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日本人と時間

 現代社会が崩壊した世界を描いた、とあるディストピア作品の中で、年齢を聞かれたキャラクターが「もう日付を数えるのを止めたんだ」と言っていた。そのセリフから、カレンダーが存在しない状況を考えてみたが、自分の年齢を性格に把握できる気がしなかった。そもそも自分は、35歳を過ぎたあたりから、カレンダーがある現状でも自分の年齢を即答し難くなっている。今は2021年だから、生まれた年を引いて…とやって年齢を認識している。


 夏至 冬至 春分 秋分、つまり昼と夜の長さ/日時計の知識があれば、カレンダーや時計がなくても1年を把握することができ、日の入りと日の出の回数を数えることで、カレンダーや時計がなくなっても自分の年齢、というか今が西暦何年何月何日か、そして時刻も把握できるかもしれないが、厳密に日付や時間を把握することは、原始的な生活においてはあまり用をなさない。
 種まきや収穫の時期、漁をする際の効率などを最大化するという意味では、 日付や時刻の厳密な把握は役に立つだろうが、大きな集合体でその把握を誰かが専門的に担い、それによって実働する者が役に立てるというような場合なら、大きな負担にはならないかもしれないが、小さな集合体、もしくは個人で活動する場合、時計やカレンダーなしに日付や時間の厳密な把握に手間をかける余裕があるとは思えない。、効率の最大化は出来なくても、季節や時間の把握は厳密ではなく大雑把で充分だろう。

 言い換えれば、カレンダーを毎年誰かが作るから、そして時計があるから、時計に合わせて動くもの、例えば電車やテレビ/ラジオ放送などがあるから、現代人は日時を正確に把握できているんだろう。もし誰も新しいカレンダーをつくらず、時計が、その機能を持つ機械も含めて、全く身の回りから消えてしまったら、日付や時刻を正確に把握できる人がどれ程いるだろうか。人類の大半は「もう日付を数えるのを止めたんだ」と言うのではないだろうか。


  時計や暦などの歴史については、日本を代表する時計ブランドの一つであるセイコーの、「時計の歴史 | THE SEIKO MUSEUM GINZA セイコーミュージアム 銀座」というサイトが詳しい。その 江戸時代の暮らしと時間 によれば、近世の日本では当然庶民に時計は普及していなかったものの、城や神社・寺が定刻にならす鐘によって、既にある程度正確に時刻を把握した生活があったようだ。それでも、当時の日本の時刻の単位は1日を12等分した一刻、それを半分にした半刻、更に二分した四半刻で、最低の単位が30分だったそうで、それに鑑みれば、近世日本は今よりもかなり時間に関しては緩そうだ。
 現代と同じ太陽暦と定時法(二十四時制)が日本で用いられ始めたのは、明治6年のことで、因みに、太陰暦だった明治5年は12/2までしかなかったそうだ。ずれを調整する為に明治5年12/3を強引に明治6年1/1へ切り替えたそうである。

 1994年に日本の携帯電話の買取制が始まり、さらに1995年に発生した阪神淡路大震災の際にその優位性が認識され、2000年代に入ると本格的な普及が始まり瞬く間に広まり、2011年12月には携帯電話の契約台数が総人口を超えた。

 携帯電話の普及以前は、自宅や勤務先以外では連絡がつかないのが当たり前だったのに、今やすぐに連絡がつかないと嫌悪されるような状況になった。ある意味で、携帯電話によって束縛された生活を多くの人が余儀なくされている。
 時間に関しても同じことが言えるのではないだろうか。明治に入って暦や時刻は今と同じ様式になり、それまでの最小単位だった半刻(30分)から、今と同じ分や秒という単位が日本でも使われ始めたが、時計が普及する以前、庶民は細かい時間を把握できなかったろうし、時計がある程度普及しても、時計塔がある程度設置されていた都会ならまだしも、郊外では出先で時間を細かく把握できなかったはずだ。
 「腕時計の誕生から発展-1960年代まで | THE SEIKO MUSEUM GINZA セイコーミュージアム 銀座」によれば、懐中時計は18世紀には既に欧州上流階級で用いられ始めていたそうだが、携帯できる時計が広く普及し始めたきっかけは、1880年にドイツ皇帝が海軍将校用に作られた世界初の腕時計にあるという。その後2度の世界大戦を経て、腕時計は日常生活に欠かせない道具になったそうである。


 腕時計の普及・携帯電話の普及は、社会の効率を大きく進歩させたのと同時に、どちらも共に多くの人を時間に縛りつけることになったものでもある。日本人は世界一時間に厳しい、という話を耳にするが、それは逆に言えば、世界一神経質で心が狭いということでもあるのではないか。


 トップ画像は、mikegiによるPixabayからの画像Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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