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自分の責任について、専門家の意見を仰ぐという首相

 仏教では、お経を唱えるだけで救われることになっている。地域によっては、マニ車を回せばよい、とされているような場合もあるが、マニ車にもお経が書かれていて、マニ車も結局は「お経の代わり」だ。
 そのようなことから、同じ文言をただただ繰り返すだけの様子を、呪文か念仏を唱えるかのように、と揶揄することもあるし、実行性の伴わないことや心にもないことを言う口先三寸な様子を、空念仏空念誦と言ったりもする。


 3月に首相の菅は、新規感染者数が増えていたにも関わらず「大丈夫だ」と言い張って、どう考えても聖火リレー開始に合わせて、緊急事態宣言を解除した。

しかし当然大丈夫なはずもなく、感染者数は再び増加し、解除から約1カ月で再び緊急事態宣言を出した。1月に2度目の緊急事態宣言を出した時から、宣言をするだけで具体的な対策はなく、一時的には減少傾向かのように見えた新規感染者の背景には、検査数の減少もあり、つまり緊急事態宣言は単なる宣言でしかなく、そもそも無意味なものである側面が強かった。いやその側面しかなかった、と言っても過言ではない。

 現在も続く3度目の宣言を4月に行った際、菅はこう言っていた。

大型連休中の人の移動を抑制する「短期集中」の対策を講じ、感染拡大の阻止に全力を挙げる

3度目の緊急事態、17日間スタート 5月11日まで、GWの人出抑制―4都府県:時事ドットコム

短期集中? もう既にそれから1カ月が過ぎようとしている。全力を挙げる? なのになぜまた宣言の延長をしようとしているのか。緊急事態だの全力を挙げるだの、もういい加減に中身のない念仏は聞き飽きた。ウンザリさせられているのは当然のこと、責任をとれ、としか言いようがない。


 緊急事態宣言の延長という話を、メディア各社が報じ始めたのだが、菅の昨日のぶら下がりがあまりにも酷かった。まず最初に酷いのは、たった数分、官邸記者クラブ記者らとの間でのみ行ったぶら下がりを、官邸が「会見を行いました」としているところだ。そして、その文字起こし内容も酷い。

令和3年5月27日 緊急事態宣言の延長の検討等についての会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ

 動画を見れば、菅が聞かれたことに適切に答えないので、記者側から同様の質問が再三なされていることが分かる。しかし官邸の文字起こしでは、記者質問を文字起こしせず、あたかも記者側が不適切に同じ質問を繰り返しているかのように見える。しかも、以前はウェイバックマシーンでページの保存ができたが、少し前から保存しようとするとエラーがでるようになった。多分、保存されないように細工を施したのだろう。

 このようなことはこれまでにも何度もあって、そのような場合、産経新聞の文字起こしを参照してきた。産経はこれまで常に首相会見やぶら下がりの文字起こし記事を「詳報」として掲載していたのに、今回は、菅は何を聞かれても「専門家の意見をうかがう」としか言わず、内容があまりにも酷く、官邸応援団としては都合が悪いからか、今回は記事が見当たらない。

 特に酷いのは、「仮に宣言の再延長となれば、国民生活への影響は更に大きくなるが、再延長となった場合、自身の責任についてどう考えるか」という質問に対しても、「専門家の意見を聞いた上で判断する」と言ったことだ。再延長になった場合の責任は、専門家に判断を仰ぐようなことではない。恐らく菅は「まだ再延長になるかどうか分からないので、その場合の責任という、仮定のことには答えない」のようなニュアンスのつもりなのだろうが、そう言わずに「専門家の意見をうかがう」と念仏のように繰り返した。つまり専門家の意見をうかがう、も空念仏であることが、このやり取りに強く滲む。
 適当に同じ言葉を繰り返すだけの、サンプラーのような男が首相では、収まるも収まらない。自分の責任について専門家の意見を仰ぐと言ってしまう男でもあるのだから、更に輪をかけて…と言うよりほかない。


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