スキップしてメイン コンテンツに移動
 

If apologies worked why would we need the police./ 御免で済んだら警察はいらない

 御免で済んだら警察はいらない。この言い回しは小学生でも知っている。ただ謝罪をしただけでは罪は帳消しにはならない、ということを示す言い回しだ。しかしこれは絶対的に妥当な話ではない。刑事事件には非親告罪と親告罪があり、非親告罪の場合は謝罪だけで罪は帳消しにはならないが、親告罪の場合、被害者が告訴を取り下げれば不起訴となるので、被害者への謝罪(+α)で罪は帳消しになることもある。


 しかしこの「御免で済んだら警察はいらない」という言い回しは、基本的には被害者側が用いる表現で、しかもこの表現は「謝罪だけでは済まさないぞ!」という意思の表明に用いられるものであり、つまりこの表現が用いられる場合は、非親告罪の事案であったとしても謝罪だけで罪が帳消しになることはほぼない。
 また、この表現は警察官自身が用いることもある。実際に自分はそう凄んでいる警察官を見たことがある。自分が見かけたのは、交通違反なのかバイクか何かの窃盗犯だったのか、スクーターで逃げていた男が挟み撃ちにされて行き場を失い、バイクを捨てて逃げようとしたが警察官に抑え込まれ、「スイマセン、スイマセン」と観念したのに対して、警察官が「スイマセンで済んだら警察いらんのじゃ!」と凄んでいた場面だ。恐らく「手間焼かせやがって、これだけやってスイマセンで済むはずないだろ!謝るくらいなら最初からやるな、そして逃げるな」のようなニュアンスだったんだと思う。

 日本の公的捜査機関には警察と検察がある。とても大雑把に言えば、警察は犯人を捜し出して容疑者を捕まえる組織で、検察は警察が捕まえた容疑者を裁判にかけるかどうか決め裁判で罪を立証する組織だ。日本ではテレビドラマなどの影響からか公的捜査機関=警察というイメージが強く、多くの人は警察と検察の区別があまりついていない。それどころか、逮捕=有罪確定というイメージを抱いている人も多く、そんな意味で言えば、警察と検察と裁判所の区別もあまりついていない人が少なくないかもしれない。
 実際には警察が容疑者を捕まえ、警察の捜査を元に容疑者を取り調べて裁判にかけるか決めるのが検察で、検察の立証が妥当か、つまり容疑者が有罪か無罪かを判断するのが裁判所であり、「御免で済んだら警察はいらない」も、厳密に言えば「御免で済んだら警察も検察も裁判所もいらない」などとするのが妥当なのかもしれない。

 しかし、どうやら日本の検察は、自分達は御免で済ませてしまういらない組織だ、とまた自ら示してしまいそうだ。

「桜を見る会」前夜祭 安倍前首相が国会で「虚偽答弁」陳謝へ 自民、年内実施を検討:東京新聞 TOKYO Web

「桜」前夜祭不記載 安倍前首相を不起訴へ 秘書は年内略式起訴 東京地検 - 毎日新聞

 「桜を見る会」前夜の夕食会の費用を安倍事務所が補塡していた件、つまり公職選挙法に反する有権者へ供応買収を行った件に関して、東京地検特捜部は安倍を不起訴とし、年内にも安倍が国会で虚偽答弁を行ったことを陳謝する方向での幕引きが図られている、という話が報じられている。
 前段で示したように、安倍が有罪であるか否かを見極めて起訴/立件するかを決めるのは検察で、有罪か否かを最終的に判断するのは裁判所だ。しかしこの件に関しては既に、安倍事務所が有権者らを招いた夕食会の費用を補填していたこと、つまり供応買収に当たる行為があったことは確定しており、安倍がそれに反して「補填はなかった」と国会等で虚偽答弁を繰り返したことも確定している。にもかかわらず秘書の政治資金収支報告書への不記載を略式起訴だけで済まされようとしている、というか東京地検特捜部が不起訴で済ませようとしているのだ。
 記事によれば、東京地検特捜部は「安倍本人が費用の支出や報告書への不記載を指示した明確な証拠が得られていないという理由で、刑事責任を問うのは困難」と判断したようだが、そんな政治家の責任逃れの常套手段「秘書が勝手にやった」が許されるのか。もしそれが適法と言うのなら、法が間違っている。秘書の管理もできない政治家に国会議員など務まる筈がないし、今や暴力団組長ですら構成員の犯した罪で使用者責任を追及される時代なのに、政治家は「秘書が勝手にやった」で責任を逃れられる、というか検察が見逃すなんてことが許される筈がない

 どう考えても今自民政権と検察がやろうとしていることは、「御免で済んだら警察はいらない」と揶揄されるようなことだ。こんな検察や政権を有権者が許すなら、それを見ている悪人たち、例えば組織化された詐欺集団の元締めなどはしめしめと思うに違いない。末端に責任を押し付け自分達はいくらでも責任を逃れられる状況を、国や有権者がお膳立てしてくれるのだから。

 

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

優生保護法と動物愛護感

 先月末、宮城県在住の60代女性が、 旧優生保護法の元で強制不妊を受けさせられたことに関する訴訟 ( 時事通信の記事 )を起こして以来、この件に関連する報道が多く行われている。特に毎日新聞は連日1面に関連記事を掲載し、国がこれまで示してきた「 当時は適法だった 」という姿勢に強い疑問を投げかけている。優生保護法は1948年に制定された日本の法律だ。戦前の1940年に指定された国民優生法と同様、優生学的思想に基づいた部分も多く、1996年に、優生学的思想に基づいた条文を削除して、母体保護法に改定されるまでの間存在した。優生学とは「優秀な人間の創造」や「人間の苦しみや健康問題の軽減」などを目的とした思想の一種で、このような目的達成の手段として、障害者の結婚・出産の規制(所謂断種の一種)・遺伝子操作などまで検討するような側面があった。また、優生思想はナチスが人種政策の柱として利用し、障害者やユダヤ人などを劣等として扱い、絶滅政策・虐殺を犯したという経緯があり、人種問題や人権問題への影響が否定できないことから、第二次大戦後は衰退した。ただ、遺伝子研究の発展によって優生学的な発想での研究は一部で行われているようだし、出生前の診断技術の発展によって、先天的異常を理由とした中絶が行われる場合もあり、優生学的な思考が完全にタブー化したとは言い難い。

日本の代表的ヤクザ組織

  ヤクザ - Wikipedia では、ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているもの、と定義している。報道や行政機関では、ヤクザのことを概ね暴力団とか( 暴力団 - Wikipedia )、反社会勢力と呼ぶが( 反社会的勢力 - Wikipedia )、この場合の暴力とは決して物理的暴力とは限らない。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。