スキップしてメイン コンテンツに移動
 

いじめや被害者の損害が社会的に軽視されていた時代

 オリンピックについては、この状況でまだやる気でいるのか、という気分で、大会関係者や政府だけでなく、スポンサー企業は勿論、この状況で参加するという選手やボランティアなども含めて、開催に関わる全ての人たちが、感染拡大に加担し、もう既に1年以上も過酷な環境を強いられている医療関係者、そして自粛を余儀なくされている人たち、もう廃業寸前の状況にある人などへ大きな不利益を与える側としか思えず、強い嫌悪の情を抱いている。


 開催自体がアウトだと思っているが、やるにしたって無観客なんてのは当然なのに、未だに観客を入れる入れないなんて言っているのが信じられない。そして感染拡大に配慮して開催するなら、極力人が集まることは控えるべきなのだから、開会式や閉会式などのセレモニーもやらないのが妥当なはずだが、こんなタイミングで開会式・閉会式の演出を担当するチームメンバーが発表された。自分にとっては、勿論ここに名を連ねる人達のことも嫌悪の対象だ。

東京オリンピック、開会式の演出チームのメンバーは? コンセプトも発表【一覧】 | ハフポスト

 このメンバーの中に、1990年代に流行った渋谷系と呼ばれたミュージシャンの1人、小山田 圭吾の名があったことが、ある騒動に発展した。小山田は過去に、雑誌のインタビュー記事の中で、障害者の生徒への暴行や排泄物を食べさせたこと、オナニー強要などを、武勇伝のように語ったことがあって、そのような人物がオリンピック・パラリンピックの式典演出に相応しいのか、という声が上がった。

小山田圭吾 - Wikipedia

 吉田 豪のこのツイートを見て、「収容所で虐殺に加担したことを武勇伝のように語った過去のある、ナチの看守だった音楽家を、イスラエル独立記念日の式典に起用するような」 と言えば、少し大袈裟な気もするが、そういうことだと思った。小山田に一切の芸能活動を許すな、というのならそれは言い過ぎかもしれない。しかし、オリンピック・パラリンピック式典演出に相応しい人選なのか、と言われたら、相応しくないとしか言えない。


 この件について音楽プロデューサーの高橋 健太郎が、

と、ツイ―トしているのだが、自分には「今まで見逃されていたんだから、今回も見逃してやれ」と言っているようにしか見えなかった。単に今まで相応しくない人物が無頓着に子ども番組などに起用されていただけだろうが、果たしてそれが正しい判断だったと断言できるか? 世の中の全ての事象に注目できる人はいないし、だから、これまで見逃されていただけのことではないのか。なので、だから今回も目くじら立てないのが妥当、とは言えないのではないか。
 もしこのツイートに関する自分の解釈が間違いでないなら、高橋の言っていることは、十数年後にやっとセクハラ被害を告白出来た被害者に、今更おせーよ、そん時言えよ、と言うようなものではないのか。少なくとも自分にはそう見える。


 吉田 豪は小山田の当該記事が当時掲載された背景についても言及している。

吉田 豪は単に当時の状況を示しているだけなのだが、世の中には、自分の目に入る、耳に聞こえる範囲だけが世界の全て、と勘違いしている人が一定数いる。次のツイートのように、悪趣味ブームなんてなかった、イジメが許容された時代もなかったとか、吉田 豪は小山田のいじめを擁護する為にそんな捏造をやっている! のようなことを言う人がかなりいる。

 これは、「かつて奴隷制があった」と言っている人に対して、「奴隷制を擁護する為に奴隷制が認められていたなんて捏造するな」と反論するようなものである。「かつて奴隷制があった」ということは事実であり捏造ではないし、奴隷制があったと言っただけで、それを奴隷制の擁護と言うのは拡大解釈も甚だしい。
 吉田 豪が主張しているのは、奴隷が社会的に許容されていた時代があったように、遠くない過去の日本に、いじめという行為や被害者の損害が社会的に軽視されていた時代があった、ということだ。そんな意味での、実質的な社会全般における   ”許容” であって、捏造でもなんでもないし、いじめの容認・擁護でもない。


 この騒動を受けて、渦中の小山田が昨日声明を出した。

小山田圭吾さんの謝罪声明全文。傷付けてしまった本人に「直接謝罪をしたい」 | ハフポスト

 この声明をどう受け止めるか、それは人それぞれだろうが、自分の目には、この件でオリンピックと関係者に迷惑をかけました、と言っている面の方が強く感じられ、誰に向けた謝罪なのか?という感しかない。しかも辞任はせずにオリンピック式典には関与し続けるそうである。
 

このツイートは、反省と口にするだけで失敗を繰り返す大臣の西村、そして前安倍政権/現菅政権の面々を揶揄する趣旨で投稿したが、小山田にも同じことを言いたい。

 この小山田の釈明と辞任否定について、ツイッタージャパンの扱いも酷かった。ツイッタージャパンは、”小山田圭吾氏辞職せず” の ”せず” を削って、小山田圭吾氏辞職 をトレンドとして流布していた。それでは意味が全くの正反対になってしまう。

 こんなフェイクニュースを平然と流布するのがツイッタージャパンである。これを仕様で片付けるなら、もう何でもありあだろう。いくらでも世論に影響を与えることが出来てしまう。


 この件は、たった一つのことから、こんなにも様々なことが短期間に発展して起きる、というとても興味深い例だった。



 トップ画像には、ゲラゲラ笑う人3 – イラストストック「時短だ」グッジョブ3 – イラストストック「時短だ」Assault png 3 » PNG Image、を使用した。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。