進撃の巨人は、それまでの人類全体の記憶を消され、約100年間壁の中に閉じ込められた井の中の蛙たちの物語だ。壁の外には巨人という天敵がいるので、壁内人類は外の世界を知ろうとはしなかった。厳密に言えば、そのような状況を作ることによって、外の世界を知ろうとしないように仕向けられていた。
しかし、ごく少数ではあったが壁の外に興味を抱く者がいた。それが進撃の巨人の主人公たちだ。物語の2/3は、壁の外がどうなっているのか、なぜ壁の中に閉じ込められているのかを彼らが調べ、徐々にそれが分かっていく様子を描いている。
物語が始まった当初、世界の全てかのように描かれていた壁の中。壁外人類は絶滅したかのような描写がなされ、壁の中の人達もそう信じている。彼らにとって壁の中が世界の全てだった。しかしそれは作られた虚像であり、実際には、壁の中の世界はある島のほんの一部に過ぎず、しかもその島も、世界全体から見たらかなりちっぽけなものでしかなかった。また、他の大陸には大きな国が幾つもあることが、物語の2/3を過ぎた頃に判明する。
作者の諌山
創が何をモチーフにしたのか、もしくはこれといったモチーフのない創造の産物なのか、よく調べてはいないが、江戸時代のおよそ300年間、幕府以外は国外との交流がほぼなく、日本人の大半にとって日本列島が世界の全てだったこと、1853年にペリー率いる黒船がやってきたことで、一部の人達が日本列島の外に目を向け始めたこと、そして徐々に日本列島以外の世界のことが日本人に知れ渡っていくこと、などを関連づけて考えずにはいられない。
つまり、江戸時代の日本人も、進撃の巨人における壁内人類同様に、井の中の蛙大海を知らずだった。明治期以降、国外との交流は明らかに増えたが、それでも誰でも自由に国外へ行けるようになったわけではなかった。金銭的な問題だけでなく、海外渡航の自由が認められていたわけでもない。渡航の自由が認められ、日本人が誰でも自由に海外へ行けるようになったのは戦後で、しかも戦後すぐではなく1964年のことだ。しかし当時はまだ海外旅行は高嶺の花で、しかも年1回しか海外渡航が許されていなかった。その頃にはテレビや映画で海外を知ることは出来ただろうが、日本人にとって海外旅行が身近になったのは1985年頃、つまりバブル景気が到来してからで、日本人が実際に井の中の蛙大海を知らずを脱したのはその頃と言うべきかもしれない。
だが、もしかしたら日本人の決して少なくない人達は、今も井の中の蛙大海を知らずなのかも知れない、と感じることも少なくない。例えば、日本はG7で唯一未だに同性婚も選択的夫婦別姓制度も実現していない。そういうことからも、そんなふうに思う。
同性婚が16年前に認められたカナダで暮らす“ふたりママ”。「日本で暮らすビジョンは描けなかった」 | ハフポスト
これは、カナダで同性婚をして暮らしている日本人女性に関する記事だ。同性婚を認めないことが、同性愛者にどのような不利益をもたらすのか、異性愛者が如何に同性愛者に対して特権を持つ状況であるか、などについても書かれている。
この記事の主人公である日本人女性は、2010年頃から世界を旅するようになり、その中で様々な地域の人達と交流したことで、こんな風に感じたそうだ。
国や文化によって、「当たり前」や「普通」なことは違う。だから、「当たり前」や「普通」なんてないのだ、と思うようになった。
しばしば、日本の常識、世界の非常識、などと言ったりする。これは慣用表現のようなもので、やや大袈裟に表現しているが、非常識は言い過ぎでも、日本では常識だが、他の地域では常識として通用しないこと、なんてのは沢山ある。
それは決して日本に限ったことではなくて、他の国にもあったりする。更に言えば、日本の中でだって、あるグループでは常識でも、別のグループにとっては常識ではない、最悪非常識なことが多々ある。例えば、そばやうどんの「たぬき」はその典型的な例だ。東京では天かすをのせたそばやうどんをたぬきと称するが、大阪では油揚げをのせたものをたぬきと呼ぶ。ちなみに東京では、油揚げをのせたそばやうどんは「きつね」である。
そのようなことなら、常識や普通が違ってもさしたる問題ではなく、単に「違い」で済むが、世界中で、特に先進国では既に普通や常識になっている同性婚や選択的夫婦別姓制度、また、世界的には何でもない刺青を入れることが、日本では嫌悪や差別の対象にされることは、単なる「違い」では済まされず、日本が如何に非常識であるか、を示してしまっている。そのような観点で言えば、日本人の大半は、未だに世界がどんな状況かを知らない井の中の蛙だ。
普通にアウトなピクミン pic.twitter.com/KjPS5bmg4d
— 砂利ボーイ (@jarinkoboy) June 28, 2021
様々な視点があるだろうが、このツイートも日本人の井の中の蛙大海を知らずさ加減を如実に示していると言える。ピクミンというゲームのキャラクターの頭に大麻をはやして、「普通にアウトなピクミン」としており、それに2万件ものいいねがある。因みにこれの元画像はこんな感じだった。
いまだに大麻所持に厳罰を科し、関わることへの嫌悪が激しい日本において、大麻に関わることが「普通にアウト」とされ、それに多くの共感があつまることは簡単に想像がつく。しかし、それも日本だけで通用する常識であって、国外ではハッキリ言って非常識の類だ。大麻=普通にアウト、というのは、偏見や蔑視とすら言えるかもしれない。
既に大麻の合法化に踏み切っている国や地域は少なくない(ファイル:Map-of-world-cannabis-laws.svg - Wikipedia)。合法化地域では「アウト」でない。更に言えば、非犯罪化している地域や、非合法ではあるものの所持禁止に法的強制力のない地域、嗜好品としては非合法だが医療目的では合法な地域など、アウトとは言えるかもしれないが ”普通に” ではない地域も少なくない。
そんな視点で見れば、この画像とそれへの反応は、国外では別になんでもないのに、日本では嫌悪や偏見・差別の対象とされる刺青へのそれと同種であり、やはり、日本人は今も井の中の蛙大海を知らずである、と言える理由になる。
そんなことからも、進撃の巨人の壁内人類は、日本人の井の中の蛙さ加減をモチーフに描かれたのではないか、という気がしてくる。勿論、それだけがモチーフではないのだろうが、あれを日本人が描いたんだから、そんな風に思えて仕方がない。