サーフィンが日本へ伝わったのは戦後で、戦後に日本へ駐留した米兵が湘南あたりや外房あたりでサーフィンをしたのが最初と言われている。1970年代に、日本で最初のサーフィンブームが起こったと言われていて、第2次は80年代、そして自分が10代後半を過ごした1990年代のブームは3度目のブームだったらしい。
サーフィンブームになると、サーフィンは大してできない、若しくは全くやらないのにサーファーを気取る、所謂丘サーファーがあちらこちらに見られた。丘サーファーは、1970年代の最初のブームの頃からいたそうだが、丘サーファーの最も象徴的な存在は、やりもしないのにキャリアとサーフボードを載せ、シートにサーフブランドのTシャツを着せてヘッドレストにバンダナ等を巻いた、丘サーファー仕様ファミリアではないだろうか。第5世代のマツダ ファミリアは、80年代ブームの頃にサーファーに好まれた車種だ。
1990年代はステーションワゴンがブームで、お金のあるヤツはビュイック リーガルやロードマスター、シボレー カプリスなどのアメ車、あんまりお金のない奴には中古のマークIIやセドリック/グロリアのバンなどが人気だった。他にもフォード トーラスやホンダ アコード、トヨタ カルディナや日産 アベニールなど、兎に角ステーションワゴンが人気だった。少し変わり種だと、中古のアコードエアロデッキなんてヤツもちらほらいた。最貧層は型遅れのカローラバンやサニーバンだった。
本当のサーファーは実際のところクルマなんて何でもよかったんだろうが、丘サーファーはサーファーっぽく見えることが重要であり、アメリカ臭のする車種・ドレスアップが必須で、その最右翼がウッドパネル仕様だった。前述のアメ車ステーションワゴン、リーガルやロードマスター、カプリスには純正フェイクウッドパネル仕様があった。国産、しかも90年代すでに中古でリーズナブルに入手できたセドリック/グロリアバンにも、純正でフェイクウッドパネル仕様があった。つまり、あくまでも個人的な見解だが、80年代ブームの丘サーファーの象徴がファミリアなら、90年代丘サーファーの象徴はセドリック/グロリアバンだった。
ウッドパネル仕様のセドリック/グロリアバン=丘サーファーとまでは言わないが、やりもしないのにルーフキャリアとボードを載せているなら、それは間違いなく丘サーファーだ。あくまでも個人的な記憶だが、当時から夜な夜な人が集まっていた週末の大黒パーキングや、週末はクルマで行く出会いスポットと化していた山下公園通りでは、そんな仕様をよく見かけた。週末夜の大黒パーキングや山下公園通りに、わざわざボードを積んでくる必要なんてないから、ボードを積んで来ている奴は大抵丘サーファーだと思っていた。
丘サーファーみたいなことを、世間一般では 見かけ倒し と言う。見かけ倒しとは、見せかけだけ、外見ばかり立派だが中身が伴っていない、外見に対して中身が著しく劣っている/ないもの、はりぼて、などを指す(見掛倒とは - コトバンク)。
例えば、バックトゥザフューチャーで一躍有名になったデロリアン DMC-12は、ジウジアーロによる、ガルウイングを備えたスーパーカーのようなデザインだが、搭載していた2.9L V6エンジンの最高出力はたった130馬力しかなかった。因みに同時期のトヨタ セリカXX(北米ではスープラ)は2.8L 直6で170馬力、日産 フェアレディZは2.8L 直6ターボで180馬力だった。
DMC-12の場合、当時どう捉えられたのかは詳しく知らないが、バックトゥザフューチャーで有名になって以降は、性能は大したことない、のは有名で、見かけ倒しとは少し違うかもしれない。また、日本にはスポーツカーとは別にスペシャリティカーというジャンルがあり、最初のセリカがその元祖とされている。当初はスポーツ性能と豪華さを兼ね備えた車のような、英語で言うところのグランドツアラーのようなイメージだったようで、今もそのニュアンスも残ってはいるが、1980年代後半以降は、スポーツカー然としたスタイルだが、必ずしもスポーツ走行性能を追求してはいない、スポーティーカーとでも言うべき車種も、スペシャリティカーと呼ばれるようになっている。つまり、DMC-12はまさに、日本で言うところのスペシャリティカー、特に後者のニュアンスだ。
