All-or-nothing という表現は、失敗すれば全てを失うと背水の陣で臨む固い決意を示す場合のように、どちらかと言えばポジティブなニュアンスで用いられる場合もあれば、100%成功しないと意味がないと捉えてしまうような、融通の利かない様子を示すネガティブな意味合いで用いられる場合もある。
昨今のコロナ危機に関して、All-or-nothing、0か100かのような話をしばしば耳にする
- 新型コロナウイルスをゼロにするのは不可能だからゼロを目指しても意味がない
- 全国民を一斉にPCR検査することはできないし、検査しても検査時の陽性/陰性しか分からず、検査後に感染する場合もあるのだから、検査を増やすのは無駄
などはその典型的な例だ。そんなこと言っている人達に問いたい。
- 万引きはゼロにできないから捕まえても意味がない
- 殺人事件をなくすことは出来ないので殺人罪には意味がない
- 犯罪を完全にゼロには出来ないので警察は役立たず
- いじめはゼロにできない。指導しても繰り返すヤツはいるので指導しても仕方ない
- 病気はゼロにできないから予防はしなくていい
- 100点を取れないなら勉強しても無駄
ということになるだろうか。もしそれが正しいのだとしたら、実らない努力は全て無駄ということになるし、ならば、決して少なくない人が生きてるだけ無駄ということにもなりかねない。大抵の努力は100%実ることはない。だが努力を重ねて100%に出来るだけ近づけていくことには確実に意味がある。また、所謂社会的な成功者になれなくとも、全ての人に生きる意味がある。
今日は3/8で国際女性デーだ。国連が正式に3/8を「国際女性デー(国際婦人デー/International Women's Day)」に定めたのは1975年で、国によっては祝日とされている場合もある。
このグラフは、日米中仏4か国の、2010-2019年のグローバルジェンダーギャップ指数の推移だ(世界男女平等ランキングの推移のグラフ | グラフストック)。日本の順位は明らかに右肩下がりである。2012年末に成立した現自民党政権は、その初期から声高に女性活躍の看板を掲げてきたが、その結果がこれだ。まさに羊頭狗肉と言っても過言ではないし、その看板はうわべだけ飾った内容の乏しい美辞麗句だったとも言えるだろう。
「男女格差はどうやってもゼロには出来ないから、解消を目指すなんて無意味」だろうか。いや、決してそんなことはない。寧ろ女性活躍という看板を長年掲げつつ、全然結果が出ない、目標から後退、優しく言っても停滞している自民政権の政策こそが無意味だ。いや、男女格差解消に限らず、税と社会保障の一体改革を約束して民主党から政権の座を奪ったにもかかわらず、増税ばかりで社会保障を後退させたり、景気の好転を謳いつつ、実際は大企業等ばかり優遇し一般庶民の生活は一向に良くならないどころか、寧ろ悪化しているような状況なのだから、自民政権自体が無意味である。一部の利害関係を除けば、百害あって一利なしとしか言えない。
現状を見ていると、そのような都合の悪いことを強引に隠したり、無視して擁護するような場合に、0か100かのような極端な話が用いられることが多いと感じる。そのような主張の殆どが場当たり的で整合性に欠ける。しかし、そのような話に雰囲気だけで流される人も、日本人には決して少なくない。少し考えれば分かることなのに、自分の頭で考えようとしない人があまりにも多い。
トップ画像は、S KによるPixabayからの画像 と Andrew KhoroshavinによるPixabayからの画像 を加工して使用した。