スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ただただ自分の欲望を満たす為に他人を傷つける人が確実にいる

 自身で暴力的な行為に及ぶか、嫌がらせを行うかは別として、他人が苦痛を受けたり、不快な状況になることを認識することで快楽を得る性質を持ち合わせている人は決して少なくない。でなければイジメやセクハラ/パワハラなどが社会問題になるようなことはないだろうし、「他人の不幸は蜜の味」という言い回しが存在することもないだろう。


 性格の良し悪しで言えば、そのような性質を持つ人は決して性格が良いとは言えないものの、程度の差はあれど、好感が持てない人の失敗や不幸を「いい気味だ」と思うことは、少なからず誰にでもある。そんなことは一切思わないという聖人君主のような人はそうそういない。
 その程度なら特に問題はないのだが、自ら他人に暴力を振るうことで欲望を満たし、他人に対する優越感を得る為に嫌がらせをやるような人もいる。物理的・精神的暴力によって相手を支配することに快楽を感じる人も間違いなくいて、いじめ/虐待/差別などの原動力にはそのような要素があることがほとんどだ。


 この頃アメリカではアジア人に対する暴力事件が増えているそうだ。

 アメリカでは昨年、警察官による不当な暴力で黒人男性が死亡した事件をきっかけに、BLM・黒人に対する不当な扱いへの不満が爆発したばかりだ(ジョージ・フロイドの死 - Wikipedia)。それから1年も経たない内に今度はアジア人が標的になる事件が多発しているという。
 白人至上主義者たちにとっては、白人or非白人という認識しかなく、以前からアジア人も黒人同様に差別を受ける側の存在だったが、昨年から続くコロナ危機と、差別を厭わない大統領トランプが、新型コロナウイルスを中国ウイルスと呼んでいたことが、昨今のアジア人嫌悪の大きな要因になっていると言われている。
 馬鹿な日本人がSNSで「差別を受けるのは中国人や韓国人だから、日本人と分かるように旭日旗グッズを身につけよう」なんて言っているのを見て、日本人なら差別されないという幻想を抱いているのは世間知らずも甚だしいという感しかなかったし、そもそもその考え方は自分を名誉白人だと思っていなければ出てこない発想で、中国人や韓国人を見下しているからできる発想だろう。

 神奈川新聞は昨日、在日コリアンに対するヘイトデモやヘイトスピーチの様子が記録されたDVDが、相模原市内の集合住宅のポストに複数投函されていた、という内容の記事を掲載した。

相模原・集合住宅のポストにヘイトDVD 管理組合が通報 | カナロコ by 神奈川新聞

 昨年ナイキが、いじめや差別に悩む10代のアスリートたちを描いたWeb動画を公開した際、「日本には差別は少ないのにナイキは日本を貶すな!」と憤っていた人達がいたが、在日コリアンへの差別事案は頻繁に報じられる。報道される事案がその全てではなく氷山の一角でしかない。恐らくその手の主張をしている人達は、「差別ではなく区別だ」のような詭弁を使ってそんな認識を正当化しているのだろうが、そんなのはまったく容認できない。

 相模原市では今、ヘイトスピーチに罰則規定を設けた「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」と同等以上の反差別条例制定に向けた動きがある。

この件に関する動きや報道がある度に、 #それはダメだわ相模原 というハッシュタグを用いて条例に反対する人達が出てくる。ヘイトスピーチ禁止条例は市民を分断するとか、ヘイトスピーチの禁止は日本人に対する差別だとか、非論理的な主張によって、ヘイトスピーチ禁止をさせたくない人達だ。
 なぜそんなにもヘイトスピーチを禁止されたくないのか。言い換えればヘイトスピーチを正当化したいのか。そもそもヘイトスピーチとは、

人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)、といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動

である(ヘイトスピーチ - Wikipedia)。そんなことは、そもそも日本では憲法で基本的人権を認めており、基本的人権には人種・性別・身分などによって差別されないことが含まれているので、ヘイトスピーチは法律や条例で禁止するまでもなくしてはならないのだが、表現の自由を大義名分に差別的な主張をやる人が後を絶たない為、そのような法や条例が必要になってしまう。

 例えば、相模原市で制定されようとしている条例のヘイトスピーチの定義に問題がある、のような話ならまだ分かるのだが、条例に反対している人達が言うのは「ヘイトスピーチ禁止条例はいらない」であり、つまり、ヘイトスピーチDVDを投函するようなこと、というかヘイトスピーチそのものをしたい・やりたいと言っていると言っても過言ではない。
 逆に言えば、今回報じられたヘイトスピーチDVD投函事件によって、条例の必要性が裏付けられたとも言えそうだ。


 例えば、在日コリアンに誰か身内を殺されたとか、黒人に酷い暴力を受けたとか、アジア人に大金を盗まれたなどならまだ分かるが、差別をする人達の大半にはそんな経験があるとは思えない。何が差別主義者をそうさせるのか。ただただ快楽の為に、自分の欲望を満たす為に他人を傷つける人が確実にいる。


 トップ画像は、Photo by Mika Baumeister on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

日光東照宮の三猿と秩父神社の三猿の違い

  日光東照宮 にある神厩舎の装飾の1つとして有名な三猿(見ざる/見猿・聞かざる/聞か猿・言わざる/言わ猿)。三猿については、中国の思想家・孔子の教えをまとめた書物・論語の中にある、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節に由来するという説もあれば、インドのラーマーヤナ説話をその起源とする説などもあるようだ( 三猿 - Wikipedia )。起源は何であれ、「 余計なことは見ない、聞かない、言わない 」そういうことを慎めば人生を幸福に送ることができる、とする教えを象徴していることに違いはないようだ。

「死にたきゃ勝手に死ね」の危険性

  藤田 孝典 さんという社会福祉士で大学教授が、Yahoo!ニュース個人に投稿した「 川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい 」という記事が話題になっている。これは昨日・5/28の朝、川崎市で起きた通り魔事件に関する記事だ。スクールバスを待つ小学生らが刃物で襲われ、小学生1人と保護者1人が死亡し重傷者も複数出た。犯人とみられる男性は自らも首を刃物で切り、病院に運ばれたがその後死亡した。  当該記事はSNS上等での言説に対する見解でもあるようだが、落語家の立川志らく氏が、事件から数時間後に出演したワイドショーで「 死にたいなら一人で死んでくれ 」と発言していたようで( スポーツ報知 )、もしかしたらそれを前提に書かれた記事なのかもしれないし、別の番組・別のコメンテーターなども似たような発言をしていたのかもしれず、そういうことをひっくるめた話なのかもしれない。  この記事に反論している人も相応にいて、彼らはどうも「犯人の人権がそんなに大事か?」とか、「犯人を擁護するような事を言うべきじゃない」という認識に基づいて主張しているように見えるが、それは見出しに引きずられ過ぎだろう。何度読み返してみても当該記事がそんなことを主張しているようには思えない。強いて言えば、そのような誤解を生みかねない見出しにも問題性がないわけではないだろうが、この見出しが強く錯誤を誘発するような表現とは言い難く、見出しにばかり注目する者の問題性の方が高そうだ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

もやしの価格

 もやしの価格が安すぎて、このままでは今後廃業する生産者が増え、安定供給が難しくなるという懸念を生産者協会が発表した事が話題になっている。以前からスーパーで買い物をする度に「もやしの値段が1袋10円とか15円とかで利益はあるのかな」と疑問を感じていたが、この件を見てその疑問が間違いではなかったのだと思い知らされた。その一方で協会は「せめて40円で売ってほしい」とも話しているようで、40円なら大丈夫なの!?という驚きもあった。