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日本人は和と尊ぶ、は羊頭狗肉

 オブラートを最初に認識したのは、祖母が粉薬を飲む際にいつもオブラートで包んでいたからだった。同じ年頃に鹿児島土産で貰ったボンタンアメも、オブラートに包まれた菓子だったが、包装だと思って剥こうとした記憶もある。
 オブラートとはオランダ語のようだが、あまり普及しているものではないのか、Wikipedia には日本語版/英語版/中国語版しかない。


 Wikipediaの日本語版にも「内服薬でも製薬技術の進歩により顆粒剤やカプセル製剤が普及しシート状のオブラートの使用は少なくなっている」とある。だがそれでも、相手を直接的に刺激しそうな強い表現を避け、遠回しな言い方をすることを「オブラートに包む」なんて言ったりするので、日本ではまだまだ一般的なものと言えるのではないか。

 日本人は和を尊ぶ、なんて言うように、日本語・日本人は基本的に波風を立てるのを避ける傾向があり、他言語や他民族に比べると強い表現を好まず、積極的な自己主張を避ける傾向が強い。勿論、麻生とかいう副首相や二階とかいう自民幹事長などのように、おごり高ぶりがちな例外もいる。特に相応の権力を持つ者や高齢男性にそのような者が多い。


 個人的には、日本人の積極的に自己主張を避ける気質は、勿論良い側面もあるにはあるが、あまり好ましく思わない。積極的な主張を出来ない人が悪いというつもりはないが、社会全般に積極的な主張をあまりよしとしない風潮があることが、積極的な自己主張を避ける気質の要因の一つであり、そのような風潮を好ましいとは思わない、という意味で。

東京オリンピックの聖火リレー相次ぐ著名人の辞退。斎藤工さん、常盤貴子さんらの共通理由は「仕事」の都合【Update】 | ハフポスト

 この数日、著名人の聖火リレー辞退が相次いでいる。辞退理由は皆揃って「スケジュールの都合のため」だ。自分の知る限り、オリンピック開催若しくは聖火リレーの開催に賛同出来ない、のような辞退理由を示しているのは、田村 淳くらいである(田村淳さん聖火ランナー辞退。理由は森喜朗会長発言 「人の気持ちをそぐ」「ちょっと理解不能」 | ハフポスト)。 なぜ彼らは田村 淳のように辞退理由を明確に示さないのだろう。もしかしたら、本当にスケジュール上の問題が理由という可能性もあるが、このタイミングでスケジュール上の支障が生じるなら、それはそれで無責任な話であり、彼らと出演契約などをしても急に反故にされかねない懸念が出てくる。そんな意味でも、彼らも田村 淳を見習って「開催に賛同しかねるから辞退する」と言うべきだ。オブラートに包んで「スケジュール上の都合」なんて言うべきじゃない。

 一応註釈しておくと、ハフポストの記事には、

常盤さんが辞退を申し入れたのは2020年夏だったが、東京2020組織委員会から、「聖火リレー辞退者の公表については2月26日以降にするようにとお願いがあった」という。

とあり、他の人達も常盤 貴子と同じ様に、もっと前から辞退を申し入れていたにもかかわらず、口止めされていた可能性もある。しかしもしそうだとしても、常盤 貴子も含め、そのような不可解な口止めに応じる必要があったのだろうか。そのような口止めがあったのだとしたら、逆にそれを公表するのが誠実だったのではないか。結局それでも、辞退理由を「スケジュール上の都合」とオブラートに包むのと同じ様な、日本人の悪い癖・事なかれ主義が透けて見える。

 日本人は和と尊ぶ、と言ったりするが、実際は和を尊んでいるのではなく、目上の者、力の強い者にへつらっている場合の方が、もしくは力の強い者が弱い者をへつらわせている場合の方が多いのではないだろうか。麻生や二階のような権力を持っている者、社会的に概ね有利な立場にあることの多い高齢者、男性に横柄な者が多いことからも、そのような実情がうかがえる。
 つまりオブラートに包んだ発言や、事なかれ主義は、権力への忖度でしかない場合の方が多い、と自分には思える。そうやって、和を尊ぶという大義名分を掲げ、実際は羊頭狗肉で権力に忖度し、積極的な自己主張を避け続ける限り、日本社会の理不尽や不公平はいつまでも変わらないんだろう。


 一部に「スケジュール上の都合」で聖火リレーを辞退する著名人がいる一方で、未だにやる気の人達もいる。彼らは緊急事態宣言を解除したらすぐにでもGOTOナンチャラを再開しようと目論む人達と同類だ。何故ならそれは、箱根駅伝を見れば、聖火リレーを行えば人が集まることは避けられないことが明白だからだ。

箱根駅伝「沿道応援」、“85%減”だけど“18万人”をどう見るべきか…東京五輪開催への視線は厳しくなった? - 駅伝 - Number Web - ナンバー

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ為には、まず過密な状態を避けなくてはならないことは、誰の目にも明白だし、ほとんど何もしないどころか、GOTOナンチャラという拡大に繋がった政策をやった現政権でさえ、過密は避けろと言っている。にもかかわらず、なぜ人が集まることが避けられないイベントを、公的機関がわざわざ率先してやるのか。人を集めかねない著名人達がそれに加担するのか。全く整合性に欠ける。

 世論調査ではオリンピックは開催すべきでないという人が多く、個人的にも、オリンピックの開催自体がありえないという考えだが、もしオリンピックをやるとしても、聖火リレーをやらずとも大会は開催できる。なのになぜそんなにも聖火リレーに拘るのか。文字通り全く理解ができない。

 だからこそやはり、聖火リレーの実施に賛同出来ずに辞退する者は、明確にその旨を、積極的に示してほしいし、そうしないのも無責任で不誠実だとすら思える。


 トップ画像は、Oblate discs from the USA - Oblaat - Wikipedia を加工して使用した。

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