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悪徳業者の手法で憲法改正の必要性を訴える官房長官

 気軽にクルマを手に入れるなら中古車に限る。何より新車よりも安く手に入る。庶民が1万円支払う感覚で100万円を使えるくらいお金が有り余って仕方がない人は、大抵の新車価格などなんともないレベルだろうが、庶民にとってクルマはかなり大きな買い物であり、気軽に買うなら中古車択一だ。


 中古車を手に入れる方法には、大きく分けて中古車販売店で買う方法と個人売買によって手に入れる方法がある。以前から自動車雑誌の売ります買います欄を利用する方法など、個人売買でクルマを手に入れることはできたが、インターネットオークション、フリーマーケットサイトなどによって、個人売買でクルマを手に入れる人は各段に増えた。個人売買でクルマを買う場合、中古車販売店関係者が個人売買サイトを通して売る場合を除いて、中間マージンを削減できるので、概ね中古車販売店で購入するよりも安く手に入れられる、というメリットがある。
 しかし、個人売買は一般的に現状販売、所謂ノークレームノーリターン保証なしが基本で、入手後に相応の整備が必要になること、場合によっては致命的な欠陥を抱えていて、思わぬ修理費がかかる場合もあり、それなりの知識がないと痛い目にあうことも少なくない。売主が専門業者でない為に、意図的でなくても車両の実状と売主の認識が異なることも多く、なにかとトラブルになりやすいという側面もある。なので、本当の意味で「気軽に」クルマを手に入れたいのなら、信頼できる中古車販売店で購入するのが一番だ。

 但し、中古車販売店ならどこでもよい、というものでもない。中古車販売店は千差万別、様々なカラーの店がある。ディーラー系の店のように、厳しい基準で販売する車両を厳選し、新車に準ずるような状態でないと販売しないが、その分販売価格も高い店や、個人経営の小規模店では、安く仕入れた車両に最低限の整備を行うことで販売価格を抑える、ということに重きを置いている店もある。どんな意味で「気軽に」かもよるが、安心感優先で当面故障や整備の心配がないことを「気軽」と捉えるのなら前者、価格的な気軽さを重視するなら後者が相応しい。
 他にも特定車種やメーカーに特化した中古車販売店というのもあるが、それはここでのテーマ「気軽に中古車を手に入れる」とは少し毛色の違う店なので、詳しく触れることは止めておく。

 ディーラー系のような、大きな看板を背負っている店であれば、それ程気を付ける必要もないかもしれないが、後者の、安く仕入れた車両に最低限の整備を行うことで販売価格を抑える、ということに重きを置いている店で中古車を買う場合は、個人売買と同様に、信頼できる店かどうかを見極める必要がある。但し、全く有象無象な状況の個人売買よりは、在庫車両の傾向が常に分かり、口コミ情報を仕入れ易い中古車販売店の見極めのほうが、幾分ハードルは低い。しかし間違いなく中古車販売店にも、他の業種同様にアコギな商売をしている店はある。

 安かろう悪かろうを売っていたとしても、安かろう悪かろうであることをちゃんと提示した上で販売している店にそれ程問題はない。中には車検1回分程度もてばそれでいい、という乗り方をする人もいて、そのような人にとっては状態が悪いことはそれ程問題ではないからだ。免許取り立ての人が、ぶつけたり擦ったりして乗り潰す前提でクルマを買う場合も、そのような個体で問題はないだろう。買う側のニーズに合っていれば、安かろう悪かろうを売ること自体は決して悪い事ではない。
 しかし、致命的な欠陥があるのに、それを修理もせず積極的に説明もせずに売ろうとしたり、それどころか「こんな価格でこの車が買えることはない」などと言って、買い得感を誇張するような売り方をする質の悪い店もある。ざっくりと言えば、安かろう悪かろうを買い得感の高い掘り出し物かのようにアピールする売り方の店だ。そのような店でその種の個体を買えば、乗っている内に不具合が出て結局修理代がかかり、安い車を買ったつもりが結局高くつく、のようなことになる。大抵の人は買った店に車の面倒を頼むもので、そのような修理を整備業者に仲介すれば、その種の中古車店はそこでも儲けることが出来る。
 考えようによっては、購入前に必要な修理がなされても、購入後に必要な修理が発生しても、総額ではそんなに変わらない、とも捉えられるが、修理が必要になるであろう箇所を隠して売るという行為自体が問題である。説明されなければ、客はそんな修理は必要ないものと思って車を買うのだから。線引きは難しいかもしれないが、近い将来修理が確実に必要になるであろう箇所を説明せずに、そのような個体を売るのは、客を騙しているとすら言える。

