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質問の趣旨を理解するだけの能力が欠けている

 4/17に行われた日米首脳会談後の共同記者会見で、都合が悪かったのか、「新型コロナウイルス感染症が拡大する中での東京五輪・パラリンピック開催は無責任では」というロイター記者の質問を、首相の菅は無視した菅首相、五輪の質問をスルー 「打ち勝った証し」使わず - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル)。


 これについて、4/20の衆院本会議の場で野党の議員に問いただされた菅は、
バイデン大統領への質問のみと認識してしまい、結果として回答漏れになった

と答弁した。勿論誰にでも勘違いは起こる。しかし、直後から質問に答えなかったことに対する批判が続出したということは、そんな勘違いが起こるような状況になかった、言い方を変えれば、菅にはその程度の質問の趣旨を理解する読解力すらない、ということにもなる。下品な言い方ではあるが、「日本の首相はおつむが足りていない」ということになるし、菅は自らそれを宣言したことにもなる。

 この件に関する各社記事の見出しは微妙に異なる。

 どれも内容は似たり寄ったりだが、「無視」という表現を見出しに使ったのは時事だけ。朝日と東京は「スルー」、毎日は「答えず」だ。表現の強さに差があると感じるのは自分だけだろうか。因みに共同通信、読売、産経に当該記事は見当たらなかった。共同通信は、菅がロイター記者の質問を無視した直後に質問者として指名されたが、その旨を指摘することもなく菅が無視したことをスルーし、国内でも聞けるような下らないことを聞いていた。
 毎日の記事には

政府関係者は「首相はイヤホンで、同時通訳で質問を聞いていたが、自身に対する質問だったと思わなかったようだ。相当緊張していたのだろう」と説明。首相は欧米メディアから質問を受けることを想定していなかった可能性がある。続く日本メディアからの五輪に関する質問には、「今夏の開催を実現すべく、しっかり準備を進めていく」と述べていた。

ともある。これは他の記事には見られない部分で、個人的には、中立な報道姿勢を装いつつ、菅側に言い訳させ、しかも半ば擁護しているようにすら見える。何も書かないメディアよりはマシかもしれないが、忖度の強さがうかがえる。


 東京新聞は、菅が言い訳がましい答弁をする前に、

記者会見で質問スルー、現地にいるのに電話会談…菅首相の訪米珍道中、識者の評価は?:東京新聞 TOKYO Web

という記事も掲載していた。そしてこの記事を紹介するツイートで、

としていた。記事でも菅の姿勢に疑問は示しているが、しかしこのツイートの様な趣旨は記事本文には見当たらない。記事本文にはこのようなことを書けない事情が何かあるのか。そんな疑問を感じずにはいられない。

 そして、「都合が悪いことを聞かれると、根拠を示さず「批判は当たらない」と述べてやり過ごしてきた国内での姿勢と重なります」については、安倍 前政権からの8年間、官邸記者クラブ所属メディアがそのようなことを許してきたからそうなっているのではないか、という感しかない。勿論、他のメディアでは見られないこのような見解を、東京新聞の記者が、記事本文でなくともツイートででも示したことは歓迎する。しかしそれでも、そんなおつむが足りてないようなことを言ったり、都合の悪いことは平然と無視するような政治家、政権、首相を長い時間かけて育ててきたのはお前たちメディアだろう、という指摘もしないわけにはいかない。

 

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