スキップしてメイン コンテンツに移動
 

弱火でじわじわと焼かれているようなもの

 およそ75年前の戦争末期、日本の都市は米軍の焼夷弾によって焼け野原になった。広島と長崎は原爆を投下されて一瞬で廃墟と化した。昨年始まったコロナ危機で、廃業や倒産に追い込まれる企業や個人事業主、職を失う人達が日に日に増えている状況に鑑みれば、まともな対策をしようとせずに、ただただ自粛や休業だと言うばかりの政治によって日本は再び焼け野原にされようとしているように思える。


 前者を強火で一気に焼き払われたと捉えれば、後者は弱火でじわじわと焼かれているようなものかもしれない。炭火では炎は目に見えないが、上に置いた食材はその熱で焼かれる。今日本は、無能な首相や政府や一部の自治体・首長によって、見えない火で焼かれているようなものだ。
 廃業や倒産、職を失う人と書けば、経済的に焼き払われているだけのように見えるかもしれないが、公衆衛生的にも焼かれていると言えるだろう。欧米に比べれば死者数は少なくても、既に日本では約1万人もの人が命を落としている。今も感染者が増えており、ワクチン接種できるようになる見通しもなく、そしてそれ以外は自粛だ中止だと言っているのに、聖火リレーは強行、オリンピックだけは開催するという矛盾した方針からも、経済・公衆衛生の両面から、日本は政治に焼かれていると言えるだろう。

 冒頭で、75年前の戦争に関して、米軍の焼夷弾によって焼け野原になったと表現したが、その戦争を仕掛けたのは日本であり、戦況が悪化しても戦争を継続する判断をしたのも日本なので、直接的には米軍に焼かれたのだろうが、その種を蒔いたのは日本政府であり、75年前の戦争についても、日本政府によって日本が焼かれた、とも言えるだろう。
 同じ様に、現在日本を焼いている政権、安倍・菅による自民党政権をこれまで容認してきたのは日本の有権者であり、つまり日本人が日本を自ら焼いているとも言えるだろう。

市川猿之助「再開を信じて」出演公演中止で無念吐露 「オリンピックありきの対策には疑問」と私見も― スポニチ Sponichi Annex 芸能

文化施設休業すべきか 協力金2万円「香典のつもりか」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 エンターテインメント業界の零細な人達などからは、1年前から既に「おかしい」という声が上がっていたものの、3度目の緊急事態宣言と馬鹿の一つ覚えかのような自粛要請に直面し、やっとメジャーな人や団体などからも「おかしい」という声が上がり始めたようだが、このような流れを見ていると、みんな口を開くのが遅いという感しかない。
 自分の尻に火がついてから声を上げるようでは火事の被害からは免れられない。隣の家に火が付いた時点で防火対策をするのが妥当な対応なのに、大半の人は隣の家に火がついてもぼけーっとしているだけで声を上げず、自分の尻に火がついて初めて行動する。だから延焼がどんどん広がるのだ。


 それはコロナウイルスへの対応に限った話ではない。生活保護受給者を蔑むことは、将来自分が苦境に陥った際に自分の首を絞めることになる。障害者が健常者と同等の生活を望むことを卑下するのも、将来自分が事故に遭ったり年老いたりして体に不自由が生じたり、自分でなくとも家族や友人がそうなった際、そのような身内を介助することになった際に、自分の首を絞めることになる。蔑んだり卑下したりしなくても、無関心を装って黙っていることも同様に自分の首を絞めるのだ。

 そのようなことを考えると、教養があり賢い者は自制的なので面倒には近づかない、ということを意味する「君子危うきに近寄らず」という慣用表現があるが、寧ろ面倒でもそのようなことに積極的に近づいて、積極的に正すことの方が正しく、「君子積極的に危うきに近寄る」の方が適切なのでは? と感じる。


 トップ画像には、 強火中火弱火イラスト - No: 1145624/無料イラストなら「イラストAC」 を使用した。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

非常識な田舎者

 G7で、他の首脳にマジった菅が見ていて、なんであんなにちんちくりんなのか、と恥ずかしく思った。世間知らずの田舎者感が半端なかった。他の国の首脳たちはきちんとした服装なのに対して、菅は、親のスーツを借りてバイトの面接に来たかのような、サイズの合っていないダボダボのスーツを着ていたからだ。勿論、身なりだけで人を判断するのはよくない。しかし、なにか相当の信念があるなら別として、 単に無頓着なだけな場合、身なりで判断されても仕方がない 。

写真修正と美容整形、個性と没個性、○○らしさ

 昔は、と言ってもそんなに昔でもなく、というか今も全然普通に使われる表現だが、風俗店や水商売店のサイトや店頭に掲げられる在籍女性の紹介写真で、あまりにも本人とかけ離れた写真、修正が過ぎる写真のことを 「パネマジ」(パネルマジックの略、パネル=写真、マジック=手品レベルの修正という意味) などと揶揄することがよくあった。というか今でもある。端的に言えば「別人が出てきた」というやつだ。  余談だが、美容家・IKKOさんの、何年も前の痩せていた頃の宣材写真が今も頻繁に使われているのを見ると「パネマジだなー」と思う。また、IKKOさんが出演しているコラリッチなんとかのCMで使用している映像が、明らかにが縦方向に伸ばして加工されており、そのCMを見る度に「やってるなー」と思ってしまう。美容系のCMだから少しでも綺麗な印象にしたいのは分かるが、逆に言えば「美容系商品のCMなのに、その商品以外で盛ったらダメだろう」とも思う。個人的には「嘘・大袈裟・紛らわしい」に該当する手法のように感じる。