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先進国の定義から外れてしまった国

 1990年代に経済的に世界の頂点にいたこと、G7に唯一アジアから参加している国であることなどから、日本人の多くは、自分達の国を先進国、または先進的であると認識している。しかし今、その実態はどうか。


 2000年代まで日本の経済的優位性を支えていたのは自動車と電気機器産業だが、この10年で日本の電気機器産業は相当影が薄くなった。三洋が消え、シャープ、東芝、は名前だけが残っているような状態。パイオニア、ケンウッド、ビクター、カシオなどは辛うじて残っているが、存在感はほとんど感じられない。パナソニックとソニーは生き残っているものの最盛期の存在感はない。韓国・サムソンが奮闘しているものの、今電気機器産業で存在感があるのは軒並み中国系だ。日本の電気機器産業は壊滅的な状態と言っても過言ではない。
 では、その電気機器産業に変わる新たな柱が出てきたかと言えば、そんなものもない。自動車企業はまだ一定の存在感を見せているものの、三菱は明らかに縮小したし、日産もジリ貧状態で、10年以上モデルライフを引き伸ばしている車種が少なくない。トヨタはハイブリッドに傾倒していた所為でEVに関しては明らかに出遅れている。それは確実に将来への不安材料だ。

 大企業が軒並みそんな風に将来への不安を抱えているからか、2010年代、大企業は内部留保を貯め込み、毎年のように大企業の内部留保は過去最高と報じられていた。その一方で労働者の賃金は上がらず、物価上昇を加味すればむしろ減り、更に非正規雇用が増えた。政治やメディアは2018年前後まで経済成長しているとしてその成果を誇ったが、その内実は労働者を虐げて大企業だけが蓄えを増やす構造でしかなかった。そんな国の一体どこが先進的なのだろうか。
 オリンピックに関連してもこの国の貧しさが滲む。お・も・て・な・し などとタレントに言わせてオリンピックを招致したのに、選手村の部屋にはテレビも冷蔵庫もなく、エアコンのリモコンは日本語表記のみ。ウイルス感染対策も不充分、粗末な食事が高値で販売され、決済手段はスポンサーのカード会社のみ。これで史上最高・3兆円もの予算がかかっているというのだから聞いて呆れる。


 オリンピックは別の面からも、日本は先進国とは言えない、先進的とは全く言えないことを、次々に証明してきた。組織委会長の女性蔑視発言、式典演出の責任者がふくよかな女性タレントにブタの格好をさせ、オリンピッグというネタをやろうとしたこと、そして先日発表された式典演出音楽担当者に、過去に凄惨ないじめ、いじめとは呼べないような障害者への暴力行為に及び、それを公に誇示した人物が選ばれていたことなど、著しく低い日本の人権意識をこれでもかと証明した。また、日本では入管の人権無視が数年前から指摘されており、オリンピックに伴ってそれにも国外の目が集まった。しかし日本政府は未だ誠実な対応を見せていない。
 経済の面だけではなく、人権意識の著しく低い状態からも、日本は全く先進的でない。到底先進国とは言えない国である。


 そして今日もまた日本の人権意識の低さが滲む報道があった。この記事は男女同権の観点が著しく欠けている、と指摘せざるを得ない。

小金井市長がタレントの友寄蓮さんと結婚 26歳差:東京新聞 TOKYO Web

 記事の見出しの主語が、小金井市長(男性)だけ、もう一方(女性)が従属的に表現されていることに強い違和感を覚えた。名前を出せない一般人が結婚相手なら、小金井市長が、でもまだ分かる。しかし相手は名前も顔も出せる女性タレントだ。ならば2人の対等性を意識し、

 小金井市長 ”と” タレントの友寄蓮さん ”が” 結婚

など表現すべきではないのか。しかもこの記事の本文は、

タレントの友寄蓮さん(26)が20日、自身のツイッターを更新し、今年春に東京都小金井市の西岡真一郎市長(52)と結婚したことをを公表した。

で始まる。つまり、女性側の発信をもとに書かれた記事にもかかわらず、見出しは男性側が主語になっている。つまり、この記事を書いた記者には、結婚とは男性が嫁を貰うもの、という、昭和以前的な認識があることを強く感じさせる。記者個人がそのような感覚を持つことは否定しないが、その感覚で記事を書くことは果たして妥当か。東京新聞は男女同権の何たるかが分かっていない、と批判されても仕方がない。

 因みに、女性政治家の少なさ、そのおかしさ、日本における男尊女卑傾向の不適切さを指摘する記事も少なくないメディア業界も、指導的地位にいる女性は少ない。

日本は明らかに世界の標準的な認識からマイナスな位置にいる。このまま停滞、衰退するか、それとも再び進歩に向かうかは、メディアや有権者にかかっている。進歩の為には、メディアが適切な認識を持ち、有権者が誠実な政治を選ぶ必要がある。



 トップ画像には、ファイル:2018 Shibuya Crossing.jpg - Wikipedia を使用した。

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