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最終的な権限はIOC、という詭弁

 毎日毎日、これでもかこれでもか、という程、支離滅裂な話が政治の方から聞こえてくる。ツッコミどころが多すぎて、全部にツッコミを入れるのは、ツイッター程度の短文でも、1日中画面の前に張り付いていなければハッキリ言って無理なのではないか、という程だ。そんな風に山ほどある支離滅裂な話の中から、今日の投稿では「オリンピックに関する権限」について書くことにする。


 4/23に行われた、新型コロナウイルス感染症に関する首相 菅の会見の中で、「各種世論調査では、今年の夏に予定どおりオリンピックを開催すべきだとの意見は少数で、多くの国民は、こんな状況で五輪ができるはずがないと今、思っています。総理は、緊急事態宣言を出しても五輪には影響がないと今週の火曜日におっしゃいましたけれども、コロナ対策と関係なく開催を前提にしているように見えます。国民の命を守ることよりも五輪が優先されていませんか。感染状況がどの時点で、どんな数値になれば五輪を開催し、どんな数値だったら開催しないという具体的な分かりやすい基準を国民に示すべきではないでしょうか」という質問に対して、

東京オリンピックですけれども、これの開催はIOCが権限を持っております。IOCが東京大会を開催することを、既に世界のそれぞれのIOCの中で決めています

(だから日本側が中止する事は出来ない)というようなことを、菅は述べた(令和3年4月23日 新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)。権限がないから、という理由でだろうが、具体的な基準も当然示さなかった。

 しかしこれについては、すぐに各方面から異論が噴出した。

《IOCはGHQか?》菅首相「五輪中止」の責任放棄に批判の声 | 女性自身

 更に、5/10の参院予算委にて、立憲民主 蓮舫は、菅に対して「去年、東京オリンピック/パラリンピックが1年延期した経緯を知っているか?」問い、当時の安倍がIOC会長 バッハとの電話会談で、「開催国 日本として感染症拡大を踏まえ、安全で安心な大会にする為に、安倍からバッハに1年延期の検討を提案した、その結果協議が行われ延期が決まった」と指摘し「開催国の首相が提案すれば中止や延期が検討されるのに、なぜしないのか」と批判した。しかし菅はこれに答えず「感染対策をしっかり講じる」というお題目を繰り返しただけだった。

【LIVE】参議院予算委員会 蓮舫参院議員(立憲民主党)質疑(5月10日) - YouTube

これに鑑みれば、菅が如何にいい加減なことを言っているのかは、誰の目にも明白だろう。菅を擁護したい者はすればいいが、それは「私も菅同様に論理的な思考が出来ない」と自白するのと同じである。


 官房長官の加藤は5/14の衆院内閣委で、東京オリンピック・パラリンピックの参加選手に対する行動管理に関して

ルールに反した場合、大会参加資格を剥奪するなど厳しい措置を講じる

と述べた。

加藤氏「参加資格剥奪も」 五輪選手、行動管理違反で | 共同通信

大会の開催/中止を決める権限のない日本側に、選手の参加資格を独断で云々する権限があるのだろうか。そんな話はにわかに信じがたい。もし、選手の参加資格についてもIOC等と協議の上決める、という話であれば、中止や延期だって同様に協議できるだろう。つまり、中止の権限がない、なんて話は、単に都合が悪いからそういうことにしておく、程度の話でしかないのだろう。


 既にあちらこちらの医療現場から、現状に対する悲鳴が上がっているのに、それを無視して、開催強行に向かっている今の日本の政府とオリンピック関係者、そしてどんな決定でもそれに従うという選手、未だに沈黙する選手も、みんな本当にどうかしている。
 人の健康や声明よりも優先されるスポーツ大会が勇気や希望を人に与える?馬鹿も休み休みにして欲しい


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