼ぐことだけが人間の価値だろうか。それはたまたま金が稼げると評価される社会に生まれただけで、例えば暴力が支配する時代に生まれれば、武力に長けた者が優秀と評価されるだろうから、金を稼げることは必ずしも優秀とは限らない
 現代社会では座学テストの成績と金を稼ぐ能力があまりにも偏重され、それを持たない者は他のことに長けていても優秀とは判断されない状況にあると言えるのではないだろうか。

 政治の世界にも同じことが言える。優秀な政治家とは一体何か。民主主義社会における優秀な政治家とは、一部の人達の利益に偏ることなく万人の為になる政策を実行できる者ではないだろうか。今の日本の政治、特に自民党や維新などを見ていると、票を集められる者こそが優秀な政治家として評価されているようにしか見えない。確かに票を集められることは政治家を評価する指標の一つだろうが、現在の状況は「どんな方法を使っても」票を集められる政治家=優秀 という風になってしまっているのではないだろうか。
 例えば、今井 絵里子や三原 じゅん子のような、政治家としての資質に欠ける、というか一般的な教養にすら欠ける発言をしても、元芸能人という肩書で票を集められたらOK、麻生 太郎や杉田 水脈などのように差別や蔑視を平然と繰り広げても、特定層にそれがウケて票になればOK、選挙で金をばら撒いた河井夫妻や自民党、桜を見る会やその前夜祭などで支持者を買収した安倍 晋三のように、公選法違反の買収行為をしても票を集められたらOKのようなことになってはいやしないだろうか。

 民主主義下の選挙で票を最も集めた政治家・政党は、基本的には掲げる政策が優秀だから票が集まっている、とも言えるのだが、しかし票を集めるのにしてはいけないルールや道義というものもあり、それを侵して票を集める者を優秀な政治家と評価してよいのか。有権者の政治家・政党に対する評価というのは選挙以外でも世論調査で示されるのだが、日本では特に、東大生は勉強ができるだけなのに、東大生/東大卒というだけで万能かのように評価するのと同様に、票を集められる政治家が必ずしも優秀とは限らないのに、手段を問わずに票を集めることに長けた政治家が過剰に評価されている、そんな政治家を政党が偏重しているように思えてならない。
 そんな政党や政治家が評価される、そんなことがまかり通ってしまう社会は歪んでいるとしか言いようがない。

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