1990年代か00年代初頭頃まで、どの車種も大抵、1台の車種に多くのグレード/仕様が設定されるのが常だった。今でもそれを続けている車種もあり、例えば、BMWの3シリーズは、一番スポーツ性能を重視したM3や、最もラグジュアリーな330iには3L級 直6エンジンが搭載されるが、最廉価な318iが搭載するのは2L 直4エンジンで、以前のモデルでは1.8L 直4エンジンが搭載されていた。勿論、最上位グレードと最廉価グレードでは価格差も大きく、M3が1200万円もするのに対して、最廉価の318iは500万円を切る。
しかも、BMW 3シリーズは、モデルチェンジに伴うデザインの大幅な変更が少なく、そして国産に比べると、中古車の新車価格に対する価格下落幅が大きく、1世代前、場合によっては2世代前のモデルでも、クルマに詳しくない人に対しては、3シリーズならかなりハッタリが効く。1世代前の最廉価グレードなら100万以下、2世代以上前なら50万以下でも充分に中古車選びができるので、新車の軽自動車以下の予算で、かなりスペシャリティな印象を演出することが出来る。
因みに、3シリーズの耐久性や信頼性は、流石にトヨタ車には及ばないものの、同時期の軽自動車や小型車並みのレベルではあるし、世界的に売れている車種なので、修理用パーツ価格も決して高くはないし、持病と言われるような症状への対策社外パーツなどもかなり充実しているので、外車って維持費や修理費お高いんでしょ? というイメージは必ずしも正しくない。勿論、国産車に比べれば、修理費が割高になることも全くなくはないが。
これまでに10台強の車を乗り継いできたが、ワゴンは嫌いで、免許取得後2代目にワゴンRに乗った以外、ワゴンに乗ったことはない。実家のクルマがミニバンだったので、大勢乗せて出かける時はそれを借りればよい、という環境もあって、これまで乗り継いできたのは全てセダンかクーペだ。
その中で最も周りにウケが良かったのは、前述の3シリーズである。多分メルセデスベンツのCクラスやアウディ A4などでも同じなのだろうが、それらの中で最もスポーティーな3シリーズが好みだった。10年ちょっと前に、当時8年落ちの318iを50万以下で購入し、足回りとホイールを変えて若返りを図って乗っていた。BMWには、当時既に1シリーズというハッチバックタイプもあったが、新車の1シリーズよりも、8年落ち50万以下の3シリーズセダンの方が、間違いなくBMWのイメージを体現していた。
3シリーズに乗っていた頃が、恐らく今までで最もハッタリが効いていた。それは、3シリーズからフォルクスワーゲン EOSに乗り換えて強く感じた。EOSもゴルフサイズのクーペコンバーチブルというスペシャリティ性の高いモデルではあるが、3シリーズのそれには及ばなかった。
見た目を整える、のは決して悪い事ではない。時と場所に合わせた相応しい格好は間違いなくあるし、清潔感も重要だ。何か強い信念だったり主義主張などがあるなら、その限りではないが、状況に相応しい身なりを整えるのは、基本的に大事なことだ。
しかしながら、見た目だけを過度に重要視することは、あまり好ましいとは言えない。例えば、3シリーズに乗ってハッタリを効かせるのは決して悪い事ではないが、過度に自分をよく演出しすぎると、その実態がバレてしまった際に、十中八九相手や周囲にひかれる。なんだ見かけ倒しか、はりぼてか、と。場合によっては、嘘吐きのレッテルを貼られてしまうかもしれない。厳密には嘘をついていなかったとしても、過度に実態とは異なる印象を演出すれば、嘘をつかれたと捉えられる恐れがある。
なんでこんなことを書いたのか。それは、今の日本は総丘サーファー状態、見かけ倒しの国、に思えたからだ。他の先進国が同性婚制度を整え、男女格差是正に積極的なのに、日本はG7の中で唯一同性婚制度がなく、男女格差も最も酷い。また、報道の自由度でも最下位だし、最早先進国なんて言えるような状態ではない。にもかかわらず、政府だけでなくメディアや国民も自国を先進国だと思っているし、その前提で振舞っている。
新型コロナウイルス対応も決して先進国とは言えないような体たらくだし、そこには全く具体性も合理性もない。なのに、安全安心と言い張って、新型コロナウイルス感染拡大が収まらないのにオリンピック開催を強行しようとしている。
今の日本は、丘サーファーならぬ、G7に名を連ねるものの実態の伴っていない、似非先進国である。