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有耶無耶・曖昧を好む日本人が招いた惨状

 もう何年も前から作者が「もうすぐ終わる」と言い続けてきた人気のマンガ/アニメ「進撃の巨人」の連載が、2021年4/9発売の別冊少年マガジン5月号で遂に最終話を迎えることが発表された(2021年1月5日のヘッドラインニュース - GIGAZINE)。コミックスの最終巻も6/9に発売されるそうだし、アニメ版も2020年12月からファイナルシーズンが放送されていて、早ければ7月頃、遅くとも2021年末頃までにはそちらも完結しそうだ。


 進撃の巨人の世界は概ね近世から近代のヨーロッパをモチーフに描かれているが、日本にも昔から巨人に関する伝承がある。本来「入道」とは仏門に入ることや出家した人のこと、つまり坊さんを指す言葉だが、大入道や見上げ入道などの坊主頭の妖怪を主に連想させる表現になっていて、しかも○○入道は巨漢である場合が多い。 それ以外にも進撃の巨人に出てくる巨人たちのような風体の妖怪は結構語り継がれていて、トップ画像にした北斎漫画で描かれているのはその種の妖怪たちだ。そこに描かれている中には、見た目がそのまま名前になっている手長足長もいる。この手長足長は秋田県、山形県、福島県など東北方面などの伝承に登場する巨人だ(手長足長 - Wikipedia)。
 秋田県/山形県では、およそ1200年前三崎山(両県の県境あたり)に手長足長が住んでいたとされ、手を伸ばせば鳥海山まで(約15km)、足はひとまたぎで飛島まで(約30km)届き、道行く旅人を捕らえて食べていたとして人々に恐れられていたそうだ。そのスケールたるや、進撃の巨人に出てくる超大型巨人(全高およそ60m)も、物語の終盤で登場した劇中最大とされる始祖の巨人(現状詳細なサイズは不明だが100m級とも1000m級とも言われている)の比ではないサイズだ。
 この秋田の手長足長伝説では、手長足長がいる時は「有耶(うや)」いない時は「無耶(むや)」と鳴く三本足のカラスが三崎山にいたとされ、旅人はそれで巨人に襲われないように峠を超えることが出来たそうだ。これが奥の細道でも歌われる「有耶無耶の関」の名の由来とも言われているが、関所があった場所には諸説あり、もう少し北側のにかほ市にも有耶無耶の関を名乗る場所があるし、山形市と仙台市の間あたりの、山形/宮城県境にも有耶無耶関趾なる場所がある。

 「有耶無耶」という表現は、物事が有るか無いかはっきりしないこと、態度や物事の結末などが曖昧なことを意味する(有耶無耶とは - コトバンク)。秋田/山形の伝承が有耶無耶の由来だとする説がある一方で、日蓮宗は、有耶無耶という言葉は法華経方便品の「存して有(う)と為さず,亡びて無(む)と為さず」という一節がその由来であり、つまり有耶無耶は仏教用語であるとしている(有耶無耶|じつは身近な仏教用語|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト)。
 どちらが本当の語源なのか、若しくはこれらは一見関連がないようではあるが、実はどこかでつながりのある話なのかなど、その詳細はよく分からないが、どちらも有耶無耶という表現をあまりネガティブな意味ではなく、どちらか言えば肯定的に語っているように見え、昨今有耶無耶という言葉が主に示すニュアンスとは結構異なっていると感じる。

 1/2に羽田空港に到着した、ブラジルに滞在歴のある男女4人が新型コロナウイルスの変異種に感染していたと報じられた。

ブラジルから帰国の4人 新たなコロナ変異種に感染|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

「帰国」とあるのにSNSでは「帰ってくるな」と言っている人が少なくない。同邦が病に侵されているのに、よくも帰ってくるななどと冷たいことが言えるものだ、という感しかなく、そんな人達は恐らく、生活保護嫌悪するようなタイプなんだろうと強く感じる。
 帰国者の感染が見つかったのは、空港で入国者に対する検査がされているからだ。それで感染が見つかったのなら適切に隔離して治療することに繋がる。しかし現在日本は感染が発覚する人の7割以上が経路不明で、間違いなく市中感染が広がっているが、検査を一度も受けたことがない人、その状態で普通に生活している人が多くいる。検査がなされる国外からの入国者と、検査もせずに普通に生活している国内生活者の一体どちらが危ういかは、論理的な思考ができるなら明白だろう。

