やめられないとまらない、はカルビーの定番スナック菓子・かっぱえびせんのCMコピーである。かっぱえびせんから独立して「やめられない、とまらない」単独のページがWikipediaにある程有名なコピーだ。当然、かっぱえびせんが美味しすぎて食べるのをやめられない、手をとめることができない、の意である。
止まらないもの、と言われて思い出すものには、風の谷のナウシカに出てくる巨大なダンゴムシのような生物、王蟲(オーム)もある。映画の中で、幼虫を連れ去れた王蟲が怒り、巨大な群れが暴走を始めるシーンがある。それに関して、
- 走り出したら、誰も止められない
- こうなってはもう、誰も止められないんじゃ
- そんなことをしたってもう無駄だ。群れは止まりゃしない
- 王蟲の怒りは大地の怒りじゃ
などの台詞があり、王蟲の暴走は力尽きて死ぬまで止まらない、とされている。
王蟲の目は、通常は青、しかし暴走中は真っ赤に染まる。この暴走シーンの前にも、何度か王蟲の目が赤く染まる様子が描かれており、それは怒りを表す攻撃色となっている。冷静さを失っている様子を「目が血走る」「血眼になる」などの慣用表現で示すことがあるが、それをデフォルメしたのが、この王蟲の目の攻撃色だろう。
東日本大震災が起きた直後、あれ程イレギュラーなことが起きたのに略奪等が起きなかったことに、国外から驚きというか称賛というか、そんな声が聞こえたという話があった。実際は、避難指示が出た地域などでは空き巣や強盗があったのだそうだが、大規模な略奪は起きなかったのは事実で、略奪だけでなく大きな混乱もなく、いや勿論、帰宅困難な状況に多くの人が陥るとか、関東以東の地域では公共交通機関が軒並みストップしたり、大規模な停電が起きたり、いつもなら1時間で行ける道のりが12時間以上かかるような大渋滞が発生したりと、全く混乱がなかったわけではないが、多くの人は概ね理性的に行動していた。
そんな風に、理性的にいつも通りを維持しようとしたことも、諸外国からは称賛されたようだが、しかし一方で、そこには別の混乱を生む側面もあった。このブログではもう何度か書いていることだが、あの地震が起きたのは金曜日の午後で、地震後電車は動かなくなり、直後の週末は関東でも電力不足や安全確保が出来ていないなどの理由で電車が動かず、製油所・流通網の被害などでガソリンも売切れになり、次いつ給油できるかも定かでなく、自動車やバイクでの移動すら不安があった。週明けの月曜には動き出した電車もあったが、完全復旧には程遠い状態だった。そんな状況だったのに、多くの人が普段通り出勤しようとして、それによる大混雑が生じていた。それは勿論往路だけでなく復路も同様で、朝は動いていた電車が16:00頃に運行取りやめしたりしたこともあって、地震から3日が経った週明けの月曜も、不完全な交通状況の下で無理矢理通勤した人たちの一部が、流石に地震当日の金曜程多くは無かったが、また帰宅困難となり関係各所が対応に追われる事態になったことが報道されていた。
またその地震以後、温暖化の影響なのか大雨や大雪による災害が増え、近年ではそのような荒天が予測されると、鉄道会社等が事前に計画的な運休をアナウンスすることで、大きな混乱が生じるケースは減ったが、そのような対応が始まった数年前以前は、事前に荒天に関するアナウンスを気象庁等が行っても、いつも通り通勤通学させる企業や学校、いつも通りに通勤通学しようとする人があまりにも多かった。鉄道会社が事前に運休を発表するなどして移動困難な状況にしなければ、過去のケースやその時に生じたリスクを顧みずに、そこへ突っ込んでいくのが日本人の性質であり、自分の頭でリスクを判断することが出来ない国民性、一度始めると馬鹿の一つ覚えのように、半ば盲目的にそれを維持しようとする国民性である、と言えるのではないだろうか。
そんなことから連想したのが、かっぱえびせんのコピー「やめられないとまらない」であり、走り出したら止まらない王蟲の暴走である。
東日本大震災の際に、日本人がいつも通りを理性的に極力維持しようとしたと称賛されたが、しかしそれは言い方、見方を変えれば、理性的だったと言うよりも、リスクに関して自分の頭で判断できない日本人の性質がその理由でもあり、それは地震発生から3日も経って尚、リスクを認識できずに自らわざわざ帰宅困難者になりに行った人達のことを考えれば、確実に間違った認識ではない。
その性質が如実に表れているのが、新型コロナウイルスの感染拡大下にあり、充分な検査も行われず、ワクチン接種の進捗状況も世界でも最低レベルな状態で、緊急事態宣言下でも開催すると政府や関係者が言っている東京オリンピックだ。
種々の調査では、国民の大多数は開催に懐疑的であり、流石の日本人もそこまでバカじゃないと言えるかもしれないが、他国が今の日本の状況に陥っているなら恐らく、市民による大規模な政府への抗議運動に発展しているのではないか。しかし日本ではそういうことは起きない。「やめられないとまらない」「走り出したらとまらない」人達を止めようとせずに傍観する人が多いのだ。支持政党特になしを除けば、こんな状況でも尚、政府与党である自民党が支持率でトップであることも、それを強く物語っている。
こんな状況に陥ってしまっている理由は、戦後、いや戦前から日本で一貫して行われてきた、目上の者には兎に角従えという教育、生徒が自分の頭で考えることよりも学校や教員に従うことを重要視してきた教育によるのではないだろうか。それだけが理由でなかったとしても、その影響は決して小さくないだろう。
自分の頭で考えるよりも、兎に角学校/教員、つまり目上の者に従えって教育の悪影響が、こういうところにも出ているのではないか。 https://t.co/L1vt2yY5xW
— Tulsa Birbhum (独見と偏談) (@74120_731241) May 29, 2021
漫画家の ぼうご なつこ がこんな漫画をツイートしていた。裁判官が困窮したり、生活に支障があると、買収されやすくなってしまったり、保身に走りがちになる恐れがある、ということを考慮して、充分な収入と安定的な立場が憲法によって保障されている、という話だ。だがこの漫画のオチは「なのになぜか裁判官/裁判所は、国家権力に忖度した判決を出しがち」 としており、確かに刑事裁判では検察側の話を重視しがちだし、国を相手取った裁判や行政訴訟などでも、市民よりも国家権力側に立っていると言わざるを得ない判断を下しがちだと感じる。
このようなことの背景にも、自分の頭で考えることよりも学校や教員に従うこと、目上の者には兎に角従えという教育の影響があるのではないだろうか。本来裁判所、つまり司法は、行政府と立法府を牽制する立場にあるが、今の日本ではそれが機能しているとはお世辞にも言えない。
初志貫徹、という寛容表現が示すように、一度決めたらやり抜くことは、日本では確実に美徳とされている。しかし失敗が分かっているのに猪突猛進したり、損害が広がることが確実、若しくは損をすることはあっても得は生まれないことが明らかなのに、一度決めたからと続けるのは、明らかに愚者の考え方だ。
分かりやすく言えば、1つのパチンコ台に固執し、出るまで何十万もつぎ込むギャンブル依存症のような状態で、それを初志貫徹と言って褒める人はいないだろう。強いて言えば、そういうのは馬鹿の一つ覚えと言う。