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100円しかないのに500円の商品を買おうとする幼児みたいな大人たち

 数を覚えたのはいつのことだっただろう。確か1-10までは、小学校に行く以前に分かっていた。風呂から早く出たがる自分に、父親がよく「10数えろ」と言っていた。もしかしたらそれ以前から数の概念を理解していたかもしれないが、その辺りが最初に意識した数だったと記憶している。


 そうやって数を覚えると、10以上は?ということに興味を持ち始め、10+1で11というふうに桁が上がる、ということを教えてもらった気がする。勿論当時は、11は10+1という考え方や桁の概念を正確に理解してはいなかったが、10まで数えたらそれを横においてまた1から数える、みたいな風に解釈していた。多分それが小学校に通い始める直前くらいだった。
 自分には弟がいて、その頃弟はまだ数を理解していなかった。その頃の自分は、お年玉をもらうようになってすでに数年が経っており、10円玉3枚よりも100円玉1枚の方が価値があることは分かっていた。大人たちが半分冗談で、弟は100円玉1枚よりも、枚数の多い10円玉3枚の方を喜ぶ、みたいなことを言っていたのを覚えている。
 その後自分は小学校に入って算数を習い始め、数字の概念をしっかりと理解し始めた。また友達も出来て、一緒に近所の酒屋(兼駄菓子屋のような店)にお菓子やガチャガチャをしにいくようになった。当時はまだ月極めのおこずかいはなく、お菓子を買いたいと親にねだって、都度数十円から100円程度を貰っていた。勿論弟も「お兄ちゃんだけずるい」となるので、一緒についてくる。
 しかし弟はまだお金の価値をよく理解しておらず、プロ野球チップスしか買えない30円を握りしめて、平気で100円する普通のポテトチップスを買おうとする、なんてことがよくあった。自分にもそんな頃があったのかもしれないが、上の兄弟がいない所為かほとんど記憶がない。弟は、そんな風に実践的な経験を積んでお金の価値を理解していった。

 人によってタイミング的な差はあるだろうが、大抵の人は生活の中で必要性にかられて、数字に興味を持ち、そして覚えていく。日本以外の地域では、大人になっても一定以上数が数えられない、という人もまだいるのかもしれないが、日本ではほとんどの人が、遅くとも小学校低学年までに、少なくとも1万程度までの数の概念を理解する。それは学校で習うからでもあるし、お年玉で1万円を貰う経験をほとんどの人がするだろうし、欲しいものの価格が1万円程度することも体験するからだ。
 また、同じようなタイミングでお遣いを任されるようにもなる。お遣いは少なくとも1000円程度までのおつり計算ができないと務まらない。また、お年玉やおこずかいで自分のものを買う場合も、計算できないとおつりをちょろまかされる恐れがあるし、相手に悪意がなかったとしても、間違いを指摘することが出来ずに損する恐れがある。だから相当ズボラでない限り、小学校低学年までに大抵の日本人は1万円くらいまでの計算ができるようになる。


 しかし残念なことに、今日本では、そんなごくごく初歩の計算すらできないような人達が政治を担っている。

選手の検査キットが不足 24日に必要量確保へ―東京五輪組織委〔五輪〕:時事ドットコム

東京五輪・パラリンピック組織委員会は23日、大会参加選手が使う新型コロナウイルスの検査キットが不足し、規則で定められている毎日の検査ができない例が出ていることを明らかにした

 今年の4月初旬、五輪担当大臣の丸川が、東京オリンピック/パラリンピックに関して、選手らに対して毎日PCR検査を行うと発表した。一般市民が満足に公的検査を受けられない状況で、なぜ選手らだけを優先的に検査するのか、という疑問と批判が起こったが、オリンピックまでに方向転換し、一般市民への検査も充実させる可能性はあった。しかし案の定、日本の検査数は増えず、それどころか感染拡大が著しい、五輪開催都市でもある東京都の検査数は、ピークよりも少ない数字に減っている。
 更に、5月末に米国の医学誌から東京オリンピックの感染対策の不備を指摘された際に、丸川は「原則として毎日検査を実施することが明示してある」と反論し、「事実誤認」とまで言っている。

丸川五輪相、米医学誌に反論 「事実誤認に基づく」:時事ドットコム

 だが実際に、7/23に選手らに対する毎日検査が実施できなくなった。理由は検査キットの不足だ。感染が疑われる者に対して検査を実施する、という話であれば、予測以上に感染が疑われる者が生じた為に検査キットが不足した、という話も、その是非は別として、成り立つのだが、東京五輪の感染対策は、選手らに対して毎日検査、なので、事前にどのくらいの検査キットが必要なのかはあらかじめ計算ができるのに、検査キットが不足した。つまり丸川は、初歩の計算が出来ない、若しくは毎日検査ができないことを分かった上で毎日検査すると豪語した、という恐れがある。
 実際には、毎日検査が行える数の検査キットの調達が計画されたが、何らかの不備が生じて検査キットが足りなくなった、というケースもあり得る。だが、ギリギリの調達計画だったからそのような事態になった、若しくは大幅に予定調達数の狂いが生じた為にそのような事態になった、ということだろうから、前者なら「原則毎日検査する」と豪語したことのいい加減さが際立つ。後者なら、初歩ではないものの、計算や予測が出来ていないということになる。
 何にせよ、できないことをできると言ったことには違いないし、計画を批判した医学誌に対して「事実誤認」とまで言い放ったことの責任は重い。また、感染対策の不安/不備を理由に、選手村を後にする選手団も生じているように、選手村の物理的対策はあまりにも不充分で、東京五輪の感染対策は検査が頼みの綱であるのに、その検査すらもままならない状況に陥っている。毎日検査と豪語した丸川は一体どう責任をとるつもりだろうか。現自民政権の大臣なので「責任は私にある、責任を痛感する」とか言うだけで済ますつもりなんだろう。


 東京オリンピックは本当に何から何まで不備だらけで、この毎日検査が滞った件を考えると、100円しかないのに500円の商品を買おうとする幼児みたいな人達、が責任者であることが、全ての元凶だと思えてならない。


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