一度に複数のことを進めるのはとても頭を使う。例えば、洗濯機を回しつつ、風呂の準備をしながら、夕食を作る、なんてのは結構大変な作業だ。最近は洗濯機も全自動、風呂も風呂桶を洗ってしまえば後はスイッチ一つで風呂が沸くが、以前は洗濯機も2槽式+乾燥機も別で、それぞれに洗濯物を詰め替える必要があったし、風呂も水を手動で溜めて、湯沸かしも自分で頃合いを見計らって止めなくてはならなかった。更に昔は…である。
ある程度自動化が進んだ現在でも、洗濯が終わった頃合いを見て干すなり畳むなりしないといけないし、風呂だっていつ頃沸くかを考えて頭に入れておく必要がある。上手くスケジュールを組まないと、洗濯物は洗濯機の中で臭くなるし、風呂だって冷める。温度維持機能があっても、余計にガス代がかかってしまう。そこにイレギュラーが起きまくる幼い子供の面倒が加わったら、そりゃもう大仕事だ。
単純労働であれば、一度手順を覚えてしまえば後はルーチンをこなすだけなのだろうが、それでもイレギュラーは起こるし、同じ作業をするにしても、ただただ漫然とやることもできるだろうが、少しでも内容を改善しようとか、効率化を図ろうとか、 頭を使う人は単純作業にだって頭を使う。
そんな毎日に追われていると、しばしば「何も考えずにボーっとのんびり暮らしたい」なんて思いが頭をよぎるが、人間が生きていく上で、全く何も考えないなんてことはできない。逆に全く頭を使わない生活程つまらないものもないのだろう。単純作業を漫然としていると、時間が経つのがとても遅く感じる。そんな経験は誰にでもあるのではないか。全く客の来ない店の番をするのに、一切の暇つぶしを禁じられ、ただただ番台の傍に立っていなければならない、という仕事を想像したら分かりやすい。
元来、考えることは楽しいことなのだが、考えたくないことを考えることは苦痛にもなる。つまり望むべくは「何も考えずにボーっとのんびり暮らしたい」ではなく、「何も心配しなくてよい状況でのんびり暮らしたい」だろう。洗濯物が洗濯機の中で臭くならないか、風呂が冷めてしまわないか、健康の為に今日は何を食べるべき、食べさせるべきか、同時にどうすれば食費を節約できるかなんてことを心配せずに、自分が考えたいことに時間を割ける生活がしたい、のである。勿論、洗濯や風呂焚き、料理が趣味にもなっていれば、それらが考えたいことである人もいるだろうが。
こんな記事を見ていると、日本人の少なくとも半分以上が、考えること放棄していると強く感じる。新型コロナウイルス感染拡大への対応に期待しないと言いつつ、それをやっている政権を支持するとか、全く道理の通らない不正だらけのリコール署名を主導した市長が、最も支持されていると言うのだから。
政治家がおかしなことをしないか、なんて考えなくてもよい、心配しなくてもよいのが理想的な社会だが、人間のやることに完全はあり得ない。普通に生活していたって、何かを勧めてくる人がいたら、若しくは何かにお金を払う時などは、何か裏があるんじゃないのか? 信用しても大丈夫か? 騙されたりはしないか? と考えを巡らせるものだ。それは政治や政治家に対してだって同じだろう。なのに何故か日本人は税金を払っているのに、政治に対してそれをあまりしようとしない。知名度とか、○○党だからとか、周りも皆その人に投票するからとか、業界のしがらみでとか、そんなことで投票先を決めたり、投票にすら行かず実質的に多数派へ選択を委任してしまったりする。
仕事絡みの人達に対して、雑談の中で政治の話題を振ったりすると、「日々の生活に追われて政治どころじゃない」みたいなことを言う人にしばしば出くわすが、それは全く逆だ。政治にあまりにも無頓着だから日々追われるような生活に陥っているのだ。社会保障が充実していれば、生活上の心配ごとはかなり減る。しかし、現在日本の社会保障は決して充実しているとは言えないから、日々の生活を成立させることに追われているのだ。子供が成人するまでの教育費を一切心配しなくてよければ、住居が万人に補償される制度があれば、電気や水道代が一切かからない社会だったら、それだけでかなり生活に関する心配は減る。つまり日々の生活に追われなくても済むようになる、もしくはそんな理想に近づける。
政治について考えないから、日々の生活に関する余計な心配が増えているのに、それに気づかずに、もしくは気づいてはいるが目を背けていしまっている人のなんと多いことか。「何も心配しなくてよい状況でのんびり暮らしたい」を実現したければ、そこに少しでも近づきたければ、まずは政治について考えなければならない。
政治に無頓着なのに「何も心配しなくてよい状況でのんびり暮らしたい」なんて言うのは、「平日の昼間からゴロゴロ、ゴロゴロ」で始まる、お笑いコンビ・ずん、飯尾 和樹のネタ・現実逃避シリーズみたいなものだ。何もしないから理想に近づけない、ということなのだ。
「何も考えずにボーっとのんびり暮らしたい」なら、まずは政治についてよく考えないと、それはいつまで経っても実現しない。
トップ画像に用いた文句は、17世紀フランスの思想家・ブレーズ パスカルの言葉「L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant. / 人間は葦にすぎない。自然の中では最も弱い存在だが、それは考える葦である」を用いたが、使用したイメージはオーギュスト ロダンの考える人である(ブレーズ・パスカル#考える葦 - Wikipedia / 考える人 (ロダン) - Wikipedia)。