 自分はこの件を片岡 亮さんのツイートで知った。そしてそれを目の当たりして

「自分たちは悪くない、責任/原因は自分たち以外にある 」と思いたい人たちの何と多いことか。いつ自分が次のスケープゴートにされるかも分からない、という認識がないのか。自分が的にされてから気づくようでは愚の骨頂なのに。

と思って引用リツイートをした。すると片岡さんからこんなリプライがあった。

今の日本の政治家に極端なまでの責任逃れ傾向があるのは、日本の国民性が投影されたもの」という趣旨のこの仮説に、かなり強い信憑性を感じた。それがこの投稿の冒頭で手長足長伝説から有耶無耶について書いた理由だ。

 兎に角日本人は曖昧ではっきり主張しない、物事をはっきりさせない、という評価はこれまでにもあり、有耶無耶/曖昧を好むと言うよりも寧ろ、美徳としているような感すらある。「責任」の定義とその認識における国民性に違いついて検索していて、次のブログ投稿に行き当たった。

日本語にはない「RESPONSIBILITY」と「ACCOUNTABILITY」の違いとは — JaM Japan Marketing

どちらも責任とも訳される、英語の responsibility と accountability の違いに関する考察で、複数の解釈が示されている中に、responsibility は他の人と共有することが可能だが、accountability は他の人と共有できないという点が大きな違いだという説明もある。
 そして、ビジネスパートナーとプロジェクトを進める場合、米国ではまず真っ先に「このプロジェクトは誰々が責任者である(役職に関係なく)」ということが全員に明確に示され、その人を中心にプロジェクトが進められるが、日本ではまず担当者(=責任者とは決して言わない)」が紹介され、次にチームメンバーの構成と紹介が始まり、プロジェクトは担当者が窓口となり進行していくが、「責任を取る」つまり accountability を背負う人が不明のままプロジェクトが進行するパターンがかなり多いこと、「責任者(=意思決定者)は誰ですか?」と質問しても、「あえて言うならば部長(=上司)になります」という答えが返ってくることが殆どで、長い間一緒にプロジェクトを進めていても「その部長(=上司)」が意思決定をした様子はなく、滅多に会うチャンスもなく、契約書の「部長のサインあるいは印鑑」のみでしかその存在が見えない場合がよくある、としている。

 これを読んで、これはまさに現政権の感染症対策そのものだと強く感じた。首相・担当大臣・厚労大臣・専門家会議(分科会)などがその責任をたらい回しにしている感が酷い。本来なら首相が率先して先頭に立って、全てを把握してコントロールする、完全に出来ていなくともそう振舞うのが筋なのだが、現在の首相と前首相にそんな素振りは全く見えなかった。自分にとって都合の良い場所で都合のよいことを言うだけで、都合の悪い質問には「仮定の質問には答えられない」などと言ってみたり、専門家会議に責任をなすりつけたり平気でしてきた。それはまさに前述のような日本人にみられる傾向そのものだと強く感じる。

 つまり厳しく言えば、日本人は概ね責任というものを理解できていない人たち、若しくは理解はしているものの、その上でそれを有耶無耶/曖昧にしたがる、有耶無耶/曖昧にすることを美徳とする国民性と言えるのではないか。
 そのような根本的な性質があるからこそ、現政権全般における責任感のなさが気にならず今でもまだ有権者の4割もの人達が自民政権を支持しているんだろうし(菅内閣支持率、続落41% 緊急事態宣言「遅すぎ」79% 共同通信調査 - 毎日新聞)、だから感染症の収束もままならず、こんな混沌とした状況になってしまっているんだろう。

 つまり、なるべくして混沌としてしまっているのが日本の現状だ。


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