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見えないフリ、きこえないフリ、理解出来ないフリ、勘違いしたフリ、そしてコメントを控える

 中国が独自の宇宙ステーション建設の為に打ち上げたロケット、長征5号Bの残骸がインド洋に落下したそうだ。これに関して、NASA長官が「宇宙で活動する国は、物体の再突入では、人々や財産へのリスクを最小化しなければならず、運用の透明性は最大化させなければいけない」と指摘する声明をだしたそうだ。

NASA長官、ロケット残骸落下で中国を批判「責任ある基準、満たしていないのは明らか」 | ハフポスト

「中国とすべての宇宙活動国、民間企業は、宇宙活動の安全性と安定性、そして長期間の持続性を確保するため、責任と透明感を持って行動することが重要だ」とも指摘しているそうなのだが、中国のロケットからの落下物を批判し、責任と透明性のある行動を求めるのなら、同時に在日米軍のことも指摘してもらいたい
 日本、特に在日米軍基地が集中している沖縄では、米軍機からの落下物がしばしば問題になっているし、米軍機からの落下物どころか米軍機そのものの落下、つまり墜落事件もしばしば起きている。そして、明らかに墜落なのにもかかわらず、不時着という歪曲表現が用いられることもかなり多い。更に、米軍は日本では治外法権が認められていて、透明性などは全くないにも等しければ、責任が充分に果たされているとも言い難いからだ。
 他国の批判をするなら、まずは自国の軍隊を正してくれ、少なくとも同時にやってくれ、という感がある。都合のいい批判はするが、都合の悪いことは見えないフリ、コメントしない姿勢なのでは?と言われても仕方がないのではないか。


 内閣官房参与を務める高橋 洋一が、インドや欧米各国と日本の新型コロナウイルス感染状況を比較し「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止かというと笑笑」とツイッターへ投稿した。

 日本では既に1万人超が新型コロナウイルスで命を落とし、しかも現在も感染は拡大傾向で、100人/日以上の死者が毎日出ている。それを政府関係者が「さざ波、笑笑」と、明らかに茶化し、オリンピック開催を正当化しようとしている。人の心がないとしか言いようがない。なぜそんな人物が内閣官房参与に登用されているのか。任命した首相や政府の感覚は一体どうなっているんだろうか。

 それは次の記事を見れば一目瞭然だ。

日本の感染は「さざ波」 内閣官房参与の高橋洋一氏がツイート、菅首相は「答弁控える」:東京新聞 TOKYO Web

首相は10日の参院予算委員会で、発言への見解を問われ「個人の主張についての答弁は控える」と述べ、五輪に関しては全く相談していないとも強調した。

「さざ波」投稿の内閣官房参与の高橋洋一氏「価値観を含む用語は使わない」 批判にツイート、政府は「コメント控える」:東京新聞 TOKYO Web

高橋氏の11日の投稿について、加藤勝信官房長官は同日午前の記者会見で「参与であっても個々の活動としておやりになっていることに政府としてはコメントは控えている」と語った。  さらに記者が「個人といえど、首相に助言できる立場の参与に対し、政府としてコメントを控えるとの対応でいいのか」と質問をすると、加藤氏は「参与はあくまでも非常勤で対応されている。それを踏まえた対応させていただいている」と述べた。

 端的に言って、首相も官房長官も同発言を黙認している、つまり容認しているとしか言えない。要するに官房長官や首相も、高橋同様に人の心を持ち合わせていないのだ。今日本では、人でなしが政府の2トップである。都合が悪いとコメントを控える、言わ猿になってしまう人達なのだ。
 1つ目の記事には「個人の主張」とある。高橋は首相が任命した内閣官房参与であり、単なる市民ではない。公人とか私人とか、首相とか自民総裁とか、今の政府関係者が都合よく立場を使い分けるのはこれが初めてではなく、いつの間にかこんな詭弁が平然とまかり通るようになってしまった。更に「五輪に関しては全く相談していないとも強調」ともあるが、高橋は経済・財政政策を担当する参与ということになっている。オリンピックを中止した場合の経済への影響を相談しないなんてあり得るだろうか。口から出まかせとしか思えない。そもそも、オリンピックについて相談しているとNG、していなければそんな発言もOK、ということでもない。
 2つ目の記事の加藤の態度もひどい。ここでも参与は個人だから、という全く不合理な理由でお控え答弁をやっている。首相や官房長官、そして大臣もみな個人だが、同種の発言が個人としてだったら許されるのか、いや、政府として容認するのか。加藤の言い草では、許容すると言っている。少なくともそのような発言も関知しないと言っている。非常勤云々も同様に合理性を欠く。

 例えば、妥当性のある範囲で政府方針に反することを言っているなら、それをこのような根拠で容認するという話も理解はできる。しかしこの件はそのような次元の話ではない。この件は、人道に反する政府関係者の主張を政府として容認するか、という話であり、批判も非難もしないのだから、政府として黙認/容認しているということだし、容認するということは、政府自体も人道性を重視しないということの表れだ。
 学術会議会員の任命を、よく分からない理由で、明確には言わないが「政府に批判的な人達だから」という理由で拒否したのに、このような人間をすぐに更迭するでもなく、コメントを控えると容認してしまう。全くバランスを欠いているとしか言いようがない。そもそも判断基準がおかしいとしか思えない。


 見えないフリ、きこえないフリ、理解出来ないフリ、勘違いしたフリ、そしてコメントを控える。そんな人達が誠実と言えるか、決して言えるはずがない。今の日本政府は間違いなく不誠実である。


 トップ画像には、Samir Basante ValenciaによるPixabayからの画像 を使用した。

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