はげまし人形 龍馬くんという玩具を、1980年代にナムコが売っていた。「心はいつも太平洋ぜよ!」などのセリフをゼンマイ仕掛けで言う、という商品だった。同じくナムコの、多分世界で最初に定番化した野球ゲーム・ファミリースタジアムには、ナムコスターズという同社のゲームキャラが集まったチームがあるが、龍馬くんはゲームにはなっていないのに、その一員にもなっている。当時それくらい人気があった。
調べてみると、龍馬くんは エモーショナル・トイ - Wikipedia という玩具シリーズの一つだったようで、全5種のうち覚えているものもあったが、最も記憶に残っているのはやはり龍馬くんだ。この龍馬くん、 大河ドラマ・龍馬伝に便乗する形で、2009年末に復刻もされたようである(励まし人形「りょうまくん」、25年ぶりに復活 - ITmedia NEWS)。復刻版では、オリジナルにはなかったセリフが2つ追加され、トップ画像の「日本をいま一度せんたくし申し候」もその一つだ。これは実際に龍馬が言ったとされている言葉である。
厳密には、言ったのではなく姉宛の手紙の中で用いた表現で、腐った幕府の中枢を倒し、国を建て直さないといけない、のようなニュアンスだ。ただ、この手紙を書いた1863年頃の坂本 龍馬はまだ攘夷派で、来航する外国を打ち払うべきと考えていた時期なので、日本が遅れていて外国が進んでいる、という認識はなかったのかもしれない。しかしその翌年には、勝 海舟の影響を受けてそれに気づき、開国派に転じたと言われている。
日本人は本当に戦国時代と幕末/明治維新が好きだ。大河ドラマにそれがよく表れている。2000年以降だけを見ても、戦国時代に関する作品が10、幕末/明治維新が7つを占める。2010年代以降で言えば、それに該当しないのは2012年の平 清盛と2019年の いだてん だけだ(大河ドラマ - Wikipedia)。
制作する側が好きなだけ、とも考えられるが、明治維新とは重ならない近代を扱った いだてん が歴代最低視聴率だったことを考えると、見る側の好みでもあると考えられる。幕末/明治維新がテーマの大河ドラマは、総本数では戦国時代ものに及ばないものの、これまで制作された全15作品のうち、約半分の7作品が2000年以降に集中しているのが特徴で、以前から人気があったとは言えない。別の言い方をすれば、近年人気が上がってきたとも言える。
明治維新とはなんだったのか。それには様々な見方があるだろうが、ざっくりと言えば、黒船来航にうまく対応できない幕府によって、外交にかかわらずその体たらくな実態が明らかになり、倒幕の機運が高まったこと、当初は攘夷が主流だったが、同じく黒船来航をきっかけに、鎖国によって遅れに遅れた日本の実態が明らかになり、攘夷ではなく開国して進んだ外国の文化や技術を取り入れて日本を建て直そう、という運動・革命が起きたのが、明治維新だと言えるのではないか。
それは、幕末の志士を多く輩出した長州・松下村塾を主宰した 吉田松陰 - Wikipedia が、尊王討幕論者であり、また、ペリー来航の際に黒船に潜んで密航しようとしたことにもよく表れている。
「日本大好き」を公言する人達の多くは、十中八九、幕末/明治維新好きである。また「日本大好き」を公言する人の多くは、自由民主党や維新の支持者が多い。自分はこれに強烈な違和感を覚える。明治維新とは、鎖国で世界から遅れに遅れた日本を変えようという人達の時代だった。ではそんな時代を好む人達の多くが支持する自民党や維新はどうか。もう海外では当たり前の同姓婚や選択的夫婦別姓に反対で、個人よりも家族を重視する旧来の価値観が好きな人が多く、女性の権利向上に消極的で、女系天皇を認めたら国が壊れると言う人までいる。そのような考えは、今の世界標準に照らして、明らかに遅れた考え方である。自民党や維新、そしてその支持者らは、明治維新期で言えば旧態依然とした幕府側と同じだ。なのに、倒幕/開国に励んだ幕末の志士が好きだなんて全く矛盾している。
坂本 龍馬が好きすぎて、彼を主人公にしたマンガの原作までやった武田何某とかいう俳優がいるが、選択的別姓制度について「姓を変えるというのは煩わしさも込み。その煩わしさこそが結婚」「女の覚悟の問題(だから必要ないんじゃないのか)」などと言ったり、新型ウイルスに関する話の中で(つまり2020年に)「中国の一般家庭は冷蔵庫ない」と言ったりしているのを見ると、お前は坂本 龍馬から何を学んだのか?という感しかない。
数日前に報じられた、空手の日本代表 植草 歩が、指導者からのパワハラや暴力を訴えた件に関連して、元格闘家でジャーナリストの片岡 亮さんとこんなやりとりをした。
現在の価値観を「日本には日本のやり方がある」として変化を悪とする風潮があるので、合理的に改善されにくいと感じますね。
— RYO KATAOKA Japan🇯🇵/Malaysia🇲🇾 片岡亮 (@GENRON_NEKORON) March 31, 2021
彼は今日もこんなツイートをしている。
管理教育。管理社会。
— RYO KATAOKA Japan🇯🇵/Malaysia🇲🇾 片岡亮 (@GENRON_NEKORON) April 5, 2021
日本人は自覚なく社会同一を好むところが多々。人と変わった服装とか志向に基本、排他的。それを「日本はそういう文化だ」と言ったり、ときに異を「反社会的」とさえ扱う。独裁国家のことは批判しながら日本の独裁的な方向に賛成する自己矛盾。https://t.co/3MeqpumpKx
そのような、日本は日本というのが江戸時代の鎖国であり、近年は鎖国という表現が適切かどうかという話はあるものの、江戸時代は海外との交流が著しく制限されていたことは明白で、それによって日本の文化と技術は世界から遅れをとり、それを解消するのに少なくとも数十年の時間を要したのにも関わらず、今また同じことを、江戸時代程厳格にではなくとも、緩やかに繰り返そうとしているのは、最早自傷行為、日本人によるセルフネグレクトなのではないだろうか。
20世紀の終わりに、Dragon Ashというバンドが 陽はまたのぼりくりかえす - Wikipedia という曲を作った。誰にでも平等に明日は来る、のようなニュアンスの、とてもポジティブな曲である。
Dragon Ash「陽はまたのぼりくりかえす」 - YouTube
この曲には「父への尊敬 母への敬意 あやまちを繰り返さないための努力」という歌詞があるが、今日本は、過去を省みずに過ちを繰り返し続けているように感じる。そんな風に考えると「陽はまたのぼりくりかえす」という曲名で、同じ失敗を繰り返し、同じところをグルグルと回り続ける、これでもかと罰を受けて八つ裂きにされても、風が吹けばまた体が戻り、何度も何度も罰を受け続けることになる無間地獄のような、絶望的な曲を書くこともできるのではないか、と思えてしまった。