プラットフォームとは、フランス語由来の表現なのだそうだ(プラットフォーム - Wikipedia)。ほかより一段高くなった水平な場所、台状のものを指すのが原義のようである。日本語化している駅のホームもプラットフォームの省略だ。あれは線路から一段高くなった平らな形状で、まさにプラットフォームそのものだ。
辞書では、壇,台;教壇,演壇,講壇;舞台 とも説明している(platformの意味 - goo辞書 英和和英)。確かにそれらも駅のホームと同様に、客席より一段高くなった水平な場所だ。そのような原義から派生して、基盤や土台のような意味でも使われており、その場合、一段高くなった水平な場所、台状のもの、でなくてもプラットフォームと表現する。例えば、自動車業界で「プラットフォームを共有する」と言う場合、シャシーやフレームなど1つの基本構造から、複数の車種をつくることを言う。自動車のシャシーやフレームは決して、一段高くなった水平な場所とは言えない。
ネット上で大規模なサービスを提供する企業のことを「プラットフォーマー」と表現したりする。GAFA、Google/Apple/Facebook/Amazonなどがその代表だ。それらは基本的に、自社でコンテンツ/中身を提供するのではなく、仕組みを提供する。その意味で、仕組み/基盤を提供する者、つまり、プラットフォームをつくる/提供する者=プラットフォーマー と呼ばれている/呼んでいる。
Facebookが名を連ねていることからも分かるようにSNSも、人々に自己表現の場所を提供するプラットフォームである、と認識されている。トランプ大統領下のアメリカで、SNS上でデマや陰謀論が横行したことから、この数年で傾向が変わりつつあるが、SNSの運営者たちは、以前は「私たちは場(プラットフォーム)を提供しているだけであり、そこで何が主張されたとしても、主張した者に責任がある」という態度で、デマや陰謀論、そして誹謗中傷や差別的な主張などの規制や対策に消極的だった。
同じ論理を、2chやSNSへの投稿をまとめる形式のサイトが主張し、「自分達は2chやSNSの投稿をまとめただけで、誹謗中傷や差別的な表現を主体的に行っていない」としていたが、2018年、そのような行為の責任が最高裁で認められた(保守速報への賠償命令確定 まとめサイトで人種差別など:朝日新聞デジタル)。同じく2018年にドイツでは、ヘイトスピーチやフェイクニュース、違法コンテンツの速やかな削除を、SNS運営企業に義務付ける法律が成立し、明らかに違法な投稿を24時間以内に削除しないサイトは、最大5000万ユーロ(約68億円)の罰金を科せられることになった(ドイツ、ヘイトスピーチ取締法を施行へ SNS企業に削除義務 - BBCニュース)。
日本の刑法や売春防止法では、賭博が行われる場所や売春が行われる場所を提供すると、罪に問われることになっている。騙されたり脅迫されて仕方なく場所を提供した場合は罪に問われなくても、何が行われるかを知っていて場所を提供すれば罪に問われる恐れがある。つまり「我々はプラットフォーマーであり、場を提供しただけ」という話は、必ずしも通用しない。
賭博や売春絡みでなかったとしても、違法な行為が行われることを知った上で、その行為が行われる場所を提供すれば、例えば、無理やり連れてきた誰かを全員で物理的/精神的にいじめるようなイベントが開催されると知っていて、ホールやイベントスペースを貸していた、となれば、共犯を疑われたり相応の責任を問われたりすることになるだろう。
もう数年前から、日本のメディア、特にテレビはデマを撒き散らすWebサイトと大差のない状態になっている。それは新型コロナウイルスの感染拡大以降特に顕著で、他の国ではどこもやっていない検査抑制論を唱える者が、未だに起用され、放送される番組の中でいい加減なことを言いまくっている。元維新の橋下何某や、一部の自称専門家などがそれだ。
その傾向は在阪メディアで特に顕著なようで、自分は関東に住んでいるし、テレビも殆ど見なくなったので直接目の当たりにすることはないが、ツイッターのタイムラインには、そのような者らだけでなく、彼らを擁護する芸人の酷さ、番組の酷さがほぼ毎日のように流れてくる。
もしテレビ局が「我々はプラットフォーマーであり、なるべく多くの主張を電波に乗せるのが仕事」のような根拠で、そんな番組を放送したり、その種の者を起用しているのなら、それは「自分達は2chやSNSの投稿をまとめただけで、誹謗中傷や差別的な表現を主体的に行っていない」と言っていた粗悪Webサイトと変わらないし、そのような番組や主張が放送に耐えうる内容だと自負して放送しているなら更に悪い。
新聞も決して正常とは言えない。産経や読売だけでなく、朝日や毎日までが、国会の状況を歪曲し、政府に利する印象操作としか思えないような記事や見出しを平気で書いている。勿論、まともな記事がないわけではないが、ある意味で玉石混交が一番質が悪い。メディアをその看板で判断するという人も決して少なくないので、まともな記事とまともでない記事が混ざっていると、看板で判断してしまう人は、まともでない記事をまともだと勘違いしてしまう。
一時期新聞の広告欄が、所謂ヘイト本の宣伝で溢れていた時期があった。あれもプラットフォーマーだから許される、という認識の下で成立していたのだろうが、数年前にその異様さ、おかしさを指摘されてから、その種の広告はかなり減った。つまり新聞も、プラットフォーマーであるという言い訳は通用しない、ということは分かっているのだろう。
ならば、新聞は情報提供プラットフォームなので批判や指摘は主体的に行なわない、という話も通用しないと分からないものだろうか。というか、事実を歪曲するような記事を平気で書いている/載せているのだから、そんなレベル以前の話とも言えるだろう。事実のニュアンスを出来る限り正しく伝えないのであれば、それは情報プラットフォームですらなく、しかもその種の歪曲は、大概国家権力に利する内容なので、それは単なる政治プロパガンダの扇動者でしかない。
このコロナ危機下の日本は、新型コロナウイルスと同時に、政治とも戦わなくてはならないし、それだけでなく、メディアとも戦わなくてはならないという、かなり高難度な所謂「無理ゲー」状態に陥っている。
トップ画像には、File:宗次ホール 内観.jpg - Wikimedia Commons を加工して使用した。