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普遍的で根本的な倫理規範の尊重

 オリンピック憲章の前文の次の項である「オリンピズムの根本原則」にはこんな文言がある。

オリンピズムの根本原則

  1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲  学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するもの  である。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、  さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
  2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、  人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
  3. オリンピック ・ ムーブメントは、 オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、 協調の  取れた組織的、 普遍的、 恒久的活動である。 その活動を推し進めるのは最高機関の IOC  である。 活動は 5 大陸にまたがり、 偉大なスポーツの祭典、 オリンピック競技大会に世界中  の選手を集めるとき、 頂点に達する。 そのシンボルは 5 つの結び合う輪である。
  4. スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けること  なく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピッ  ク精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
  5. オリンピック ・ ムーブメントにおけるスポーツ団体は、 スポーツが社会の枠組みの中で営まれ  ることを理解し、 政治的に中立でなければならない。 スポーツ団体は自律の権利と義務を持  つ。 自律には競技規則を自由に定め管理すること、 自身の組織の構成とガバナンスについ  て決定すること、 外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、 および良好な  ガバナンスの原則を確実に適用する責任が含まれる。
  6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、  政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など  の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
  7. オリンピック ・ ムーブメントの一員となるには、 オリンピック憲章の遵守および IOC による承認  が必要である。


 「東京五輪・パラリンピック組織委員会が、7月23日の五輪開会式の選手宣誓を男女1人ずつで行う案を検討していることが26日、関係者への取材で分かった」と、東京新聞が共同通信の配信記事で報じている。

東京五輪開会式、男女ペアでの選手宣誓を検討、各国旗手も ジェンダー平等推進が狙い:東京新聞 TOKYO Web

 確かに男女平等はこの10年程度の間において世界的なトレンドであり、それを推進することは確実に必要だ。しかしそれ以前に、東京オリンピック関係者らは、もっと根源的な平等や公平性について考える必要がある。
 IOCや日本の関係者、そして日本政府などが、開催国である日本の国民/市民に対して十分んな検査や医療が提供されていないのにも関わらず、選手や関係者等への優先的積極的検査を標榜し、万全の医療体制を整えるとし、さらにはまだまだ医療従事者や高齢者へのワクチン接種も十分に行われていない状況で、選手や一部の関係者のワクチン接種を優先的に行うとしている。
 それの一体どこが平等で公平か。市民と五輪関係者には確実に格差が生まれており、公平とも平等とも全く言えない対応をしているのが、IOCや日本の五輪開催強行派である。

 オリンピック憲章にある「普遍的で根本的な倫理規範の尊重」とは一体何を想定した文言か。倫理規範など全く無視しているではないか。「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」オリンピックの目的、「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることがない」というオリンピック精神はどこへいったのか。「フェアプレーの精神」?まったくフェアじゃない対応で開催される大会が、そんなものを追求も実現を出来るはずがない。「権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、  政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など  の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」?オリンピック関係者こそがそれをしていないじゃないか。

 更には、「オリンピック ・ ムーブメントの一員となるには、 オリンピック憲章の遵守および IOC による承認  が必要」とあるが、そもそもIOCも日本の強行派も、前段で示したように、オリンピック憲章を全く遵守しておらず、オリンピック ・ ムーブメントの一員となる資格がない。つまりIOCは日本の強行派を大会にかかわらせてはいけないし、IOC自体もオリンピック憲章に反しているのだから、自らを解体しないといけない状態だ。


米、選手派遣方針は変えず 東京五輪、渡航中止勧告とは別枠:東京新聞 TOKYO Web

 これも共同通信の配信記事で、共同通信はしばしば恣意的な日本語訳を行っており、原文を当たっていないのであくまでも事実であれば、という話だが、米国の大統領報道官が、国務省が日本への渡航中止勧告を出したことと、東京オリンピックへの選手団派遣は別の問題であるとして、選手団を派遣する方針に変更はないことを表明したそうだ。オリンピックが関わると合理的で整合性のある判断が出来なくなるのは、IOCや日本の関係者や政府に限らないようだ。
 この記事にはこんな文言もある。

「五輪を巡る米国の立場に変わりはない」と強調し、開催に向けた日本の努力を支持する姿勢も重ねて表明した。

もし本当に米政府が、日本がオリンピック開催に向けて努力をしていると思っているのなら、彼らの目は節穴だ。日本政府や関係者は開催に向けた努力などしておらず、不平等で不公平な対応の下でただただ「開催する」と言い張っているに過ぎない。それは決して努力ではない。広義では努力であるかもしれないが、評価できるような努力でないし、支持をするなど狂気の沙汰である。

 そして、これだけ政府が関わっているのだから、最早オリンピックは政治的に中立とは全く言えない状態だ。政治と商業の為に利用されているオリンピックであることは明白である。



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