 同じ様な手法は戸建て住宅販売などでも見られる。建築費圧縮の為に手抜き工事をやって、多少安く値付けしてそれを売り文句に物件を売り、不具合がでたら更に修繕費で儲けようとするとか、リフォーム業者の中にも、少々安い見積で契約を取り、手抜き工事をやって、不具合がでたら更に工事が必要だと言って追加料金を請求する、のような手法をやる業者がいるようだ。


 このようなアコギな商売の手法を連想したのは、官房長官・加藤のこの発言があったからだ。

加藤官房長官「緊急事態条項創設の議論を進める“絶好の契機”」|TBS NEWS

新型コロナによる未曾有の事態を全国民が経験し、緊急事態の備えに対する関心が高まっている、この現状において、(緊急事態条項創設/憲法改正の)議論を提起し進めることは、絶好の契機であると考えております

 前首相 安倍の頃から感覚・認識がおかしくなっているようだが、そもそも、憲法を遵守すべき側である国家権力、つまり行政機関の幹部が、憲法改正を主導するようなことを言うこと自体が御法度なのだ。
 それを度外視しても、話の内容も恣意的でいい加減、ハッキリ言ってデタラメと言えるレベルである。記事には、

多くの感染者が死亡し、飲食業が苦しんでいる状況で、「絶好の」という言葉を使った真意を記者から問われ、「この状況が絶好の状況などとはまったく思っておらず、国民が緊急事態について高い関心を持っているということだ」と説明しました

とあるが、そんな情緒的なことよりも、更に重要な指摘や批判ができるはずだ。
 そもそも加藤は、何を根拠に「国民がコロナ禍を経験し、緊急事態の備えに対する関心が高まっている」と言っているのか。それすら明確ではない。例えば現政権が、現行法、法改正、法新設などを駆使した最大限の対応をしており、それでも新型コロナウイルスの感染拡大という問題が解決しない、ということであれば、緊急事態条項が必要だ、という話にも理解できる余地が出てくる。しかし、日本政府は、少なくとも台湾やニュージーランドのようにほぼ感染拡大を抑え込んだ国や、感染者/死者等は日本より多いものの、徹底した検査と移動制限をやっている欧州諸国に比べて、間違いなくいい加減で後手後手、厳しく言えば、GOTOナンチャラのような、感染拡大推進とも言えるような、新型コロナウイルス感染拡大への対応をしておいて、そんな状況で緊急権が必要だ、とは、前述の悪徳中古車販売店や不動産/リフォーム業者の手口に酷似している
 何より、新型コロナウイルス感染拡大を概ね抑え込んだ国に、緊急権を使っている国などない。つまり新型コロナウイルス感染拡大は憲法改正の絶好の契機でもなんでもない。加藤の言っていることはデタラメだ。


 現自民政権が欲している緊急事態条項/国家緊急権は、ナチが独裁体制確立の為に悪用したものでもある(ヴァイマル憲法#ナチス・ドイツ期のヴァイマル憲法 - Wikipedia)。そんなことを勘案すると、加藤はナチの宣伝大臣だったゲッベルスになりたがっているようにしか見えない。



 トップ画像には、Used Car Lot | Used car lot in Footscray, Victoria, Australi… | Flickr を使用した。

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