一番雑誌にお金を使っていた時期は、恐らく高3から大学生にかけてで、1990年代後半頃だった。漫画雑誌だけでも10冊程度は毎号読んでいたし、それ以外にも自動車雑誌数誌、MonoマガジンやPopeyeなど、そしてファミ通やアスキーなどのゲーム/コンピューター系雑誌、結構な冊数を読んでいた。
自分がインターネットに初めて触れたのは大学生になってからだった。2000年代前半まではネットも黎明期で、ゲームやコンピューター系情報サイトは結構早い時期から充実していたが、今は当たり前になっている漫画がネットで読めるサービスは皆無だったし、自動車系も、カークラブ的なサイトはあったが、まだまだ情報は雑誌の方が早く、しかも充実していた。だから雑誌を殆ど買わなくなったのは、2010年代に入ってからだ。
ただ、漫画誌だけは少し違って、大学生のうちに、まず少年ジャンプと少年サンデーを読まなくなった。その2誌は、小中学生をターゲットにしていると思われる作品が比較的多く、連載作品の大半に興味が薄れたのがその理由だった。似た理由で、その2誌よりは対象年齢がやや高そうではあるものの、それでも少年誌である少年マガジンがその次に脱落。それらの月刊誌版も読んではいたものの、いつから読まなくなったか記憶は曖昧だが、恐らく同じ様に大学生のうちに読まなくなった気がする。
ビッグコミック系もいつの間にかスピリッツ以外が脱落、ヤング○○などの青年誌が残り、その中でもヤングマガジンを最も長く買っていた。2000年に連載が始まった大阪環状族を描いたナニワトモアの続編・なにわ友あれの連載が終わった2014年に、ついに最も長い間購読していた雑誌・ヤンマガも買わなくなった。
かと言って、漫画自体を読まなくなったわけではない。それ以降もコンスタントに漫画は読んでいる。しかし週刊誌や月刊誌を定期的に買うことはなくなり、インターネットカフェで単行本をまとめ読みしたり、ネットで読めるサービスを利用してタブレット端末などで読んでいる。
週刊誌や月刊誌の連載で、漫画を細切れで読むスタイルが、今の自分には全く合わない。年の所為か、30代後半から、特に積極的に読むようなタイプではない作品で、前回までの展開を忘れてしまうことが多くなり、細切れスタイルの購読では漫画を充分に楽しめなくなった自分に気づいてしまった。だから、漫画を読むなら単行本単位で読むのが、今の自分には合っている。
因みにはこれはテレビドラマやテレビアニメでも同じで、出来ればそれらもまとめて見たいが、まとめて見るには相応に時間を確保する必要があるので、なかなかそうもいかない。なのでドラマやアニメに関しては、既に一度見た前回分を早送りで眺めて記憶を掘り起こしてから最新話を見る、ということをやっている。
雑誌で連載漫画の最新回を追わなくなったのは、それだけが理由ではないと思っている。学生の頃は、友達がみんな同じ漫画誌を読んでいた。お金に余裕がないので、自分はマガジンを買ってアイツはジャンプを買う、そして読み終わったら互いに回す、みたいなこともやっていた。そのようなシステムの一部に自分が組み込まれていたことも、漫画誌を買う/読む理由だっただろうが、それ以上に、友達と漫画の最新回についてあーでもないこーでもないとお喋りすることが楽しかった。今振り返ると、最新号を読んでいないとそんな会話に参加することが出来ないので、漫画誌を欠かさずに読む、という側面が確実にあった。
趣味や世代によって対象は違うだろうが、ゲームの最新作、アニメやドラマの最新回を、同じ様な理由でチェックしていた人は決して少なくないのではないだろうか。自分の場合そのようなことは小学校以前からあって、小学校に入る前は戦隊モノ、小学校に入って以降はアニメや漫画、ゲーム、ジャッキーチェンの映画などだった。ただ、テレビドラマには全然興味がなかったので、中学高校では友達はその話題で盛り上がっていたものの、それに入れなくても全然何ともなかった。
年を重ねるにつれ、そのような環境から自分がどんどん外れている。今は、昔はなかったネットやSNSがあって、友達でなくても、見ず知らずの誰かと同じ話題で盛り上がることができる環境があるが、最新を追うこと自体にあまり興味がなくなってしまった。
大学生の頃にパンクにハマり、中古CDを買い漁っていたことは以前にも書いた気がする。因みにパンクバンドの新譜も、自分にとって当時はその種のコミュニケーションツールの一つであり、チェックしておくべきものだった。
興味がある複数のバンドの、自分がパンクに興味を持つ以前のアルバムを、3-4年かけて大体手に入れ、そんなこともあって、またパンク自体が少し子供っぽく感じられ始めたこともあって、徐々に傾倒は薄れていった。自分にはコレクター気質が間違いなくあり、揃える、チェックする、ということがある種の目的で、目的を一程度達成したことも、パンクへの熱が冷めた理由だろう。今も決して嫌いじゃないし、全く興味がないわけでもないが、間違いなく当時ほどの熱はない。
同じようなことが、2010年前後に漫画に関しても起きていたのかもしれない。20年近く主要な漫画誌、興味のある漫画の殆どを読んできたことで、コレクター気質の欲が飽和していたのかもしれない。それも漫画の最新回を追わなくなった理由かもしれない。
しかし、年を重ねるにつれ記憶力が悪くなって、というか覚えてはいるがきっかけがないと思い出せなくなって、昔読んだ漫画の大半に関して、あらすじは覚えてはいるものの、結末を思い出せない作品が明らかに増えた。それで最近は、10代の頃に読んだ漫画をもう一度読み返すことも多くなった。大学生の頃集めたパンクバンドのアルバムは、今も手元にあるものの、それを聞くことはあまりないのに、漫画に関しては、その頃触れたものを再び振り返っている。その2つの趣味に関する違いはなんなのか、とても興味深い。タイミングの問題で、パンクを再び振り返る日も今後訪れるのかもしれない。
1990年代、バブルの余韻でエンターテインメント業界は全般的に元気があった。しかし今は○○不況、○○不振、若者の○○離れ、なんてことがしょっちゅう言われる。今日の投稿で書いたようなことを考えていると、コンテンツを消費させたいなら、コミュニケーションツールになるように仕向けることが重要なのではないか、と思えてくる。
音楽もCDは売れなくなったそうだが、消費者の音楽自体への興味が失われてしまったわけではなく、今はライブを軸にしたビジネスになっているようだ。ライブの価値とは何か。それは体験だ。そのライブに参加したということ自体がコミュニケーションツールになる。コアなファン同士なら、ライブへの参加はコミュニケーションの前提になるので、それも参加する動機の一つになるだろう。
音楽フェスにも似た側面がある。自分の場合はフジロックやWIREなどがそれだった。当初は目当てのアーティストを見ることが目的だったのに、参加する回数が増えるにつれ、誰が出演するのかはどうでもよくなっていき、そのイベントへ参加すること自体が目的化していった。イベントに参加することが同じ趣味を持つ友達らとのコミュニケーションツールであり、イベントが彼らと集まる、顔を合わせる唯一の場であるケースもあった。ナイトクラブも似たようなもので、所謂箱づきの客というのは、そういう体験を求めているんだろう。
そんな風に考えると、漫画の最新回について誰かと毎週話せる環境になれば、自分もまた漫画誌を毎号買うようになるのかもしれない、と感じる。